1-18『元いた場所に戻る魔法』後編
「うーん、いい買い物だった」
ほくほく笑顔で店を出る学者の、少し後ろを盗賊の女は歩く。
その表情はいつも通り無色に近かったが、普段よりわずかに険があった。
「盗賊さん?」
その様子に気づいてか気づかずか、ふと振り返って訊ねる学者。
盗賊は顔を上げ、こちらもいつも通り柔らかな笑顔を浮かべる学者に言った。
「いや、……そういえば店では呼ばなかったな」
「うん? ああ、そうだね。さすがに
聞こえが悪いことは事実だろう。
何かしら、別の呼び方を考えておいたほうがいいかもしれない。
「すまなかったな。お前の立場まで考えていなかった」
「いや、私は別に大丈夫なんだけれど。むしろ立場があるのは盗賊さんのほうじゃ?」
「……そんなものはない」
「じゃあ、私といっしょだね」
なぜか嬉しそうな顔で、そんなふうに言う学者だった。
思わず盗賊は閉口してしまう。
こういう
――苦手だな、と口には出さずに彼女は思った。
「お前は立派な学者なんじゃないのか? 教師でもあるだろう」
「私が立派であるかどうかと、肩書きは関係がないと思うけれど……まあそうだね、教師としてはともかく、学者としては私なんて、基本は異端扱いだよ」
「……ダンジョン研究者だからか?」
「その通り。そんなことしてる暇があったら魔道の研究に時間を使え――って、真っ当な魔法使いなら言うところだよ。どころか、人が手を触れるべきではないって主張もある」
「…………」
「何よりお金にならないからね。ちょっとでも研究費が出れば少しは楽なんだけど……」
笑い話のように軽く言う学者であったが、結構苦労しているらしい。
無論、魔法学校の講師という時点でそれなりに稼いではいるのだろうが。
おそらくその稼ぎの大半を、彼は研究に投じているのだろう。
なんだか目に見えるようだった。
少し呆れつつ盗賊は問う。
「――だとしたら、そんな無駄遣いをしていいのか?」
彼女の視線の向く先はもちろん、学者が持っている一冊の本だ。《遍歴の騎士》という冒険者向けの奇妙な雑貨屋で購入した、魔導書の偽書である。
偽書とはいえ魔導書の類いであることには違いなく、でなくとも本は基本高い。
無駄遣いをしている余裕があるのかと目を向ける盗賊に、学者は指で頬を掻きながら。
「いやあ、せっかく見つけたし。ほかの誰かに買われるよりは……ね?」
「まあ確かに、こちらの会話を盗み聞きしている奴ならいたが」
「ああ、あれやっぱり聞かれてたんだ?」
苦笑して零す学者。
どうやら彼も気づいてはいたようだ。
――さきほどの店で、冒険者らしきひとりの少女がこちらを窺っていたのだ。
結果的に《害はない》と盗賊は判断している。
盗み聞きを隠すのが下手すぎだったし、聞かれても問題がないようにそれとなく話は逸らしておいた。
たぶん単なる好奇心だろう。
見覚えのない顔だったことは気にかかるが、今すぐ何か対応するほどじゃない。
この先また顔を見ることがあったら、警戒しておくくらいでいいだろう。
とはいえ、
「まったく……気づいていたならもう少し喋る内容も考えておいてほしかったが」
小言を零す盗賊。
学者は困ったように笑って。
「一応、それなりに考えたつもりなんだけど……」
「あれでか?」
「だって盗賊さん。――たぶんこれ真書だよ」
「――そ、」
続けようとしていた言葉が、そこで唐突に詰まった。
だいぶ聞き捨てならないことを、学者がさらっと言ったからだ。
「そうなのか?」
「いや、断言はできないけどね。解読した結果、やっぱり偽書ってことはある」
――ただ……。
と、学者は続けて。
「偽書にしては理論がしっかりしてるんだ。それも、専門的な分野で。間違いなく相応の研究をしていた魔法使いが、自分の研究成果を盛り込んでいる。一見して偽書っぽくね」
「…………」
「もちろん凝った偽書って可能性は否定できないけどね。もし解読できれば、ここにある魔法のいくつかは実演できるかもしれない。ダンジョンでも役に立つかもしれないよ?」
思わず言葉を失う盗賊。
――それを一見しただけで見抜くのも相当だろう。
それは魔法使いとしての才能とはあまり関係のない技術だ。単に偽書に精通しているというだけの話で、だからって学者が術者として優れているわけではない。
が、それはそれで、知識量も立派な力ではある。
「……そういえば、大した蔵書の数を持っていたな、学者殿は。そうそう簡単に掘り出し物が見つかるわけじゃないだろう?」
「まあ運だよ。文体にちょっと覚えがあって、もしかしたらと思っただけさ」
「同じ著者の本を見たことがある、と?」
「うん。これは秘密にしてほしいんだけどね、――ちょっとこっちに」
言うなり学者は、突如として盗賊を手招きして呼び寄せる。
それに従ってついて行くと、学者はそのまま通りを折れて路地の中へ入っていく。
どうやら人目を避けて見せたいものがあるらしい。
やがて、狭い路地のつきあたりについて、盗賊は首を傾げる。
「何をする気だ?」
「うーんと……まあ、これでいいか」
言って学者は、道端に落ちていた小さな石ころをひとつ拾った。
かと思えばその石を再び放り投げると、魔力を起動して小石を破壊したのだ。
石は粉々に砕けて砂になる。
未だに何をしたいのかわからない盗賊の前で、学者は指を立てると再び魔法を編む。
今度は難しい魔法であるらしい。
指先で宙をなぞるように、何かの紋様を虚空に描いていく。
――そして。
「《
次の瞬間、粉々に砕けた小石が元の形に復元した。
盗賊は完全に絶句して、珍しく驚いた様子を露わに学者の顔を見た。
「これ、前に別の本で見つけた魔法でさ」
一方の学者は、秘密を明かしたにしては気楽な様子だ。
それがどれほど高度な魔法かなど、盗賊以上に理解しているはずだというのに。
「別にあんまり便利な魔法じゃないんだけどさ」
「…………」
「ただ、もしこれと同じ理屈で書かれた本なら希望はあるかもしれない。私はこの著者のファンだから、それらしいものを見つけると、つい集めてしまいたくなるんだ」
「その……著者とは」
震える声で訊ねた盗賊に、うん、と小さく頷いて。
どこか誇らしげにも聞こえる声音で、笑いながら学者は答えた。
「《結びの魔女》――かつて古の勇者とともに戦ったという、伝説の魔法使いだよ」
■今回の魔法:元いた場所に戻る魔法
現代の魔法理論において、空間を転移するタイプの魔法は非常に難易度が高い。
存在自体が迷宮の《出入口》が証明しているし、ごく一部では実用化されている一方、個人で扱える規模の魔法は未だに開発されていないとされている。
何より異界であるダンジョンの内外を繋ぐのは極めて難しいとされ、もしそんな魔法が編み上げられたとしたら、冒険者の界隈に多大な影響を及ぼすことであろう。
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