絶望の果て 〜 未来を創るヒント 〜

無名の人

絶望の果て 〜 未来を創るヒント 〜

言論ではなく暴力で現状変更を図る試みは、決して許されるべきでない。近代憲法に基づく「法の支配」が実効性を担保されている市民革命以後の民主主義国家においては自明のことである。それを大前提にしてもなお、7月8日以降の一連の出来事を観察している中で、一部の識者も指摘しているように「違和感」を覚えずにはいられない。


同級生のみならず教師まで人権侵害の共犯紛いの攻撃的言動を反復的かつ継続的に自分に向けているという現状認識の中で、自死または相手に対する暴力しか想像できなくなるほどに「絶望の果て」に追いやられてしまった弱者に向けて、「暴力は良くない」「無断欠席は好ましくない」「相手に対するリスペクトが大切だ」等々の「教科書的な正解」を発信することしかできない立派な「教育専門家」のどこか事務的で無機質なコメントを耳にしたときと同様の違和感である。


昭和初期の「血盟団事件」「五・一五事件」「二・二六事件」等の一連の暴力の連鎖と政党政治の自発的死に至る過程の解釈において、暴力があったから政治が死んだのではなく、新しい状況に対応できない、あるいは対応しようとさえしなかった腐敗しきった政党政治 (当然、いつの時代にも少数の例外は存在するが) に対する社会的弱者 (主に貧しい農村出身の人々) の絶望の果ての必然であったのだと学んだ記憶がある。


そのような文脈において、この一両日、主要政党幹部、政治評論家、あるいは主要メディアを通して意見表明する専門家の方々が「語ったことと語らなかったこと」を無責任に傍観していると、一部の例外はあるものの、大勢において、「昭和を繰り返さない」というプロとしての気概も覚悟も感じられないように見えてしまう。「間違ったことを言わないこと」と「正しい行動をとること」との間には雲泥の差があるはずだが、素人の直観では、今のところ前者に徹する常識的で慎重で立派な人たちが圧倒的多数のような気がする。


あらゆる分野において(年齢も性別も関係なく)「世代交代」が必要かもしれない。


2022.7.9

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