十緒子
陽と静はいそいそと十緒子に近づき、なるべく動きがよく見えるように大きくゆっくりした仕草で手の平を差し出した。十緒子は紫色の瞳を半ば閉じ、小首を傾げてその手をじっと見ている。
「十緒子ちゃん、よろしくね」
『はあ、かったるいのう……やっと行ったか』
「え?」
「なんか言った?」
『静かに。そなたらが来るのを待っておったぞ』
陽と静は顔を見合わせた。古めかしい口調の大人の女性の声が直接頭の中に響いてくる。十緒子は無邪気そうな笑みを浮かべ、そっと静の手を握った。小さな手の冷たい感触に、微かな寒気を覚え、静は小さく身を震わせた。
『この部屋には天井の四隅に姿を映す仕掛けがある。向こうに声は聞こえぬが、可笑しな真似はしないほうがいい。分かったか?分かったら
2人は呆気に取られたものの、子供の柔軟さで以て事態を飲み込み、十緒子の手を握り返す。静が目だけで天井を確認すると、そこには小型の監視カメラが仕掛けられていた。十緒子は満足げに頷いたが、彼らの頭の中には不満そうな声が届いた。
『当主の話は嘘っぱちよのう。妾は騙され
「どうして?十緒子は伯父さんの娘じゃないの?」
静は口元がよく見えないように俯いて、小さな声で十緒子に尋ねた。だが一方的に話しかけたとしても、十緒子の口は動かないので、カメラの向こう側に伝わる心配はないだろう。
『あんな男のむすめであってたまるものか。妾は人の子ではない。あやつが妾をここに留め置いておるのは、遠見の力を使って富を築く為。捕らえられて以来、声も封じられ歴代当主に搾取され続けておる。長く繋がれておるから弱ってこんな
「とおみって、さくしゅってなあに?」
『む。遠見は予言のことだ。搾取とは褒美もなくやりたくないことをやらされること。勉強せえ、若いの』
年端も行かぬ少女に「若いの」呼ばわりされた陽は、呆気に取られてパチパチと目を瞬いた。静は身を乗り出し、十緒子の紫の瞳を覗き込む。
「でも、僕たちが伯父さんに言いつけたらどうするの?」
『先刻言ったであろう。妾には未来が視えると。そなたらは絶対に裏切らないと知っている。そなたらの父も聞こえてはいたが、強欲なあの兄に嫌気が差して出て行ってしまっての。どのみちあの男はそなたらを使って妾からの言葉を聞き出すはず……。ほれ、いつまでもじっとしていると怪しまれるから、お手玉でもして遊ぼうかの』
「僕、お手玉やったことないよ」
渡されたちりめんの小さな玉が、手の中でシャラシャラと音を立てる。伯父の話ではよく見えていないはずなのに、十緒子はお手玉を宙に投げては器用に受け止めている。陽と静は見様見真似でお手玉を投げるが、十緒子のように上手く行かない。受け止め損ねた朱の玉が、落ちた椿のように畳に散らばる。十緒子は呆れたように細く息を吐いた。
『まったく不器用なことだ。まあよい。遊びながら聞け』
「はあ」
『妾の本体は、藤だ。ここへ来る時見ただろう』
「うん」
『して、力の源の半分は、この屏風の中に封じられておる。己の力ではこれを壊すことも出来ぬのだ』
「壊してあげようか?」
『待て待て、陽。これだから若い者は気が短くて困る。そなたらはまだ子供であろう。妾を解き放てば、この家はまもなく没落する。さすれば強欲なあの男が、そなたらを大人になるまで育てるはずもなかろ。大人になるまで適当にあやつを利用して勉学に励め。人の世で独り立ちできる頃に解き放つと誓うならば、妾の力をそなたらに少し授けよう』
人の子ではないと言いながら、妙に人の世の道理に詳しいのは、彼女が言う通り、長く現世に留まっているからだろうか。静はお手玉の扱いに四苦八苦しながら尋ねた。
「僕らのこと心配なの?」
『そなたらの父には世話になったのでな。これは取引だ。どのみちこのままでは、妾も消えてしまうばかりだからの。どうだ?』
「でも未来は視えてるんでしょ?」
『そうだ。だが言葉で誓え。言の葉の
「なんて言えばいいの?」
『言葉はなんでも良い』
受け取る素振りで両手を差し出す十緒子に、陽と静は持っていたお手玉を差し出す。光るように白く柔らかな手の平に触れ、精一杯の気持ちを込めて、小声で「誓う」と呟いた。
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