第2話 本編

 本編

 スポット1


 伊香保温泉石段街の一番下は、ちょっとした広場になっている。

 ここは、『だんだん広場』と言うらしい。

 正面を見ると、幅の広い石の階段が、暗くなり始めた空に向かって続いている。


 石段の中央は、ライトアップされていた。

 その部分は、一段下がった形になっていて、お湯が流れているのである。

 「それは湯滝と言って、伊香保の温泉水が流れているんだよ」

 お湯の流れを覗き込むぼくに、おじいちゃんが教えてくれた。

 「伊香保温泉には、昔、よく、ばあさんと来たんだよ」

 おじいちゃんは目を細め、懐かしそうに言う。

 「デート?」

 ぼくが聞くと、おじいちゃんは「わははははは」と楽しそうに笑った。


 「石段は三百六十五段。ちょうど一年の日数と同じだな。

 のぼってくいと、両脇に飲食店や土産物屋、温泉や旅館が並んでいるんだ。

 そして、のぼりきったところには伊香保神社がある」

 おじいちゃんは、なぜか自慢そうに言う。


 「泊まる宿は、てっぺんの手前になるが、それでも二百段よりは上だぞ。

 途中でへばったりしないか?」

 「大丈夫だよ」

 ぼくが答える。


 「おじいちゃんこそ、途中でへばったりしない?」

 「わはははははは」

 ぼくの言葉に、おじいちゃんは笑い声で応える。

 

 ぼくたちは石段をのぼり始めた。

 

 スポット2


 石段の両脇には、おじいちゃんの言った通り、土産物屋さんが並んでいた。

 食べ歩きに、ちょうどいい串や饅頭も売っている。

 

 石段は、ずっと階段が続いている訳では無く、途中に幾つもの平坦な部分がある。

 踊り場と呼ばれるスペースだ。

 その踊り場のひとつにたどり着いた時、ぼくは妙なものに気付いた。

 馬のプレートである。

 馬の顔のプレートが、石畳の端に埋め込まれていたのだ。

 プレートには、馬の図柄だけでは無く『午』という漢字も彫り込まれていた。

 『馬車』や『乗馬』に使う漢字の『馬』ではなく、『午前』や『午後』の漢字に使う方の『午』である。

 と言うことは、この馬の絵は、干支の午なのかな?


 ぼくは周囲を見回した。

 あった。

 斜め前の石畳にも、何かのプレートが埋め込まれている。

 そばまでいくと、それは犬のプレートであることが分かった。

 こちらも、『柴犬』や『番犬』に使う『犬』ではなく、干支に使われる方の『戌』の漢字が彫られていた。


 ぼくは、さらに周囲を見回した。

 だけど、もう干支の動物を彫り込んだプレートは見つからなかった。

 おかしい。

 干支は、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の順番に並ぶ。

 ならば、『午』の近くには『巳』か『未』があるはずだし、『戌』の近くには『酉』か『亥』があるはずだ。

 でも『巳』も『未』も、『酉』と『亥』も見つからない。

 

 「お、干支に気が付いたか」

 おじいちゃんが、『戌』のプレートを見ているぼくに声を掛けた。

 「『酉』と『亥』は通り過ぎたが、気が付かなかったか?」

 「『酉』と『亥』もあったんだ」

 ぼくは驚いて、のぼってきた階段の方を見た。


 「十二支だよね。

 順番通りには並んでいないの?」

 「ああ、十二支だけど、並ぶ順番はバラバラだな。

 なんでも、江戸時代に、伊香保には大きな温泉宿が幾つかあって、その中の十二人が干支を名乗っていたと聞くな。

 干支がはめ込まれた場所に、それぞれ屋敷を持っていたらしいぞ」

 なんだか、分かるような分からないような話だった。

 ただ、伊香保温泉に古い歴史があることは分かる。

 

 「さあ、行こうか。

 上の方には、与謝野晶子が詠んだ歌が彫られている石段もあるんだぞ」

 おじいちゃんは石段を進みはじめた。


 スポット3


 おじいちゃんは、階段の途中で立ち止った。

 他の人の邪魔にならない場所に移動し、上の石段を眺め、何度も頷きながら、ゆっくりと視線を足元の石段まで移す。

 「おじいちゃん、何をしてるの?」

 「ここだよ、ここ」

 おじいちゃんは、嬉しそうな顔で、自分の立っている石段を見た。

 「この石段が、ちょうどお前が生まれた日の石段なんだ」

 

 ぼくは、おじいちゃんの言う意味が理解できなかった。

 「石段は、三百六十五段あると言っただろ。

 一月一日生まれの子は、一段目が誕生日の石段だ。

 二月一日生まれの子は、三十二段目。

 三月一日生まれの子は、六十段目」

 「ああ、そういうことか」

 ぼくは、おじいちゃんの言うことが理解できた。

 一段を一日と数えると、一段目の一月一日から数えて、この石段が、僕の誕生日にあたるのだ。


 石段には、今、何段目かを教えてくれるプレートが、所々に打ち込まれている。

 『81段/365』や『100段/365』と言った感じである。

 おじいちゃんは、少し上の石段にあるプレートを見て、そこから一段ずつ逆算し、今立っている場所が、ぼくの誕生した日だと導き出したのだ。

 「へーー、なんだか嬉しいな」

 ぼくは笑顔になって、おじいちゃんの横に立った。

 

 スポット4


 おじいちゃんと途中の土産物屋をのぞいたり、休憩したりしながらのぼっていたら、すっかりと暗くなってしまった。


 石畳の場所で振り返り、のぼってきた石段を見下ろすと、街灯の灯りが連なり、幻想的な風景が広がっていた。

 そろそろ、予約していた旅館につくはずである。

 

 ぼくは進行方向に向き直った。

 「……あれ?」

 そのとき、足元に新しいプレートを見つけた。

 そのプレートは『猫』であった。

 ネコ?

 『猫』は干支にはいない。

 干支とは関係の無いプレートなのだろうか?

 おじいちゃんに聞いてみようと顔をあげると、おじいちゃんは、すでに次の石段をのぼり始めていた。

 「おじいちゃん、ちょっと待ってよ」

 ぼくは、おじいちゃんを追いかけた。

 あの『猫』のプレートは何だったのだろう。

 暗くて、はっきりとは見えなかったが、尻尾が二本あったようにも見えた……。


 スポット5


 次の石畳には、『狸』と『狐』のプレートが埋め込まれていた。

 『狸』も『狐』も、ニタニタと笑っている。


 横を見ると、そこには足湯があった。

 もうもうと湯けむりが立ち、その中に、長椅子に腰を降ろし、足湯を利用している人影らしきものが見えた。

 「こんなところに、足湯があったかな?」

 おじいちゃんがつぶやく。


 「ささ、一緒に足湯を」

 「どうぞどうぞどうぞ、どうぞどうぞどうぞ」

 「疲れが取れますぞ」

 足湯を利用している人影が、親しげに声を掛けてくる。

 湯気が濃く、人影がはっきりと見えないほどであった。

 ただ、ちらちらと見える人影は、バランスがおかしかった。

 肩が不自然なほど盛り上がっている。。

 腕が異様に長い。

 頭が無い。

 そんな風に見えるのだ。


 「お気遣いなく」

 おじいちゃんはそう返すと、ぼくの肩を抱くようにして石段をあがった。


  スポット6


 「……くくくく」

 「……ひひひひひ」

 「……ふふふ」

 「……あはあはあは」

 しばらくすると、石段の周囲から、変な笑い声や息遣いが聞こえて始めてきた。

 笑い声のした方に目を向けても何もいない。

 目を向けた方向とは、逆の方向から、別の低い笑い声が聞こえてくる。

 「おじいちゃん」

 ぼくがおじいちゃんに声を掛けたとき、前から声がした。

 「お迎えに参りました」


 ぼくとおじいちゃんがを向けると、半纏を着た中年の男が立っていた。

 小太りで、丸い目をしている。


 「あんたは、どなたかな?」

 おじいちゃんが問いかける。

 「ここりの宿の者でございます。

 お連れ様が、お待ちになっておいでです」

 

 ここりの宿?

 泊まる予定の旅館の名前は、そんな名前だっただろうか?

 そんな気もするし、違った気もする。

 「ご案内いたします」

 ぼくが、旅館の名前を思い出そうとしていると、男の人は石段を外れ、横道へと入った。


 スポット7


 横道に入ってすぐに、ここりの宿はあった。

 木造の建物は黒く、中から淡く黄色い明かりが漏れている。

 玄関には、『古い』『狐』『狸』『野原の野』そして『宿』と書かれていた。

 『古い』『狐』『狸』『野原の野』の四文字で『ここりの』と読ませるのだ。


 半纏の男は、がらがらと玄関の引き戸を開いた。

 「さあ、どうぞ」

 ぼくとおじいちゃんを旅館内へ招き入れようとする。


 旅館の中からは、妙になまぐさい匂いが漂ってきた。

 玄関は明るいのだが、奥は妙に薄暗い

 ぼくは、どうするのかと不安になり、おじいちゃんを見上げた。


 「そろそろ、頼んでいた貸切り風呂の時間だが」

 おじいちゃんは、玄関に入らずにそう言った。

 「はいはい。馬の湯殿をご用意しております」

 半纏の男が答える。

 「おかしいな。どうして、その湯殿に決まっているのか?

 五つある貸切り風呂の中から、気に入った風呂を選べるはずだが」

 「申し訳ありません。ほかの四つは故障しておりまして」

 「食事は?」

 「馬の間に、ご用意させて頂いております」

 「まだ、時間が早いな。しかし、小腹が空いておるわ。

 食事の前に、夜泣きそばを食べさせてもらおうか」

 「あいにく、本日はお客様が少なく、夜泣きそばのご用意は……」

 半纏の男は、困った顔でもじもじとする。


 「五つの貸切り風呂から、好みの湯を選べる。

 夜泣きそばを楽しめる。

 わしは、そう言う宿泊プランを選び、支払いを済まさせたはずだがのう。

 納得がいかんわ。

 女将を呼んでもらおうか」

 「申し訳ありません。

 ただいま、呼んで参ります」

 半纏の男は、慌てて建物の中に引っ込んでいった。


 「おじいちゃん。なんだかおかしくない?」

 ぼくは不安になって、おじいちゃんを見上げた。

 「心配いらんよ」

 おじいちゃんは、笑みを浮かべていた。


 そうしていると、中から着物姿の中年女性が、半纏の男性に連れられてやってきた。

 この旅館の女将なのだろう。

 男性とは違い、やせぎすの女性である。目も糸のように細い。

 「お客様、大変な失礼をしてしまい、申し訳ありません。

 十分な謝罪をしたいと思いますので、まずは中へ……」

 「まあ、その前に、これを見てもらおうかな」

 ペコペコと頭をさげる女将に、おじいちゃんは掌を合わせた両手をひょいと差し出した。

 

 ……?

 合わせた掌の間に、何かがあるのかと思ったのか、女将と半纏の男は首を伸ばし、顔を突き出すようにして、おじいちゃんの合わせた両手に顔を寄せた。

 

 二人が充分に顔を近づけてきたところで、おじいちゃんは両手を大きく左右に広げた。

 そして、勢いをつけて、再び両手を打ち合わせた。

 女将と半纏の男の鼻先で、パンと大きな音が鳴った。

 その音に合わせ、目の前の旅館の明かりが消え、次の瞬間、建物もぐにゃりと歪んで消え去った。

 ぼくとおじいちゃんは、路地を少し入った場所に立っていた。

 少し先の暗がりを、二匹の動物が素早く逃げていくのが見えた。

 

 「伊香保温泉街に、そんないい加減な旅館があってたまるか」

 おじいちゃんは、おかしそうにそう言いった。

 「さあ、戻ろうか」

 おじいちゃんは、ぼくの肩を叩き、石段のある表通りへと戻っていった。


 スポット8


 ぼくたちは、石段のある表通りへと出た。

 もう、奇妙な笑い声や息遣いは聞こえない。

 「あれは、何だったの?」

 「古狸に古狐。妖怪のたぐいだろうさ」

 「妖怪?」

 「昔話じゃ、狐や狸に騙されて入るお風呂は馬の小便の風呂。騙されて食べるご馳走は馬のクソと相場が決まっておる。

 あの宿に入らなくて、良かっただろう」

 おじいちゃんの言葉に、ぼくは顔を引きつらせた。

 想像しただけでもゾッとする。

 「伊香保の湯に誘われて、どこぞの山からやって来たのだろうが、ちと悪ふざけが過ぎたなあ」

 おじいちゃんは楽しそうに大きく笑った。

 「わははははは」



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群馬県 伊香保温泉石段街での怪異 七倉イルカ @nuts05

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