1-16『鉄鋼蟹』

「いやあ、気のいい冒険者さんたちだったね!」

「……………………」


 いい気なのは貴方ですよ、とは言わない自制心の魔法師である。


 一応、彼が《異世界から召喚された人間》であるという事実は機密情報なのだ。

 何をしようと――もちろんそれが違法行為などに該当しない限り――基本的には勇者の自由で、そこに魔法師は意見を挟まない。


 ただそれでも、正体だけは隠してほしいと彼女は最初に頼んでいる。

 彼はそれを二つ返事で引き受け、今のところは真摯に守ってくれていた。

 律儀な性格の彼が約束を破るとは魔法師も思っていないが、ちょっと無防備なところは落ち着かない。


 ――まあ、言ったところで誰も信じないような話だけど……。


 彼だけならともかく、その隣に魔法師じぶんがいる、という状況はちょっとマズい。

 内情はともかく世間的に見るなら、何をやっているのかよくわからない怪しい組織、というのが《愚者の樹海》に対するよくある偏見イメージだろう。

 魔法師がいっしょにいるなら、もしかしたら本当に異世界人かも……なんて勘繰る輩もいることだろうし、厄介なことに今回は事実だ。

 用心するに越したことはなかった。


 実際、少なくともさきほど会った冒険者の男には、魔法師であると明かしてしまった。

 彼なら大丈夫だろうと踏んでのことだが、とはいえ明かさなくても済むならそのほうがよかった。

 あんな誤魔化しは、そもそも限られた冒険者にしか通じない手段だ。


 と、そこでふと勇者がこう言った。


「後ろに乗っていた彼、相当強い冒険者だったよね」

「……気づいていたんですか?」

「うん? いや、質問の意味がよくわからないけど、武芸の実力者なら見ればわかるよ。彼も剣使いだと見受けたけど……たぶん、剣技の腕は僕よりも上だろうね」

「なるほど、そういう話でしたか」

「……君も気づいてたんじゃ?」

「私は、剣士の実力なんて見ただけではわかりません。……見たのは彼の目です」

「目……?」


 魔法使いである彼女は当然、見ただけで実力を見抜くような真似はできない。

 姿を見て、かなり経験を積んだ戦闘者であると踏んだに過ぎない。


「たださっきの方は……ずっと私を見ていましたから」

「先生を……」

「そう。貴方よりも私を警戒していた」


 あの至近距離で、剣を持った勇者ではなく、何も持たない魔法師側に意識を割いていたこと――それ自体が実力者の証明なのだ。

 凡百の人間なら逆か、あるいは無警戒かの二択になる。至近距離なら魔法より剣が強いというのは、誰もが思う一般論だ。

 もちろん決して間違いではない。

 だが魔法使いとの戦い方を知っている者は違う。


 魔法は、一般論としては発動が遅い。

 発動に何かしらの詠唱か、あるいは儀式が必要であり、ただ振るうだけで済む鉄の武器と比べれば、速度において大きく劣る。

 だが魔法の発動を高速化する手法なんていくらでもあるのだ。

 肉体に刻む魔法式がいい例だし、そんなものを使わずとも、慣れた魔法使いはあらゆる手段で発動を簡略化している。

 指先を少し振るだけでも、使える魔法はいくらでもあった。


「あの人、ずっと私の手を……指先を見てたんですよ」


 魔法における簡略化で、最も使われるのが《指の動き》だ。

 そのことを知っている人間なら、対魔法使い戦ではまず指先に注意を払う。


「なるほどね。確かに、魔法使いと戦うなら見るべきはそこだ。戦いを考慮する魔法使いなら、指の振りだけで魔法を放ってくる」


 勇者もそれは知っていたのか、納得したように頷いた。

 そこでふと、あることを思いついた魔法師は、試すように勇者へ言った。


「まあ、私なら指先ひとつ動かさなくても使える魔法はありますが」

「さすが先生。……ただ、それでも魔法を使う以上は、絶対に誤魔化せないものがある」


 ――やはり彼は知っている。

 彼の世界にも魔法は存在しているのだ。


 魔法師は言った。


「ええ。魔法を使う以上、だけはどうあっても誤魔化せない」

「そして肉体が纏う魔力は、末端ほど制御が難しい。どんなに慣れた魔法使いだろうと、魔法を放とうとすれば絶対に、まずは指先のほうから魔力に乱れが出る」


 末端の魔力に乱れが出た時点で、それは魔法を使う前兆だ。

 おそらくあの距離なら、たとえ座ったままだろうと、彼女が魔法を発動するよりも早く剣を振り抜くことができたのだろう。


 ――使


 対魔物の戦闘に長けているのが冒険者という存在ではあるが、かといって対人に慣れているかは別の話だろう。

 それとも、一流の冒険者とはああいうものなのだろうか。


「まあ、魔法使いと戦うときはっていうのは、有名な対策だけどね」

「……そうですね」


 勇者の言葉に、それもそうかと魔法師も頷く。

 あくまで《自身が魔法使いではない場合は》という但しはつくけれど。


「大抵の魔眼は、視線を合わせなければ効果を発揮しませんから。単純な対策ですが」

「よかった。合格かな、先生?」

「…………」


 魔法師は何も答えなかった。

 どうやら彼は、魔法師に知識を試されたと思ったようだ。

 まあ間違いではないが、別に勇者の実力を測りたかったわけではなかった。

 単に、彼が持っている知識について探りを入れてみたかっただけだ。


「……勇者様は、魔法使いと戦った経験があるんですか?」


 最後にそう訊ねてみると、彼は目を細くしながら、特に気負いもなく答える。


「そりゃあるよ」

「……そうですか」

「何かを斬らないなら剣を覚える必要はないからね」

「…………」


 訊いてみたはいいが、だから何がわかるということもない。

 何かを撃つために魔法を修めた人間ではないから、なのだろうか。



「――ん? 何かいるね」



 突如として顔を上げて勇者が呟く。


 道から外れた先を見据える彼の視線を、魔法師も目で追ってみる。

 だが、特に何かがいる様子はない。

 そこにはただ、なんの変哲もない荒れ地が広がっているだけだ。


 魔法師は視線を切って、再び勇者に目を遣る。


「勇者様。いったい何――」


 が、と続きを言い切る暇はなかった。

 その瞬間には勇者はもう、剣を抜いて大地を蹴っていたからだ。


「わっ!?」


 突然の行動に、思わず高めの声を出してしまう魔法師。

 幸い、それは勇者には聞こえなかったらしい。

 ほんのり耳を赤らめる魔法師に気がつくこともなく、勇者は一気に、数十歩は離れた先へと距離を詰めていく。


 そして、そのまま地面に剣を突き立てた。


 ――ガギン!

 という、硬質な音が高く響いた。


 大地に剣を突き立てたとは思えないような金属質の響きだ。

 直後、勇者が立っている周辺の大地が、わずかに揺れるのを魔法師は見た。

 それが、彼女の視覚で捉えられた初めての変化だ。

 さきほどの音と合わせて、勇者が何を見つけたのかがようやくわかった。


「鉄鋼蟹……! こんなところに!」

「……だいぶ大きいな」


 呟く勇者。その足元の大地が、音を立てて盛り上がっていく。

 その光景は、まるで地面から鋼色の箱がせり上がってくるかのように見えた。

 箱の上に載っていた砂がさらさらと流れていく中、その上に立つ勇者の叫び声が聞こえてくる。


「先生! これは斬ってもいいなのかな!?」

「そ、」


 言いかけ、それから慌てて魔法師は走り出す。

 脚力に強化をかけながら前へ。見上げるほどの巨大な蟹に迫りながら、


「……そういうことは、斬りかかる前に訊いてください……っ!」

「寝ているようだから起こしただけだよ! 問答無用で斬ったりしないって」


 剣で殴っておいて言うことじゃない、と魔法師は思った。

 いや、人間相手には通用しないだろう理屈だが、相手が鉄鋼蟹なら通らないこともないか。少なくとも、傷ひとつ負ってはいないわけだし。

 やがて鉄鋼蟹の足元まで近づいた魔法師は、上にいる勇者に向けて叫んだ。


「別に、斬っても法には触れませんが!」

「……ということはってことだよね。危険な魔獣じゃないわけだ」

「鉄鋼蟹は、基本的に大人しい魔獣です。勇者様が剣で甲羅を引っ叩いた程度では、反撃すらしてこないくらいには。下手につついて暴れ出したりしなければ、安全な魔獣です」

「じゃあ問題ないね」

「…………」


 ――だから貴方の行動が問題だったって言ってるんですけど?


 と言いたいところだったが、事実として鉄鋼蟹は起き上がっただけで暴れていない。

 それなら確かに、まあ問題ないと言えば問題なかった。


「確かに大人しい魔獣だね。初めて見る種類だけど、こんなに気性の穏やかな種類もいるとは知らなかったよ」

「……魔物は知らないと聞きましたが、魔獣は見たことがあるんですね」

「じゃあ、やっぱりこいつは魔獣で合ってるのか。うん、魔獣なら故郷にもいた」


 ――《魔物》と《魔獣》は明確に別種だ。

 迷宮に住み、肉体を持たない――生物より概念に近い存在が《魔物》である。


 一方、魔獣はダンジョン以外の世界中に存在し、きちんと肉体を持っている種だ。

 魔物と違って食事を摂れるし、魔獣もまたヒトが食べることができる。

 魔物とは異なり必ずしも人間に襲いかかるわけではないが、どれも共通して魔力を保有している。


 要するに《ヒト》以外で魔力を持つ獣を魔獣と呼ぶのだ。


「……しかしよく気づきましたね」


 自身の身長に三倍するほどの高さの、扁平な生き物を見上げながら魔法師は言った。


 鉄鋼蟹は、その名の通り全身が鋼鉄によって囲われた鈍色のカニだ。

 その重さから陸棲であり、二対の鉗脚はさみと残り四対の歩脚あしを持っている見た目が、カニと酷似していることから鉄鋼蟹と呼ばれている。

 つまり、本当にカニかどうかは実は謎だ。


 甲羅は製鉄されたような長方形で、人工的な形をしている。その理由は、鉄鋼蟹自身が魔術によって甲羅を錬金しているからだ。

 鉄鋼蟹の甲羅は、貴重な金属素材になる。


「ああ。魔獣の気配には、割と敏感なんだよね」

「はあ……」


 普段は地面に潜っている鉄鋼蟹は、真っ平らな上に非常に硬く、何より大人しいため、たとえ真上を歩いてもそうそう気がつくことはない。

 実際このサイズに育つまで、気づかれることなく大街道に棲み続けていた。

 それを《敏感》のひと言で察知されると、魔法師としてはもう言うことがなかった。


「結構かわいいな、こいつ」

「……そうですか? 見た目ただの鉄箱ですけど、ほぼ」

「いや、そういう言い方をすればそうだけど。上に乗っても大人しいのは気に入った」


 もしかすると、勇者は魔獣の類いが好きなのかもしれない。

 狩りの経験があるようなことを言っていたし、自然に親しみがあってもおかしくない。


 ――などと考える魔法師に、勇者はこんなことを言う。


「ねえ。どうせなら、カニに乗せていってもらったらダメかな?」

「ダメです」

「ええ……いいじゃない」

「どうせ歩きませんよ」

「そんなことないよ。頼めば乗せてくれそうなタイプの顔してると思う」

「どういう根拠で言ってるんですか……とにかく駄目です。見た人が驚きますからね」

「でも安全なんだろう?」

「暴れなければ、と言いましたよ。その気になれば結構強いんです、鉄鋼蟹は」

「あ、そうなんだ? ……まあ確かに、これに殴られたり挟まれたりしたら、そりゃ痛いじゃ済まないだろうけど」

「ていうかそいつビーム出しますからビーム」

「ビーム出すの!? カニが!?」

「そりゃカニだって本気出せばカニ光線くらい出します」

「いや、カニは本気になってもカニ光線出さないと思うけど……」

「魔獣ですから」

「それを言ったらそうだけど……、わかったよ。それなら仕方ないから諦めて――」


 勇者は、なんだか悲しそうな顔で首を振ってから。

 さっと切り替えるように、こう続けた。



「じゃあ、仕方ないから今日の夕飯にしよう」

「……意外とドライですよね、勇者様」

「反対はしないんだ?」

「……まあ、カニは美味しいですから」

「先生も大概ドライじゃない?」



 そんなことはない、と魔法師は思う。

 ――生きるということは、得てしてそういうものなのだから。






■今回の魔獣:鉄鋼蟹

 鋼鉄の甲羅を持ったカニ(っぽい魔獣)。

 錬金術で甲羅を創り変えるため、長く生きるほど良質な鉄を生む。

 そのため養殖される。

 身の味も普通にカニで非常に美味しいため、最近では滅多に野生で出会わない。

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