1-14『髪を綺麗にする魔法』

 女盗賊が引き受けた仕事は、あくまで名目上《ダンジョンにおける護衛》だ。

 だがその言葉を、どこまで広く解釈するかは、お互いの契約次第である。


 この仕事を、学者の研究における《助手》と定義するなら、ダンジョン外での手伝いをすることまで含まれる――少なくとも女盗賊は、そういうふうに捉えていた。


「だからって掃除を手伝わされる謂れはない気がするが……」

「――あれ、ごめーん! 盗賊さん、何か言ったー?」


 部屋の奥から響いてくる、気の抜けるような学者の声。

 女盗賊の独り言を拾ったみたいだが、聞き取れはしなかったようだ。


 なら言っていないのと同じこと。

 都合よく、女盗賊は自分の言葉を捻じ曲げた。


「まだ蔵書をひっくり返すのか?」


 女盗賊は奥の部屋に向かって、視界に学者の姿を収める。

 ぼさぼさ髪の白ローブは、今日も書庫の中で大量の本に囲まれていた。

 手前の部屋にも本棚あったけれど、奥はそれ以上に本の海だ。


「あははは……。いや申し訳ないね、盗賊さん」

「別に構わないけど。最初からそのつもりで来てるから」

「うん。ここを発ったらしばらく戻ってこられないからね。今のうちにダンジョンで役に立ちそうな魔法を覚えておきたいと思ったんだけど……」


 今のところ、目ぼしいものは見つかっていない。


 ――初対面のときと同じく、場所は学者が持つ研究室。

 迷宮都市トラセアの隣、少しだけ北に位置する街――リンケードにある魔法大学の敷地内だ。

 王国内ではトップクラスのレベルを誇り、王都にある魔法の最高研究機関《愚者の樹海》にも多くの卒業生を輩出している。時には魔法師が教鞭を執ることもあった。


 顔合わせから数日。


『実はまだ大学に研究休みの申請を出してなくって』


 と学者が語ったことから、この先の方針は今のところ宙に浮いている。

 そもそも自分の依頼を受けてくれる冒険者など、そう簡単に見つからないと思っていたらしい。

 だからまず先に依頼だけ出しておいたそうだ。

 気持ちはわかると女盗賊も思う。


「そういえば、学者殿は《愚者の樹海》には行かなかったんだな」


 唐突な女盗賊の問い。

 学者は顔を上げ、ぼんやりした様子で訊き返す。


「うん?」

「いや、……学校から研究室を貰っているくらいだし、優秀なのだろう? 研究を主体とする魔法使いなら、《愚者の樹海》に行って魔法師資格を取るものだと思っていたが」


 少なくとも環境や設備を見るなら《愚者の樹海》が上だろう。教壇に立つ必要もないのだから、研究だけに集中できるはず。

 魔法の腕も、初めて見たときの通りなら、少なくとも足りないということはないはず。


「ああ……なるほどね。いや、それがそうでもないんだよ」


 だが学者は頬を掻いて、静かに首を振って答えた。


「そうなのか?」

「あそこはあそこで、派閥争いとか結構厳しいって聞くし。そりゃ出世してチームで何か研究するなら環境としてはいいけど、個人で研究するなら大学のほうが自由は利くんだ」

「……そういうものか」

「そもそも《愚者の樹海》は、魔法研究が基本だからね。ダンジョンの研究がしたいとか言ったところで、予算も下りないし、研究チームに入ってくれる魔法師もいないよ。なら開き直って、最初から個人でやったほうが気楽だ」

「…………」

「ひとり特級を取った後輩もいるけど、大変らしいって聞いてるし。そういえば、最近は連絡がないけど、元気にしてるのかな……」


 この辺りの機微は女盗賊にはわからない。

 ただ、ひとりのほうが気楽というのは共感できるところだ。

 それで納得することにした。


「お――この本はいいかもしれない」


 と、そこで学者が、手に取った一冊の本を眺めながらそんなふうに言う。


「何か見つけたのか?」

「うん。覚えてみるから少し待ってて」

「…………」


 あっさりと言ってのけるものだ。

 感心するべきか、使いもしない魔法の本を何冊も貯蔵していることに呆れるべきか。


 迷いながら待ってみる女盗賊の目の前で、学者は左手に持った本に目を落としながら、右手の指で宙をなぞっていた。これが彼の癖なのかもしれない。

 数分ほど無言のまま待っていると、やがてぱたんと本を閉じて学者は言う。


「うん、オーケー。これなら私でも使えそうだ。かけてみてもいいかな?」

「……まあ構わないが」


 警戒しないわけでもなかったが、嫌がってみせるのも悪いかと女盗賊は受け入れる。


 少なくとも、学者が持っている本のタイトルは『美容魔法概論』だ。

 危険はなさそうな気がした。

 そして、役にも立たなそうな気がする。


「――じゃあ、使うよ」


 軽く言って学者は手を振った。

 魔法をかけられた、と女盗賊も自らを包んだ魔力の気配で知覚する。

 魔力の気配はすぐになくなったが、魔法が終わっても特に気がつく変化はなかった。


「ああ、これは……あんまり意味はなかったかな」


 苦笑するように言う学者。

 女盗賊は首を傾げ、


「なんだ。魔法に失敗したのか?」

「いや、魔法自体はきちんと成功してるよ。ただ、……まあ見てもらうのが早いか」


 言うなり学者は右手の人差し指で、地面と垂直に虚空に円を描く。

 その軌跡に魔力が走る。

 円の形に光が走り、直後、円の中の光景が一変する。


「姿見の魔法だよ。見てみて」

「……魔法で鏡を作ったわけか。器用だな……」


 魔力の円は、勝手に女盗賊の目の前まで移動してきた。

 学者は軽く笑って、


「正確には、私の視界を映しているだけだけどね」

「そのほうが高度じゃないか……?」

「融通が利かないから、高度なことをしなくちゃいけないだけ、が正確だね。魔法という分野の厄介なところだよ、こういうのは」


 自嘲するような学者の言葉は半ば聞き流しつつ、女盗賊は魔力の円を覗き込む。

 と、そこには確かに見慣れた――いや、その割には少し様子が異なる、自分の姿が映り込んでいる。


 ――自分の顔は、こんな感じだっただろうか?


 何か違う気がした女盗賊だが、これはあくまで鏡ではなく《学者の目に映る自分》の姿だと思い出す。

 それなら、もしかすると認識による違いが何かあるのかもしれない。


 鏡から顔を上げて、視線を学者に向ける。


「それで、なぜ鏡なんだ?」

「うん。使ったのは《髪を綺麗にする魔法》なんだけど」

「《髪を綺麗にする魔法》? それを、どうダンジョンで役立たせる気なんだ……?」

「いやまあ、身嗜みを綺麗にしておくに越したことはないじゃない?」


 そういう言い方をすればそうかもしれないが。

 再び鏡を見る女盗賊。


「…………」


 肩ほどの長さの漆黒の髪。それがいつもより、かなり艶やかになっていた。

 かなりの変化だ。

 一度、髪を全て取り外してから、一本ずつ丁寧に汚れを洗い落とし、再び元に戻したかのような――ただ洗髪するだけではこうはならないという美しさ。

 一国の姫とまでは言わないにせよ、名のある一族の令嬢くらいなら騙れそうだ。


「これは――」


 すごい、と言おうと思った女盗賊だが。

 それにちょうど被るように、学者が息をついて言う。


「あんまり変わらなかったでしょ?」

「――――…………」


 ちょっと感動すらしていた女盗賊も、この学者の放言には思わず閉口した。


 それはどういう意味なのか。

 自分程度では、ちょっと髪が艶めいたくらいでは意味がないとでも言いたいのか。


 別に自分の容貌に自信があるわけではない。

 ただでさえ背が低いし、仕事だって決して清潔なイメージのものではない。

 ちんちくりんの盗賊など、女として魅力はないだろう。


 ――だからって、何もそんな言い方をしなくてもいいと思う。


 とはいえ、文句を言うのもなんとなく憚られた。

 彼女は何も言えず、その変化の少ない表情をわずかだけ歪めて、気づかれない程度に学者を睨むことで不満を表明した。


 もちろん学者は見事に気づかない。

 彼は笑顔のまま、


「盗賊さんの黒い髪は、魔法なんて使わなくても綺麗だったから」

「――――」

「この辺りじゃ珍しい色だよね。うん、綺麗なモノは綺麗にできない。――こういうのがやっぱり魔法解釈の限界なんだろう。そういう意味では結構、面白い本だったよ。時間があったら、今度しっかり読み込んでみようかな」

「――――――――」


 なんとなく。

 この部屋は暑いような気がした。


「あれ。どうかしたの、盗賊さん?」


 黙り込んだ女盗賊を見て、不思議そうに首を傾げる学者。

 どうかしたのかなんて問われても、そんなことは彼女にはわからなかったし、そもそもどうかしているとしたら学者のほうだと思う。

 ――やっぱり、口には出せないけれど。


 だから代わりに彼女は言う。


「――せっかくだし学者殿も自分にかけてみたほうがいい」

「え、私が!? いや、別に私が使う必要は――」

「身嗜みを綺麗にしておくに越したことはない。そう言ったはず」

「えぇ!? そりゃ言ったけど……!」

「早くやるべき。わたしにはかけたのに自分はやらないとか、そういうのは、……ずるい」



 ――その後。

 学者の乱れた癖っ毛が、すっかりまっすぐになったのを見て彼女は満足した。






■今回の魔法:髪を綺麗にする魔法

 正確に言えば《汚れを落とす》という意味合いの魔法。

 だが、解釈力の高い技術ある魔法使いが使えば、髪の質そのものを向上させられる。

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