終焉

 不意に風の音に混じり、乱れた足音と獣のような唸り声が近づいてきた。


「お前たち、なんてことをしてくれたんだ!」


 酔いと怒りに目を濁らせた尚克は、手に斧を持ち、背後に数人の男達を従えていた。だが陽も静も慌てることなく、冷めた目つきで伯父を見返した。


「もういい加減、十緒子に頼るのはやめよう。伯父さん」


「うるさい!あいつとそっくりな目をして見下しやがって!」


「だから僕たちの親を殺したの?あの事故には不自然な点が多かったって再捜査が始まってるよ」


「お父さんは言いなりにならなかったみたいだけど。神子を子供のうちに懐柔しておけば、自分たちに都合がいいもんね」


「それがどうした。私には一族を纏める責任がある」


「そんなもの……さっさと捨ててしまえばよかったんだよ。お父さんみたいに」


「うるさい!うるさい!うるさい!弟と比べ続けられた私の気持ちが分かってたまるか!」


 尚克はふらつく足取りで斧を振り上げ、陽と静に襲い掛かる。だが、力のない一撃は難なく躱され、男は藤の根元に倒れ込んだ。それでもふらふらと立ち上がった尚克は、往生際悪く斧を振り上げた。


「こんな、こんな藤……役にも立たぬなら切り倒してやる!!」


「やめろ!」


『……どこで道をたがえたか』


 それまで黙っていた十緒子が不意に動く。聞き分けのない子供を眺めるように、憐れみを含んだ眼差しで、尚克に指を伸ばす。

 その背丈は大人の女性のものとなり、花嫁衣裳のような白装束に身を包み、長い藤色の髪が足元まで覆っている。彼女は何をするでもなく、樹齢の分からぬほど年経た松の幹にもたれかかっているだけだ。しかし絡みついた蔓は尚克に伸び、老いた男の身体を巻き上げた。細い葉が慈しむようにその萎びた頬を撫でる。背後に控えた男達のどよめきもにわかに強く吹つけた風のざわめきにかき消される。


『子供の頃はあんなに妾に懐いておったに』


「十緒子」


『愚かよの』


「十緒子、十緒子、なぜ何も言ってくれないんだ」


『聞かなくなったのは……忘れたのはそなたの方だ。そなたにもあの唄を教えたのにな』


「十緒子……ゆるしてくれ」


 尚克は幼い子供のようにくしゃくしゃと顔を歪め、涙を零した。無造作に解かれた蔓に投げ出され、地面に転がる姿は、いつかの卑屈な男の有り様を彷彿とさせた。沈黙が彼らを包み、眼下を臨めば山間の道を赤いランプの車体が数台、明滅しながら登ってくるのが見える。

 滅多なことでは壊れないはずの土蔵が、波にさらわれる砂のように下から崩れ落ちていく。


『さて、これで本当にお別れだな』


 十緒子は呟き、双子の方に蔓を伸ばした。彼らの体にそっと触れた枝先が仄かに藤色に光る。不思議な気配が身の内に満ちるのを感じながら、陽と静は枝先を握り、握手のように軽く振る。


「さよなら、十緒子」


「さよなら」


 嫣然えんぜんと微笑んだ十緒子は徐々に体を薄れさせ、樹の中に溶け込んでいく。眺めるうちに、古めかしい衣装を着た若者が2人、彼女を出迎えるように両側から包み込むのが見えた気がした。


『あな、うれしや』


 その声は唄うように風に乗り、遠くの山々に木霊してうっすらと消えて行った。


 


 数か月ののち、季節は初夏。


 訪れる者のない屋敷は荒果て、草木が生い茂る。かつての庭に聳える松は針のごとき松葉を青々と茂らせ、幹に絡みつく藤はあでやかな紫色の房を垂らし、静かに揺れていた。


【完】

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