1-17『元いた場所に戻る魔法』前編

 ――迷宮都市トラセア。


 王国にダンジョンは数あれど、ダンジョンを持つ街そのものが《迷宮都市》と呼ばれている場所は、このトラセアを措いてほかにない。

 最も初めに出現した、最も広大で、最も賑わう――そして最も難易度が高いと言われているダンジョン。

 それがこの街にある《第一迷宮》であるからだ。


 もっとも《七大迷宮》と呼ばれる始まりの七ダンジョンは、そのどれもがほとんど攻略できていないのだから、必ずしも《第一迷宮》がいちばん難しいかはわからない。

 実は第二のほうが危険なのかもしれないが、そんなことをいちいち言い出したって何も始まらないため、そういうことにしてある――というのが正確なところだ。


「何より《第一迷宮》は、七大迷宮では最も新しい十年前にが起こったダンジョンだからな、オレたちみたいな浪漫を求める冒険者には持ってこい……だぜい、と」


 新米は小さく呟く。

 酒場で親切に情報を教えてくれるタイプのおじさんが、仰っておられた台詞だった。

 まあ、情報交換といえば一般に酒場である。

 せいぜい観光案内程度の話なら、昼間から酒場で上機嫌のおじさんたちが隠すことはない。


 ……一応、アレでもこの街の冒険者だ。

 言い換えれば《七大迷宮》のひとつを主戦場としているのだから、見た目によらず実力者ではあるのかもしれない。

 傍目には正直、飲んだくれのダメ人間でしかなかったが。


「さーて。……しかし、こうなると暇だよねえ、実際」


 トラセアに到着してから一夜。

 宿を取ってから、新米はベテと別行動になっていた。


『ひとまず伝手を辿ってみることにする。お前はお前で……いや、まあいいか。しばらく観光でもしておいたらいい』


 とのことで、ベテはウェスティア魔法屋からの依頼のためにどこかへ消えていった。

 新米としては暇のひと言だ。

 せっかくだから遊んでいいと言っていたようで、よくよく考えれば、どうせ役に立たないから好きにしろと単に投げ出されただけ。

 こんなことならベテについて行けばよかったかもしれない。


「まあ遊んででも別にいいんですけど……」


 だからって、いきなり酒場や賭場に入り浸るのはあまり趣味ではなかった。

 そもそも田舎出身の彼女である。

 ダンジョンがある町とはとても思えないウェスティアでこそ浮かなかったものの、トラセアにいる分には、どこから見たっておのぼりさんだ。


 迷宮都市だけあって、冒険者ルックそのものは上手く溶け込んでいるけれど。

 じゃあ何をするかと訊かれたら意外に迷う。


 やっぱり大きい街に来たのだから買い物をしたいところだが、考えてみれば別に大して欲しいものはない。

 服とか装飾品とか、買ったところでダンジョンじゃ使わないし。

 となると結局、箪笥に死蔵する羽目になる未来が目に見えていた。


「ダンジョン用の大型背嚢バックパックとか欲しい気もするけど……」


 現状、日帰りダンジョン行が主流である《第十八迷宮》では使わない。

 消耗品の類いを買い込んでもいいが、あまり嵩張るものだと今度は帰りが面倒だ。

 それにそもそも、言うほど大金を持っているわけじゃないのだ。


「むむ……」


 懐の中の財布の重さを感じてみる新米。

 もちろん、それが出発時より重くなっているわけもないが。


「大きい街だと、魔晶を直接換金できるのも、意外と大きい気がしてきた……」


 ウェスティアで換金する場合、町の商人組合に依頼して、トラセアまで売却を代行してきてもらっている。

 言い換えれば、手数料分のパーセンテージは引かれているわけだ。

 そもそも換金を引き受ける管理局だって、結局は魔晶を欲しがる商会や魔法系の団体に商品として卸すわけだから、実は魔晶は換金率で言うとそんなによくない。

 まあ、社会とはそういうものである。


「――よし!」


 決めた。ここでうだうだ悩んでいたって、どうせピンとくる案は浮かばない。

 それなら実際に店に行って、そこで買うかどうかを決めればいい。


「……でもまあ、今回は一応……買う前に先輩と相談したほうがいいかな……?」


 この街に来る理由となった失敗と、同じ失敗はしたくない。

 新米とは成長途中という意味なのです。経験から学習してこそ知恵ある者の証明。



 ――ふらっと寄った店で衝動買いなんてしてしまうはずがないのです!



「そこのお嬢ちゃん! トラセア名物の焼き菓子はどうだい!?」

「なんと! すみません、おひとつくださいな!」



     ※



 おやつは別会計ってことわざ知らねーのかよマジで。

 これは違う。食べ物はエネルギーになるので無駄遣いではありませんからね。

 本当、そういうところ、しっかり判断していただきたいです。マジで。


 ――かくして無敵の理論武装を整えた彼女は今、一軒の店の前に立ち止まっていた。


「ここですよ」


 すでに焼き菓子は別腹の中。

 たとえ個数が二まで膨らんでいようと誤差というもの。

 夕食もしっかり頂くとしましょう。

 決意も新たに、新米は扉から店に立ち入った。


「おー……」


 やって来たのは、街の冒険者がよく利用するダンジョン用の専門雑貨店だ。

 店名を《遍歴の騎士》といって、入口の看板にはマスコットキャラらしき騎士剣を持つ二足歩行の青い鳥が、吹き出しで「今日安いよ!」と喋っている看板があった。


 ――明日は高いのかな……?


 首を傾げたくなる新米であったが、おそらく明日も同じ看板だろう。

 似たような店は街中に多いが、その中では小さめのひとつだ。

 値段が安くて新米向けだと、これもさきほど、酒場で謎に親切なタイプのオッサンから教えてもらっていた。

 大通りにあるような管理局提携の店は、消耗品は安いが基本的に大量購入向けであり、また値段交渉ができない。

 掘り出し物を安く買いたい、値引き交渉がしたいという場合は小さなショップのほうがいい――とのことだ。


 どうやら主なラインナップは、魔晶動力の魔法品アイテムらしい。

 目につくところで、暗所用の魔灯ランプや書き込みのできる巻物型自動地図オートマッピングスクロール、魔力で操る極細の繊維弦ストリングに、派手なところでは対魔物用の魔法式閃光手榴弾スタングレネードと、実用的なものから趣味の逸品まで品揃えは幅広かった。


「わ、すごい。魔法式切り替え型の十徳マルチツールナイフだ……、うわ高っ!」


 そう広くない店内に、いっそ無造作と呼べるような形で並べられた品々。

 さすがに危険性のある商品は展示結界ショウドメインの中だが、手に取れる形のものも多い。


「ちょ、これ空間投影型の地図じゃん、いいなー……! 先輩は暗記すればいらないとか言うけど、あんなの十八でしか通用しないよね。ほか絶対覚えらんないって」


 などと言いつつ、割とテンション上がり気味の新米だった。

 とはいえ、店内にはほかに先客もいる。

 田舎者全開ではしゃぐのも恥ずかしいかと自嘲し、声をちょっと落としておく。


「うーん……いや、面白いな、これ……」

「学者殿、立ち読みしすぎだろう。いいのか、それ……」


 幸い、ほかの客には聞かれていなかったようだ。

 おそらくは冒険者であろう、ふたり組の男女がいたが、こちらを気にする様子はない。


 それならわたしも買い物を続けるか……。

 と、店内の物色に戻ろうとする新米だったが――そのときだ。


「ほら、これなんかよさそうじゃない? この魔法」


 客のうち、店の本をタダ読みしている男性のほうの発言が耳に留まった。

 正確には《魔法》という単語だ。


 ――え、この店、魔導書が置いてあるの……?


 普通、専門店でなければ手に入らないような類いの書物だ。

 この店にあるとは思えないし、仮にあったとしても、客が読める場所には置かないと思うのだが。


「……この魔法って?」


 男の問いに、仲間らしき女性が答える。


 男のほうはおそらく魔法使いだ。

 こういうところにいる鍛えてなさそうな人はだいたい魔法使いであろう、という新米流経験的帰納法でそう算出された。


 一方、女のほうは一般的な武器持ち冒険者っぽい雰囲気だ。

 新米やベテも同じだが、基本的に《冒険者》と言ったときはパーティに左右されない、単独での生存能力があるダンジョン探索者を指す。

 無論、そういう冒険者同士でチームを組むこともあるが、パーティ単位で構築するなら専門職を集めるほうが望ましい。

 ――そういう意味で、魔法使いと組んでいるなら前衛だろうと思われた。


「そんなに面白い本だったのか?」

「うん。こんな場所で読めるとは思わなかったけどね――この本は、」

「――偽書だろう? その手のものはよく出回っていると聞く。娯楽として蒐集する魔法使いもいるとは聞くが……学者殿もその類いだったか?」

「え? ああ、いや、必ずしも私は、そういうわけじゃないんだけど……」

「まあ学者殿の蔵書の数はちょっとしたものだしな。しかし濫読家も構わないが、読みもしない本まで手に入れておこうとするのはあまり感心しない。それは無駄遣いだ」

「う……気をつけるよ」


 なるほど、と盗み聞きながら頷く新米。

 世の中には《いかにも魔導書っぽく書かれた偽物の書》が実は少なくない。本物を隠すために、あえて偽書を出回らせる魔法使いもいるくらいなのだ。

 それらは時代を経るごとに《いかにも偽書めいた真書》や、なんなら《いかにも偽書な偽書》という形に奇妙な発展を遂げた。


 どうせなら偽物も凝って創る――なんてのは、まさに魔法使いらしい倒錯だ。

 今や読むだけなら偽書のほうが面白い、なんて話もあるくらい。

 この店にあったのも、そういった偽書の類いのひとつだったのだろう。


「でもほら、この《元いた場所に戻る魔法》ってヤツ」

「……なんだそれは」

「いや、これがダンジョンで使えれば、帰路がすごく楽になると思わない?」


 ――それは確かに。

 と、素直に思う新米である。


 少なくとも《第十八迷宮》に中途帰還ポイントは設置されていない。

 通った道を歩いて帰るという、ごく普通の脱出方法しか存在しないわけだ。


 ただ、そこにはそれなりの理由がある。

 現に女性冒険者は、魔法使いの男に言った。


「そんな魔法が実在するなら、そりゃ楽だろうが」

「実在はするよ。――現在広まっている一般理論でも、迷宮の入口は転移魔法式の一種と考えられてるからね。二地点間を繋ぐ接続ゲート式の転移魔法なら実用化もされている」

「そういう意味ではない」

「うん、それもわかってる。少なくとも、個人使用の領域における転移魔法はほぼ前例がないからね。もし単独転移の魔法式なんて組み上げたら、一発で特級魔法師になれるよ」

「だろうな……というか、ダンジョンから出られるならダンジョンに入れることにもなるわけだろう? そんなものがあったら、いろんなものが根本から覆るな」

「ああ、その考えはなかったね。ただそもそも接続ゲート式転移魔法では、ダンジョンの内外を繋げるのが非常に難しい。今ある設置型の帰還ポイントも内から外の一方通行が限界だし、仮にダンジョン外に出る魔法が開発されても、入るほうには利用できないと思う」

「そういうものか……」

「まあ、とにかくこの本は買おうと思う。別にいいよね?」

「……好きにしてくれればいいが……」


 この辺りで、新米は盗み聞きすることを諦めた。

 さすがにそろそろ行儀が悪い。割と面白い話は聞けた気がするけれど。


 ――やっぱりちょっと、魔法の勉強もしてみるべきかな……。


 そんなふうに考える新米の少女は、しかし。

 自分もまた、盗み見られているという事実には、さっぱり気づいていなかった。

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