1-15『大街道』

「ちょマジほんとスピードあんま出さないでね。マジで。安全運転で頼む。本当」

「しつこいですよ先輩」

「いや本当。本当に。これ真面目な話だからね。安全第一。安全第一の人生を歩もう?」

「だとしたら職業選択をまず見直したほうがいいと思いますけど」

「いや、わかってない。わかってないよそれはお前、本当。冒険者こそむしろ安全第一を強く心がけるものだから。日常の話じゃないから。危険なときこそ輝く心構えコレ」

「なら今は関係ないってことですね」

「そうかな? 本当に? 俺は今ここをダンジョンの深層より恐ろしく感じているよ?」

「ほんと喧しいな、この人……」


 背中から繰り返されるベテの言葉に、新米少女もそろそろ辟易し始めてきた頃合い。

 とはいえベテの側も、繰り返し『わたしにも運転させろ』と背中で叫ぶ新米に辟易して運転を代わったのだから、言ってみればお互い様だった。


 現在、ふたりは王国中央部を東西に結ぶ大街道を、魔導二輪マジックバイクで東へ駆けている。

 ウェスティアから街道までは、基本的に細く険しい山道ばかりだ。この区間はさすがにベテもハンドルを譲らなかったが、平坦な街道に出てからは新米に運転を代わっていた。


「ねえ先輩。やっぱりもうちょっと飛ばしたほうがよくないですか?」

「……でもそういうときにコケるのがお前って人間じゃん……」

「何か言いましたか?」

「何かは言いましたけどね」

「…………」


 実際のところ、運転そのものは別に大して難しくもない。

 最低限のスピードに乗ってバランスを取る程度、たとえ冒険者じゃなくたってちょっと慣れればできることだ。

 ほかに必要なのは魔力の扱い程度だが、それも単に、魔導二輪マジックバイクに搭載された動力魔晶エンジンに自分の魔力を込めるだけ。冒険者にできないことじゃない。


 ――だが調子に乗ったときに妙な転び方をするのがこの新米なのだ。


 ベテはそれをよく知っている。

 じゃなきゃ相談もなしに使えない魔法を高値で買って、頭を抱えたりしないのだ。


「スピードを出そうとして魔力を込めすぎて、機関を過熱故障オーバーヒートさせるとか、いかにもお前やりそうだよな……」

「……じゃあ死ぬときはいっしょですね。えいっ☆」

「ごめん! 俺が悪かったから、ちょっとスピード上げたりしないで!?」

「これ以上、後ろから駆動音よりうるさいことは言わないほうがいいですよ」

「お前にハンドルを握らせたのは、やっぱり失敗だったな……」

「さもなければ、わたしはそれ以上の爆音で反論することになるでしょう」

「いや何をする気だ!?」

「爆☆発」

「……言うようになったよな、本当……」


 まあ、今のところ新米の運転は安定している。

 言うほどベテも、本当に事故るとは思っていなかった。

 調子にさえ乗らなければ。


「やっぱ魔導車クルマの運転って資格制にすべきだと思うんだよな、俺……」

「まだ言いますか」

「いや、だってほら、割と凶器じゃん? 高速で動く鉄の塊なんて。いつかもっと一般に流通して、この街道を埋めるくらい行き交うような時代になったときは、運転にも資格が必要になってくると思うね、俺は」

「……今のところ、ほかに通っている人は見かけませんね」


 二輪どころか、人影さえ。

 だだっ広い平地が南北に続いていた。


 背後――つまり西のほうは遠く西方山脈が塞いでいる。

 この王国の山々は西から北側にかけて連なっているため、大きな川は基本的に北西から南東側へ流れるものだ。


 ダンジョンがところどころに点在していることを無視すれば、それがこの王国の豊かな地理の全容である。


「人影や馬車を見つけたらすぐスピードを落とせよ」

「ですね、――そうします」


 そう返事をするなり、新米がバイクを駆る速度が少し落とされた。


 ――お? と顔を上げるベテ。

 新米の背中越しに街道の先を見遣れば、その先には確かに人の影があった。


「本当に旅人か」

「みたいですねー。ちょっと挨拶していきましょう!」


 基本骨子グイグイ系コミュニケーションなタチの新米が、声を弾ませてベテに言う。

 ベテの側はそこまでフランクな性格ではないが、嫌がるほどのことでもない。


 やがて距離が近づいてきたところで、新米は大きな声で旅人たちへと挨拶をする。


「どうもー、こんにちはー!」


 相手のほうも、バイクの駆動音でとっくに気づいていだろう。

 気さくな雰囲気の新米に笑みを浮かべて、男性の旅人が手を振って答えた。


 どうやら男女ふたり組の旅人らしい。

 若さを見るに、必ずしも夫婦ではなさそうか。


「やあ! すごいな、その乗り物。魔力で走るものと見たけれど」

「お。この機体マシンのよさに気づくとは慧眼ですね、お兄さん。二輪で大地を駆ける楽しさはなかなかほかでは味わえませんよ」


 初めて乗ったくせに、知ったふうな口を叩く新米。

 ベテは呆れて苦笑いだったが、旅人のほうは特に気にした様子もなく。


「なるほど……こういうものは初めて見たよ。すごいな、とても格好いい……!」


 気のいい男だった。

 澄んだ水面のような蒼眼の上で、金糸の髪が光を弾くようになびいている。

 同性のベテが見ても、思わず息を呑むほどの美形だったが、何より鍛え抜かれた肉体にこそ目を瞠る。

 その背に担いだ得物を見るに、おそらくこの男は剣士なのだろう。


 決して、筋骨隆々の偉丈夫というわけではない。

 むしろベテと比べれば細身にも見えるほどだったが、見る者が見れば、衣服に隠された肉体の力強さに気づくだろう。

 ――相当な使い手であることが、ひと目で察せられた。


「…………」


 けれど。

 それ以上に恐ろしいのは――男の隣に立つ女性のほうだ。


 おそらく魔法使いだろう。ローブでゆったりと全身を隠した姿は、基本的に魔法使いの装いだ。

 得物を見せて敵意がないと示すのが戦士の礼儀なら、常に何かを隠していると明示することが魔法使いの流儀である。

 魔王使いの衣装は、元はそのような意味だったという。


 ――空恐ろしくなるほどの魔力の静けさだ。

 威圧的ではない。だから確信もない。

 けれどその身に纏う魔力の気配は、老獪なほどに落ち着き払った無音のもの。

 未熟がゆえの弱さではなく、熟練がゆえの完全な制御。


 そうに違いないと思わせること、それ自体が魔法使いとして正解の姿勢だ。


「どうも」


 と、そこで魔法使いがベテに頭を下げた。

 一見して、それは盛り上がって話す剣士と新米に配慮しての仕草だ。


「これっていくらくらいするんだい? 買おうと思えば買えるものなんだろうか?」

「そうですねえ……高いですが、ええ……不可能では、ないかもですねえ……たぶん?」

「……、なる、ほど?」


 なんてふたりの会話は、あまり耳には届かない。

 今、ベテの視界に映っているのは、新米と歳も近そうな魔法使いの少女だけだ。

 正確には、彼女が会釈した瞬間だけ、首筋にちらりと見えた金の鎖。


 ――こいつ魔法師か……。


 ベテは、それが魔法師資格を持つ者のみに与えられる証のネックレスだと知っていた。

 しかも金鎖と言えば位階は特級。

 この若さで、王国でも数えるほどしか存在しない特級魔法師だというのなら、なるほど高い実力も頷ける話だ。


 おそらく少女は、ベテの警戒に気づいてあえて金鎖を見せたのだろう。

 不審な者ではないと身分を証明してくれた。


 もちろん、ただ金の鎖が見えただけで本物かどうかはわからない。

 偽証は犯罪だが、首に金の鎖をつけているだけなら罪には問われないのだから。

 相手が勝手に勘違いしただけ――と、言い逃れることは不可能ではない。


 だがベテは、疑おうという気にはなれなかった。

 魔力の気配云々は問題ではないのだ。

 誇示するでもないわずかな一瞬で、意図が伝わると確信して行動した判断力とさり気なさが、彼女が本物であることを示している。


 意味はわかるだろう?

 だから、あんまり詮索してくれるなよ。


 と、彼女は言っているわけだ。


「――それで。おふたりはどちらへ?」


 雑談は終わったのか、金髪の剣士が笑顔でそう訊ねてきた。


 ベテは答えない。

 余計なこと言うなよ的な魔法師の少女のオーラが、こちらではなく剣士のほうに向いていることに心中で感謝するだけだ。

 いや、本当に余計なこと言わないでほしいけど正直。


 魔法師は、基本的に王都にある《愚者の樹海》本部の引きこもりだ。

 まあ各地に支部施設はあるが、いずれにせよ表に出てくることはほとんどない。

 穴倉の中に閉じこもって、ただ魔道の神髄だけを求め続けるのが魔法師という在り方である。


 一方、あくまで《愚者の樹海》は王宮の直属機関だ。

 時に国から指令を受け、戦力として働くことを強制される場合もある。

 彼らが恵まれた環境と豊富な研究費用を受け取れるのは、有事に命を張る義務への対価だからだ。

 とすれば、彼女たちは国から何かしらの密命を受けて活動しているのかもしれない。


 ――そんなの絶対に関わりたくない。


 ベテの思考は、正解を言えばほとんど勘違いだったが、事情を知る者としては一般的な判断でもあるわけだ。

 魔法師の少女がそう仕向けたと言ってもいい。


 だが。


「わたしたちはこれからトラセアです」


 そんなことさっぱり知らない新米はあっさり答える。

 ベテはがっかりだ。本当にもう。


「迷宮都市か。あそこはいい街だよ。実は僕たちもそこから来たんだ」


 同様、こちらもまったく気づいていない剣士。

 せっかく話のわかる相手だったのに、と魔法師も溜息をつきたい気分。失格です。


「なるほど、そうだったんですね!」

「うん。特にコーヒーの美味しい街だった。あれはいいね」

「えー! それわたし飲んだことないんですよね! 田舎のほうにはないじゃないですか」

「……そうなのか……。それは、残念なことを聞いてしまった……」


 なんだか落ち込んだ様子の剣士である。

 その正面では、新米がわくわくした表情でベテを振り返って。


「先輩、先輩! わたしたちも街についたら――」

「――嫌だよ、アレ高いから。飲みたきゃひとりで行け」

「なんっなんですか、先輩はもおっ! 旅の醍醐味ってものがわかってないですよ!?」

「どうせ代金払わせたいだけだろ、お前……」

「違いますぅー! どうせなら払ってくれたら嬉しいだけですぅー!」

「それなんか違いましたか?」

「ニュアンスがぜんぜん違いますから!」


 そんなふたりの様子を見て、剣士の青年は目を細めた。


「ははは。仲がいいみたいだね。……おふたりは冒険者なのかな、見たところ」

「あ――ああ、はい。その通りです」

「なるほど。それなら僕たちの先輩ってわけだ」

「え?」

「実は僕たちも、これから冒険者デビューを控えているんだ。そのときはよろしく」

「――それはもちろん!」


 キラキラと目を輝かせる新米だった。

 先輩、なんて初めて言われて舞い上がったらしい。


「ということは……これから、おふたりはダンジョンを目指すんですか?」

「うん、そうなるね」


 嬉々として訊ねる新米に、こくりと頷いて答える剣士。


 その背後で『もう黙らねえかな』と思っている魔法師の少女と、同様に『あんま詳しく掘り下げるなよ』と思っているベテは、もはや空気と化しつつあった。


「トラセアの迷宮は大きくて、新人は入れなくてね。だからこの先の――あれ、いったいなんて街だったっけ、先生?」


 話の途中で振り向いて、連れの魔法師に訊ねた。

 魔法師のほうは、内心はともかく見た目には実に淡々とした真面目な顔で。


「……ウェスティアの町の第十八ダンジョン」

「そう、それだ。そこに向かうところなんだよ」

「ええっ!? それは奇遇ですね! 実はわたしたち、そこから来たんですよ!」

「そうなのかい? じゃあ本当に先輩だ」

「いやあ、歓迎しますよ。嬉しいですねっ! あっ……とはいえわたしたち、しばらくの間は出かけちゃってるんですけど」

「それはタイミングが悪かった。でもよかったよ。先生の言う通り、その町のダンジョンなら歓迎されないってことはないみたいだ」

「もちろんです! のどかですけど、なかなかいいところですよ、ウェスティアも」

「楽しみにしてるよ」



 ――冒険者は、自らの素性を基本的には明かさない。

 その慣例を真っ向から無視するふたりに、その連れのふたりは思わず目線を合わせて。



『ああ、お互い苦労しますね』



 と、なんとなく通じ合ったという。






■今回の用語:大街道

 王国の中心部を東西に一本、南北に一本走る十字の街道。

 気楽に移動したい場合に利用される、まさに王国の大動脈である。

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