あれから10年の月日が瞬く間に過ぎた。


 月も星もない夜だった。青黒い空を薄い灰色の雲が流れていく。

 成人の儀を終え、一族が集まる宴席を抜け出した陽と静は、闇に紛れて十緒子の待つ土蔵へと向かった。陽と静は、十緒子の助言に従い勉学を修め、比較的恵まれた環境で過ごせたことには感謝していたが、彼女の犠牲の上に一族の繁栄が成り立つことを許容した訳ではなかった。

 ただただお互いの魂をすり減らすようなやり取りは一度きりで懲りたのか、伯父はあれ以来、強い態度に出ることもなく、双子の口から語られる十緒子の詞に唯々諾々いいだくだくと従っていた。今夜の宴も彼女の指示だ。


 通い慣れた土蔵への道を辿り、十緒子の元へ降りて行く。十緒子が望んだ訳でもないのに、機嫌を取るように豪奢に飾り立てられた牢は、木の格子さえなければ高貴な姫君の居室にも似ている。だがそこに倒れ伏した白い体は今や消えそうに薄れ、蝋燭の灯りにさえ揺らいでしまいそうに見えた。

 

「十緒子」


『……』


「さあ、外に出よう」


『夢を見ていた……』


「十緒子も夢を見るの?」


 ぼんやりと目を開けた十緒子は、陽と静の顔を見て、花が綻ぶように笑った。


『そなたらとあの山で初めて会った時の夢だ……懐かしいのう』


「僕らが出会ったのはここだよ」


『……そうか。そうであったの』


「起きられる?」


 十緒子は億劫そうに身を起こし、無言で陽に手を差し伸べた。明るく活発な陽は頑健に育ち、小柄な彼女の体を軽々と持ち上げる。物静かで知識欲旺盛な静は、門外不出の一族の文献を漁り、今日の為に解呪のことばを会得していた。

 3人は金屏風の前に立った。陽が十緒子を抱いて後ろに下がると、低い詠唱の声が響き、静が燭台の蝋燭の炎を屏風に近づける。まるで意思を持った生き物のような炎の舌が、松と藤の間を滑っていく。赤い炎の中に緑青と薄紫の火柱がパチパチと弾け、屏風全体を覆い燃え上がる。火は畳や調度品にまで燃え移り、踊るように部屋全体を満たし始めた。


『外へ』


 3人は炎と煙から逃れ、土蔵の外へ走り出た。藤の木に近づくにつれ十緒子の体は薄く光り、白かった髪は藤色に変わり始めた。輪郭ははっきりと保たれ、肌は生まれたての瑞々しさを取り戻したかのようだ。


『外に出るのは久方ぶりだのう』


 人間には想像もつかない長い時を、土蔵の中で過ごしたであろう十緒子は、嬉しそうに空を見上げた。もはや彼女を縛るものは何もない。陽は藤の根元に彼女をそっと下ろし、万感の思いを込めてその髪を撫でる。


「あの日、十緒子は僕らに力を授けてくれるって言ったけど、いらないからね」


「もう十分色んなものを授けて貰ったよ」


『若者は遠慮するでない。貰えるものは貰っておけばよい』


「ふふふ。十緒子ならそう言うと思った」


「ありがとう」


 静もしゃがみ込んで十緒子の小さな手を握る。初めて触れた時に震えた冷たさが、今は切なくも愛おしい。別れの時が近づいている。彼らは名残りを惜しむように黙したまま、しばらく風の音に耳を澄ませていた。

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