きみはシンデレラになんかなれやしない。

ヲトブソラ

きみはシンデレラになんかなれやしない。

 坂の町、灯りがきらきらと輝いていて、ぶらぶらと下りながら夜の少し湿った風を感じていた。午後十一時二十分のアスファルトに、わたしのミュールと彼のスニーカーの引きずる音が響く。何か話さないとな、と、思うも、この無言で少し心が痛い空間が心地良いとも感じていた。


「おっ、黒猫〜」

「えっ?どれ?どこ?見えん」


 坂道を横切る鍵しっぽの黒猫さんは、こちらを気にしながら右から左に道を横断して、古い家と家の間にある狭い生活路の少し奥で、わたし達を警戒していた。しゃがんで、なるべく目線を低くし「ねこ〜くろねこさん〜」と呼んでも、疑心の眼が変わることはない。そんなわたしの背後から彼が気まずそうな声で、何度もつまずく言葉をわたしに投げかける。


「な、なんか……今日は、その………、ごめん」

「んー?何が?何がごめんなの?」


 ねこ〜、と、呼んでいる鍵しっぽの黒猫はとうにいない。ただ、彼を見る勇気がなくて路地の奥に消え存在しない黒猫に呼びかけていた。初めて、彼の家に遊びに来た今日という日に、彼が言った「今夜は親がいないんだよね」という一言。その言葉にときめいてしまったわたしもいる。そして、彼もそのつもりだったから今日という日に呼んだわけだ。だけれども、おやつの時間、薄暮、子ども向けのアニメの時間、夕食として届けてもらった宅配ピザ……と、時間が経つにつれ、わたしは最終電車の時間が気になって仕方がなくなってしまった。


「ヨーロッパのお城ってさ、丘の上にあるのかな?」


 再び、歩き出す二人分の靴音。何の脈絡もないわたしの質問に、彼は「え……?いや、まあ…………守る事を考えれば……?あ、でも川があれば平原でも…………うーん…」と戸惑っている。彼の家から駅まで続くこの坂に、地形以上の何かを考えていた。シンデレラが急いでカボチャの馬車に乗ったのはパーティがあったから。十二時までに王子さまの前を去ったのは魔法が解けるからで、転がり落ちるように階段を降りたのは、とても急いでいたから。そのせいでガラスの靴を落としてしまったわけだ。さてさて、ではわたし達の恋には急いで城に向かう必要と、十二時過ぎの終電に間に合うよう、ガラスの靴を落とすくらいに急ぐ必要があるのか、ないのか。


「嫌になったとか、嫌いになったとか、そういうんじゃないんだよ」

「……うん」

「もっとシャキッとしなよ!わたし達は別れ話をしてる訳じゃないんだから!」


 互いに初めての恋人だからか、付き合うと必ず直面する出来事にいちいち覚悟が必要になる。それも互いの覚悟が合致していないと前に進めない弱虫な二人だ。


「本当に今日は、わたしが悪いと思っているんだ。勇気を出して言ってくれたのに」

「いや……まあ、そう…………では、ある」

「ただ、わたしの覚悟が出来ていなかっただけで、あなたのことを受け入れたくないとかじゃない。決して」


 シンデレラの絵本は美談で進むけれど、あれって階段を転がり落ちるように“ガラスの靴”を落とす話なのが、少し悲しい。わたしは好きな人と落とす“ガラスの靴”なら、こうやって十二時の終電まで坂道をゆっくり下るあなたがいいと心の底から思うよ。ただ、今日がそのときめきの日ではないなって、直感的に思っただけ。格好良く言うと“女の勘”ってやつだ。だから、何度でも、この坂を上っていってお城に遊びに行くから、せめて、シンデレラのように転がり落ちる恋はしたくないって我儘なんだ。


 あなたとは、そういう恋はしたくない。

 これも格好良く、いつか言ってみたい。


「信じているから、そうしたいの」


 十二時のベルが鳴りカボチャの馬車ではなく、鉄の箱が走り出す。


 さて、この話には後日談がある。シンデレラを気に入った王子さまは、“ガラスの靴”を持ってそれが合う女性を探し回る訳だけど、わたしの解釈では最低な男だな、なんて思う。それに比べて“わたしの王子さま”はというと、わたし達が転がり落ちるような恋をしないように走り回る事はなく、ゆっくりと日々を噛み締めながら過ごすお付き合いが続き、数年後には坂の上の、まあ……小さな小さなアパートの一室の王妃になれたのだから、シンデレラになんかなれなくて良かったと思う。


おわり。

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きみはシンデレラになんかなれやしない。 ヲトブソラ @sola_wotv

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