泥春

 紫皇は泡混じりの血を吐いて倒れた。

 一撃では死なせない。ひとつは長く苦しませるために、もうひとつはあれを聞き出すために。


 おれは紫皇の胸倉を掴む。

「暗黒街の王、凍龍の死体はどこにある?」

 紫皇は震える手で奥を指した。おれは奴が事切れたのを確かめてから、血の海を超えて奥の間にに向かった。


 漆塗りの隠し扉に手をかけながら、凍龍の死体が酷いことになっていたら嫌だなと思う。

 紫皇が仲間に見せびらかすつもりで持ってきただろうから、そうなっててもおかしくはない。隠し扉には鍵がかかっていたので刀で両断した。



 左右に切り開かれた扉を超えると、奥の間はガッカリするほど普通のクロークだった。おれがバイトしてた頃、客のコートや鞄を預かった場所だ。

 小物を置いておくためのテーブルに小さな壷が置かれていた。骨壷だ。


 おれは蓋を取って開ける。零れた灰は夕暮れの砂浜の匂いがした。骨壷の中には焦げ目がつくほどしっかり焼かれた骨が詰まっていた。


 これじゃ凍龍かわからない。紫皇は結局あいつを殺せなくてハッタリを効かせたんじゃないか。

 そう思いつつ、骨壷を持ち上げると、黒く光沢のある布がひらりと落ちた。下着かと思ったが、違った。

 楕円の黒布は左右から紐が伸びていて、裏地に凍龍の背にあったものと同じ雲と龍の刺繍が施されていた。眼帯だ。

 次におれが貧乏くさい白眼帯を巻いてきたら考えがあると言ってたっけ。


 凍龍が死んだかはわからないが、これを奪われるほどの深傷を負ったのは事実だ。

 声を上げて泣いたり、紫皇の死体を踏みにじったり、わかりやすい見せ方はないけど、悲しいと思った。

 凍龍ならわかってくれただろうに、奴がいないんじゃどうしようもない。



 おれは骨壷と眼帯を抱えてクロークを出ると、幽楽町が見渡せる三階の窓から飛び降りた。




 ***



 記憶の中の光景は、海と丘を巻くなだらかな坂道だった。


 おれは紫煙で曇る車のフロントガラスからそれを眺めていた。助手席の凍龍は肩に落ちた一束の黒髪を払い、溜息を吐いた。

「お前と出かけると、俺が何者だったのか忘れるよ」

「認知症か?」

 凍龍がおれの頭を肘で小突く。


「暗黒街の王を連れ出すとなったら、皆家族を質に入れてでも最高級のもてなしをするもんだ。それがお前はどうだ? 辺鄙な田舎に連れてきて、飯はチェーンの中華料理屋、行き先は古本屋、宿は……何故ここを選んだ?」

「ヤギがいるから」

 丘の向こうに建つ雨垂れで汚れたピンクのホテルには、ヤギの看板がかかっている。広告に偽りなく、野原には無数のヤギが歩き回っていた。

「何故ヤギを決め手にした?」

「幽楽町にはヤギがいないから珍しいかと思って」


 凍龍はそれ以上何も言わず、歯に挟んだ煙草をふかした。

「泥春、つくづく変な男だな。コードネームも変だ。由来は?」

泥川どろかわ春人はるとだから」

「嘘だろ、お前本名を使ってるのか?」

「本当だよ」

 おれがダッシュボードから免許書を出して押し付けると、凍龍は仰け反った。

「やめろ、見たくない」

「猥褻物じゃないんだから」


 凍龍は煙草を挟んだ手で額を掻いた。

「少しは殺し屋らしくしろ。スーツも安物。武器は現地調達。おまけに百均の眼帯。一体どうなってるんだ」

「まともな眼帯に数千円かけるのが勿体なくて、百均の眼帯で済ませちゃうんだよ。不都合もないしな。まあ、今までの金額まとめるとまともな眼帯五個くらい買えたんだけど」

「馬鹿だな」

「貧乏人なんてそういうもんだよ。洗濯機買う金がなくてコインランドリー使ってたらいつの間にかドラム式洗濯機を買える額を使ってるんです」

「お前のそれはただの怠惰だろ。溜め込んでるくせに」

「貧乏性だから使い所わからないんだ」


 おれは凍龍の横顔を見た。初めて会ったときより貫禄が出て、暗黒街の王らしくなってきた。

 目の下のクマもひどくてやつれている。毎晩付き合いで朝まで飲んで肝臓もズタボロな上に、始終命を狙われてるから、そうなっても無理はない。


 おれはハンドルに身を預けて凍龍に言った。

「他に使い道もないし、お前が死んだら貯金半分使って豪華な墓を建ててやるよ」

 凍龍は驚いたように目を見開いて、それからおれの鳩尾を殴った。

「お前が死んだら墓標はかまぼこ板だ」

「安……せめて高級な贈答用のにしてくれよ」


 凍龍は小さく笑って短くなった煙草を吸った。

「隠居したらこんな辺鄙なところに住むのもいいかもな。墓もここに建てる。そのときは泥春、お前の出番だ。楽しみにしてるぜ」

「ヤギに囲まれるのを?」


 あのときの笑顔は今でも思い出せる。



 ***



 おれは記憶の中と同じ、海が見える、なだらかな坂道の丘に立っていた。

 この土地の一角を買い取るのにそれほどかからなかった。墓標に金をかけたかったからちょうどいい。


 線香を買い忘れたから、火のついた煙草を一本置いた。自分も煙草を吸いながら、貯金半分の結晶を眺める。ちょっとまずいなと思った。

 辺りを囲むヤギたちが鳴く。

 おれはヤギに申し開きをするように口を開いた。


「言い訳をさせてくれ。まず、墓にお前の名前を彫ろうと思ったら本名を知らないことに気づいたんだ。だから、一発でお前の墓だってわかるようにしたくて……。それと、思ってたよりおれの貯金が多かった。最高級の御影石でも全然余った。だから、使い切るためにいろんな意匠を凝らして……」


 おれは潰れた右目に触れる。新しい眼帯の布地は冷たくて未だに慣れない。海風が余計に冷たく感じた。

 何も映らない右目蓋にあいつの肩と背が映ったように思えた。もう白眼帯とは呼ばれないな。


 おれは煙を吐く。


「先に死んだお前が悪いって諦めてくれよ。文句なら地獄で聞く。同じようなことをしてたんだから、同じ場所に行けるだろ」

 心のどこかでまだ凍龍は死んでないんじゃないかと思う。墓の下に埋めた骨は、どう見ても凍龍より小さい気がした。


 おれは吸殻を潰して踵を返した。

 ヤギたちに見送られながら、おれは丘を下る。安宿の主らしい老人が反対に坂道を上がってきて、おれとすれ違った。


 老人の足音が丘を上りきり、間の抜けた声が聞こえた。

「うわ、何だこれ!」


 凍龍はいつか隠居したらここに移り住むのも悪くないと言っていた。案外この近くで身を隠しているかもしれない。

 もし、そうなら、自分の墓を見たあいつの反応が楽しみだ。よく考えたら今度は鳩尾を殴られるだけじゃ済まないかもしれない。

 少し本当に死んでいてほしいと思った。やっぱり嘘だ。



 おれは振り返って凍龍の墓を見上げる。少し笑う。

 最高級の御影石の墓標には、男子小学生が旅行先のサービスエリアで買う、心底ろくでもないキーホルダーのように、銀色の龍と青い雲が巻き付いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

建墓トリシュナー 木古おうみ @kipplemaker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ