変化

「十緒子が何か書いたのか」


 格子戸を潜り抜けた伯父は、興奮したように髪を振り乱し、異様にぎらつく目で彼らを見下ろしている。カメラで見ていたのだろう。静と陽は咄嗟に十緒子を守るようにその前に出た。


「ラクガキしてただけだよ」


「見せなさい」


 普段の伯父とは違うきつい口調に、双子は怯えつつも文机の前を動かずにいた。男は焦れたように歩を進め、2人の間に割って入り、十緒子の手元から和紙を奪った。足のたくさんある虫のような文字が、紙面いっぱいにうねうねと書き散らされている。


「なんだこれは。どういう意味だ」


「だから言ったでしょ。ただのラクガキだよ」


「そんなはずはない」


「いとしと書いて藤の花だよ。から聞いたお話を十緒子にしてたの」


「本当か?あいつも嘘をついていたからな。本当はお前たちも聞こえるんだろう」


 双子がぎくりと肩を強張らせると、伯父はますます興奮して血走った眼で詰め寄って来た。強い力で肩を掴まれた静は、痛みに耐えながら伯父の薄い瞳を睨み返した。


「しらない」


「近頃、お告げが当たらないのは、力が弱まってる所為せいだと思っていたが……お前たちが隠していたんだな」


「しらないったら!」


 静の声が悲鳴のように響く。文机が揺れ、傾いた墨池から零れた墨汁が十緒子の指先を濡らした。


『相変わらずうるさい男だの……』


 鈍い色を照り返す金屏風がカタカタと音を立てて揺れる。白い体はゆらりと宙に浮き、長い髪が虹色に輝いて重力に逆らい広がる。色の洪水。紫の目がひたと尚克を捉えた刹那、男の体は木っこっぱのように背後に弾き飛ばされた。


「ぐはっ……」


『この子達に手を出すな。縛られておってもこのくらいはまだ出来るぞ……と、伝えろ』


「でも……」


 意思の疎通をできることが知れてしまう、と言外に滲ませた陽と静に、十緒子は鷹揚おうように頷いてみせた。眩いばかりに輝く身体が、牢の中の白壁に照り返し、辺りを昼間のように染めている。


『なに、利用してやれと言うたであろ。そなたらを害すれば何も得られんと教えてやるいい機会だ』


「僕らに手を出すと、何も教えないって言ってます」


「ふん」


 だが、木格子に掴まりながら立ち上がった尚克は、乱れた前髪の間から剣呑な眼差しを十緒子に向け、口の中で何かブツブツと呟き始めた。単調な低い声で呟かれる言葉の羅列は、少年達には意味不明だったが、十緒子は胸を押さえ苦しみ始めた。

 光は消え、白い体がみるみるうちに黒ずんで闇に沈む。苦悶の表情を浮かべ、それでも尚克から逸らさない瞳だけは、燭台に灯された蝋燭よりもなお炯々けいけいと燃えている。


「逆らおうなどと思うな。指図できる立場か」


「おじさん、やめて!十緒子が消えちゃう!」


 陽と静は泣きながら叫び、尚克に縋りつこうとした。が、その瞬間、彼の体がぐらりとかしぎ、畳の上に膝を突く。呻き声と共に口から赤い飛沫が青い畳の上に飛び散る。白と紫の色を取り戻した十緒子は、何事もなかったように身体を起こし、蹲っている尚克に虫けらを見るような目を向けた。


『……ふん。初代と比べて大した力もないくせに、お前に使役の呪は使いこなせまい。下手に扱えば自分の命を縮めるぞ』


「それ使ったら死ぬって言ってるよ、おじさん」


「……」


 尚克は畳の上に飛び散った血痕を虚ろな眼差しで見つめていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。そして取ってつけたような卑屈な笑みを浮かべて十緒子の前に這いつくばり、おもねる声音で謝罪を繰り返した。


「申し訳ございませんでした。陽様、静様。これからも何卒我が一族の為にお力をお貸しいただきたく……」


 あまりの変わり身の早さに驚く間もなく、彼は少年達にも深々と頭を下げる。なりふり構わないその態度に、陽と静は顔を見合わせた。そうまでして得たいものとはなんだろう。優しい両親に愛され、伸び伸びと育ってきた彼らには、伯父の心の内にある鬱屈など計り知れるものではなかった。


 その日から、陽と静は、神託を伺える神子みこの扱いを受けることになったのである。

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