三分間の永遠

諏訪野 滋

三分間の永遠

 俺には三分以内にやらなければならないことがあった。

 陸上競技場内へと入るゲートをくぐり、四百メートルトラックを約四分の三周走り抜け、フィニッシュラインを身体のトルソーで越える、ただそれだけ。陸上競技においては、フィニッシュラインを頭・首・腕・足を除いた胴体部分すなわちトルソーが越えることで、初めてゴールとして認められる。

 しかし百メートル走者ならいざ知らず、今の俺にとってはフィニッシュラインを超えるのが手足だろうが体幹だろうが、ほとんど誤差でしかなかった。何しろすでに俺は二時間五十七分もの間、アスファルトをひたすら蹴り続けているのだ。秒にすれば一万六百二十秒。だが俺に残された時間は、あとわずか百八十秒しかない。




 サブスリー。フルマラソンのタイムで三時間を切ったもののみに与えられる称号。フルマラソン完走者のうち、実に上位の三・八パーセントがサブスリーであるという。男性では四・五パーセント、女性では実に〇・七パーセントの狭き門だ。

 だがもちろんサブスリーは確率の世界ではない。達成するための動機、計画、そして何より意志と忍耐が必要であるのは、なにもマラソンに限った話ではなく、事業や学業、芸術の分野にすらもそれは当てはまる。

 そして俺にとって、サブスリーは魔物だった。学生時代も含め陸上経験など全くなかった俺は、走り始めた動機なんて全く覚えていない。あえて理由を探せば、慣れない社会人生活からの逃避でもあっただろうか。だがふとしたある日、ひょっとするとサブスリーに手が届くのではないか、ということに気付いた瞬間、俺はすべての練習でタイムを意識するようになった。

 陸上競技雑誌や、ネットに示されたあらゆるサブスリーランナーの練習日誌。俺はサブスリーになるためのあらゆる情報を欲した。五千メートルのインターバルが最重要、月間走行距離が四百キロは必要、三十キロ走を毎週一回繰り返せ……俺はそれらのすべてを試してきた。そして、実際にサブスリーを達成しているランナーの練習タイムに遜色そんしょくのないレベルまで近づいてきたことは実感していた。

 だが、フルマラソンでは何が起きるかわからない。娯楽のつもりで気楽に参加してきた今までの大会でさえ、途中で足が動かなくなり半ば歩きながらゴールすることもあった。そんな俺が全力で三時間切りを目指すのだ、いくら練習したところで不安が消えるはずもなかった。




 熱を持った身体を冷却するために、少しでも顔に風に当てようと、俺はサングラスをひたいの上に上げた。走りながら距離と時間の関係を計算することには、練習の時点ですでに十分すぎるほどに慣れていた。一キロを四分十五秒平均で走れば、二時間五十九分二十秒でフルマラソンをゴールすることができる。だが言うまでもなく、俺は機械ではない。三十キロまでをキロ四分五秒程度で駆け抜けて貯金を作ったつもりの俺のラップは、十二・一九五キロを残して急激に落ちてきていた。一度給水を失敗したことによる脱水、それに加えて右足裏にできたマメがつぶれてかなりの痛みが生じていた。もちろん両大腿の筋疲労は極限に達しており、継続と棄権のぎりぎりの境界線で綱渡りを演じている。


 そして俺は今、残された最後の三分間にけている。スポーツウォッチでそれを確認し、さらに数十秒走ってようやく、「あと五百メートル」と書かれた表示板を過ぎた。口の端からよだれが流れるのを感じたが、脚どころかもはや腕にすら、それをぬぐう力は残されていない。

 競技場のゲートをくぐると、急に視界が開けた。茶色いタータン敷きのトラックが、緩やかな弧を描いてフィニッシュラインまで続いている。俺は左手に待ち受けるゴールを横目でちらりと見ながら、かすむ頭の中で再び計算した。三百メートルを残り一分半。一キロを五分ちょうど、普段の俺ならジョギング程度の楽勝なペースのはずだった。だが、動かない。次々とゴールする先行者をたたえるアナウンス、観客の声援、耳元でうなる風の音。すべてが俺の脚と同じくスローに流れていく。




 どうでもいいじゃん、サブスリーとか。ただ単にきりがいい数字ってだけで、二時間五十九分五十九秒と三時間〇分一秒との間に、いったい何の違いがある? 誰かに自慢したいってんなら止めやしないが、お前はそんなつまらない虚栄心のために、年間五千キロ以上の距離を練習してきたのかい?

 知り合い同士とかチームとかで楽しく走って、完走した後に打ち上げで「今回も駄目でした」とかいいながら、和気あいあいと反省会をみんなで囲んだりすれば、それなりに充実感があるんじゃねえのか? だいいち今時流行はやらねえぜ、タイムとか順位とか。幼稚園の運動会だって見てみなよ、手をつないで皆でゴールテープを切るってのが、今の世の中さ。




 俺はこみ上げる吐き気と戦いながら、声にならない叫びをあげた。馬鹿が。俺は今日、サブスリーを越える。

 俺はただ、生きているって実感したいのさ。閉じ込められた予定調和の世界の外にある、肉体の限界を超えたぎりぎりの瞬間で。たとえこのコースが、誰かに与えられたイミテーションの戦場だとしてもな。それがサブスリーだろうが、上位三・八パーセントだろうが、自己満足のちっぽけなプライドだろうが、利用できるものはすべて利用してやる。なんだっていい、いますぐ俺をばらばらに壊してくれ。




 あと百メートル、最後の直線に入った。残り時間はすでに三十秒を切っている。短距離走者なら鼻で笑う状況だが、俺にとっては永遠にも等しい。

 後ろに流れていくのは、汗か涙か。

 ああ、この感じだ。

 心の臓が沸騰する、肺が焼けていく……

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