いとしと書いて藤の花

鳥尾巻

土蔵

 10歳の双子のはるせいは、両親を事故で亡くし、遠縁の家に引き取られた。今まで行き来のなかった松枝まつがえ本家の遣いが現れたのは、細やかな雨が柔らかく降る春の日のことだった。


 呆然としている間に、諸々の手続きは完了し、2人は緑深い山間やまあいにある本家まで連れてこられた。永遠に連なるかと思われた黒板くろいたの塀を過ぎ、重厚な欅門の内側に入ると、昔ながらの日本家屋が少年達を出迎える。

 急激な環境の変化に悲しみを覚える暇もなくすくんでいた兄弟ではあったが、迎えてくれた家の者はみな親切で、当主である伯父、松枝まつがえ尚克なおかつも穏やかで柔和な男だった。

 

「家や庭を探検してくるといいよ」と言われるまま、静は陽の後について、広い日本庭園に点々と置かれた黒曜の飛石とびいしの上を歩いていた。柔い青苔の中に置かれたつくばいの周りをぐるりと巡り、裏の山肌の自然と一体となった奥に進むと、2本の赤松の大木と間に生える藤が寄り添い合うように立っている。

 その陰に隠れるように立つ白壁の土蔵を見つけたのは、静だった。黒い鬼瓦を冠した破風、置き屋根と白漆喰の塗られた真壁しんかべの、昔ながらの土蔵である。

 少年達は、町ではなかなか見ることのできない土蔵に物珍しさを覚え、中を覗いてみることにした。近づけば塗籠ぬりごめの観音扉も奥の白戸も開かれていて、まるで2人を誘うように網戸が僅かな隙間を開けていた。

 

 石造りの煙返けむりかえしを踏み越え忍び込み、明り取りの窓から斜めに差し込む外の光を頼りに進む。仄かに黴の臭いが漂う中、彼らには使い途も分からない古い道具が整然と並ぶのを興味深く眺めていく。その奥に、積み重ねた篭の陰に隠れるように四角い間口と、そこから続く急な階段が真っ暗な口を開けていた。


「どうする?静。下に降りてみる?」


「暗くて怖いからイヤだ」


 好奇心旺盛な陽に比べ、静は臆病な性質たちだ。自分と同じ顔をした兄を、静はじっと見つめる。一族の特徴なのか、両親も彼らも色素が薄く、細い茶色の髪とガラス玉のような茶の瞳を持っていた。

 言い出したら聞かない陽は、止めても降りて行こうとするだろう。ただでさえ薄暗い蔵の中、冥府の底に続くような昏い階段の奥を、キラキラした目で見つめる陽を信じられない思いで睨む。

 

「おや、もうここを見つけたのか」


 急に後ろから声を掛けられて、2人は文字通り飛び上がった。白髪交じりの髪を後ろに撫でつけた伯父は、叱る風でもなく目尻の皺を深め、楽しそうに少年達を眺めている。静は慌てて頭を下げた。


「ご、ごめんなさい」


「謝らなくていいよ。ちょうど良かった。君たちに紹介したい子がいるんだ」


 そう言うと尚克なおかつは、近くにあった棚から手持ちの燭台を出し、黄味がかった和蠟燭を立てて火を灯した。一連の動作を興味深く見つめていた陽だったが、ふと気づいて尋ねた。


「懐中電灯は使わないの?」


「強い光は駄目なんだ」


 何が駄目なのか説明はない。微かに音を立てて燃える蝋燭の光はゆらゆらと揺れ動き、穴倉の中に降りて行くにはいささか心許ない。だが、尚克は頓着せず燭台を手に先頭に立ち、狭く急な階段を慎重に降り始めた。3人は下まで降り切ると、外壁と同じ白塗りの壁伝いに、狭い廊下を奥へと進む。橙色の光を放つ蝋燭の温かさとは裏腹に、揺れる影は彼らを喰らう怪物のように膨らんで、悪い夢の中にいるようだ、と静は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る