私の宮澤賢治 〜 理想と現実の間(はざま)で 〜

無名の人

私の宮澤賢治 〜 理想と現実の間(はざま)で 〜

宮澤賢治に関連する話を人前でする機会ができて(正確に言うと「機会を自ら作って」)、改めて、ジークムント・フロイト、ヘルマン・ヘッセ、宮澤賢治、大江健三郎、村上春樹、坂本龍一等の大先輩諸氏の人生をレビューしている。その活動の一環として『銀河鉄道の父』という映画を88歳の母を連れて観に行った。


詳細について限られた字数で語り尽くすことは不可能に近い(「ネタバレ」するから道徳的にも語り尽くすべきではない!)のだが、映画を観終わった後の感想は「いい映画だったね」と言うことに尽きる。自分の人生を振り返ってみると、要所要所で賢治との接点があり、2023年(賢治没後90年)になって、(新大陸の「発見」、メンデルの「再発見」といった表現が当事者にとっては失礼極まりないことであるのは承知した上で、文庫本の解説風に敢えて言わせていただくならば)私が「賢治を再発見」したのである。すなわち、36時間の休暇を利用して読んでおこうと予め購入していた原作の文庫本を1時間余りで一気に読了し、「(やはり)そうだったのか!」と言う感覚を得て「安堵」したのである。


私と賢治との初めての「遭遇」は童話『風の又三郎』だった。島の小学校に6人で入学して6人で卒業した私にとって、(6年間で2人転入して来て2人転出していった)転校生というものは、ある意味で「又三郎の同類」であったので、生意気にも「まあそんなものかな」というのが当時の率直な感想だった。1人目の転校生は駐在所のお巡りさんのご子息で、私たちは道具一式も貸してあげて「釣り」の仕方を伝授したかわりに、駐在所の一部屋で「花札」という古典的なゲームをお父さんから教えていただいた。(現職警察官に「花札」を習った日本人が何人存在するのかはよくわからないが、その後『じゃりン子チエ』その他の今となっては古典的作品を「鑑賞」する上での「教養」として大いに有益であった。当時も今も、ルールを完全には理解していないのだが・・・)もう一人の転校生は、伊丹(島の小学生にとっては「ほぼ大阪!」)から母方の実家に転居して来られて、「釣り」ではなく都会風の「お洒落なフィッシング」やテレビで見るのではない「本物のギター」を弾いて見せてくれたのである。(それまでの私にとっての楽器とは、ピアノ・オルガン・リコーダー・箏・尺八・バイオリン程度だったので、「なんとなく不良っぽい?」ギターを触ることができたのは自分にとっては「大事件」だった。)彼に対しては今さら田舎っぽい「釣り」を教えるわけにはいかないので、「算数」を教えてあげた。(都会の小学生は皆秀才ばかりだろうと勝手に「妄想」していたせいか、「ほぼ大阪」の小学校から転校して来たのに算数がそれほど得意そうではなかったのが「驚き」でもあった。)やがて私自身も、小学校卒業と同時に仲間たちとは別の中学校に進学するという意味で、転校生になったのだった。


その後『注文の多い料理店』『オツベルと象』『銀河鉄道の夜』『グスコーブドリの伝記』等々可能な範囲で(図書館の蔵書の範囲で)ほぼ全作品を読み漁って、それぞれに心を躍らせた記憶があるのだが、「賢治体験」約50年間を振り返ってみて自分の人格形成上最も影響を受けたように思われるのは『虔十公園林』である。空地に今風にいう「植樹」をした虔十は地域の人々に馬鹿にされるのであるが、数十年経ってみると虔十の植えた木々が立派な公園になって地域に貢献した、という話である。夢見る少年・青年として親の金を当てにしつつ「好き放題」に生きた(ように周囲からは見える)賢治は、虔十に自分自身の生き様を投影して見せたのではなかろうか。


人生の節目節目で突拍子もない行動をとって父親をハラハラさせる賢治の諸々の行動も、彼にとっての「植樹」だったと捉えると、私にはとてもすっきりと理解できるような気がする。日本が大正デモクラシーから(実は大衆に後押しされていた)「軍部主導」の全体主義へと「転落」していく時代の中で、「理想と現実のギャップ」に悩む青年賢治の姿は、令和を生きる我々にとっても決して他人事ではない。いつの時代も、社会全体のために「植樹」する人々を「愚か者」扱いする冷笑主義者は存在するのだから。


2023.5.8

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