fairy tale:バレンタイン番外編
紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中
はらぺこ王様とガトーショコラ
貸本屋fairy tale。
ここは本の世界を実際に体験できるという、ちょっと変わった商品を扱うお店だ。もちろん普通の人には見えないし、この店のお客さんもみんな人ならざるもの……そう、あやかしばかりである。
店主のシキさんとひょんなことから縁の繋がった私は、今日も元気にfairy taleの扉を開けたはずなのだけれど――。
おかしいな。
気付けば私はなぜか茶色いドレスを着て、大きな銀のお皿の上に座っていた。
いわゆるゴスロリっぽい服だと思う。茶色いドレスはスカートがふんわりと丸く広がっていて、綺麗と言うよりは可愛らしいデザインだ。膝丈なのが心許ないけれど、太腿まであるニーハイソックスがかろうじて肌の露出を抑えてくれている。
レースをあしらった小さな帽子には赤いイチゴとハートの飾りがついていて、全体的にまるでガトーショコラのカップケーキみたいなコーディネートだ。
どうしてピンポンイントにガトーショコラが思い浮かんでしまったのかは、考えなくてもわかる。
そう、今日はバレンタインデー。
日頃お世話になっているお礼も兼ねて、がんばって作ったガトーショコラのカップケーキを渡そうと思って店に来たのだ。
それなのにお店に入ったと思ったら、私はなぜかガトーショコラのカップケーキみたいなコスプレをして銀のお皿の上にいる。
そういえばお店に入った時シキさんが何か叫んだような気もするけど、もしかして私はヤバい本に吸い込まれてしまったのだろうか。周りを見渡してみると、どこもかしこも大きな料理ばかりが並んでいる。私の背丈よりもずいぶん大きいというか、そもそもこれはたぶん私の方が小さくなってテーブルの上に料理として置かれている感じだ。
その思考を肯定するように、不意に大きな声が頭上から降り注いできた。
「王様! 王様! はらぺこ王様! デザァトが焼き上がりましてん」
誰かわからない声がそう言って、私を乗せた銀のお皿がずいっとテーブルの前の方に押しやられた。
危うく転がり落ちそうになったけど、一緒に乗せられていた他のカップケーキが緩衝材になって体を包み込んでくれた。よく見れば、それは私がシキさんにあげるために作ったガトーショコラのカップケーキだ。
「ホォッツケィクミーックスで作ったガトゥーショコルァのカァップケィクですん」
発音がいいのか悪いのか、ものすごい巻き舌でケーキの説明をしている。とても高級そうなケーキのイメージがするけれど、ごめんなさい。中身はホットケーキミックスで簡単に作れるガトーショコラのカップケーキです。
「なんと! これが噂のホォッツケィクミーックスで作ったガトゥーショコルァのカァップケィクか。ひとつ食べれば若返り、ふたつ食べれば不老長寿、みっつ食べれば神をも凌駕する究極の力を手にすることができるという、伝説のガトゥーショコルァ!」
「王様のために嘆きの谷、死者の都、呪いの井戸から材料を集めて参りましてん。さぁ、さぁ、早くお召し上がりくださいん。真ん中のやつが一番活きが良いですん」
やばいと思った次の瞬間にはもう、私は王様の大きな指につままれて空中に引き上げられてしまった。
「きゃあっ! 待って、待って! わたし、食べ物じゃありません!」
「ほほーぅ。これはまた活きのいいガトゥーショコルァだ。ふむふむ、いやはや……いろんな意味でうまそうだ」
王様の視線にいやらしいものを感じて、私は慌てて短いスカートの裾を押さえた。けれど向こうは謂わば巨人で、私は小人くらいの体格差がある。腰を掴まれて持ち上げられているので、軽く揺さぶられるだけで私の視界はぐるんぐるんにまわってしまった。
「一口で食べるはもったいない。ここはじっくり、ネチネチと味わってみるのもいいかもしれんな」
「王様! 王様! 半分に裂けば、中からラズベリーソースが溢れ出ますん!」
「それ流血ーー!!」
思わず突っ込んでしまったけれど、どっちの食べられ方も嫌だし、そもそも食べられたくなんてない。何とかして逃げないと本気でマズい。王様の視線はいやらしいし、執事っぽい人の手にはナイフが握られている。
「やだやだ! 離してくださいっ!」
「それは無理だ。余はお主を食べる」
「食べてん! 食べてん! 王様、王様! 早く食べてん!」
私をつまんだまま、王様が上を向いて口をあんぐりと開ける。まるで地獄の入口みたいに真っ黒な口の中から分厚い舌がにゅるんと出てきて、それがものすごく気持ち悪くて声の限りに絶叫した。
「いーーーーやーーーーっ!!」
体を拘束する力が消える。途端真っ逆さまに落下する私の体を、ふわり――と、やさしいぬくもりが包み込んだ。
「勝手に食うな。こいつは俺のだ」
求めていた声にパッと目を開くと、少し焦った顔をしたシキさんが私を抱きしめてくれていた。
いつの間にか体の大きさも元に戻っている。王様も、執事の人も、料理をたくさん並べていたテーブルも全部消えていて、周りはぼんやりと淡く白い光に包まれた空間に変わっていた。
「シキさん……」
「悪い。お前が店に来た時、ちょうど未処理の本が暴れててな。あっという間にお前を吸い込んじまった」
「シキさぁぁん! 怖かったですっ! 王様、気持ち悪かったぁぁぁぁ」
「あいつは後でシメる。……大丈夫か?」
「大丈夫、です。……でも」
もう少しだけ、シキさんのぬくもりを感じていたい。そう伝えるようにキュッとしがみ付けば、体を抱きしめる腕に力がこもったのを感じた。
「やっぱりシキさんの腕の中、落ち着きます。あったかいし、気持ちがいいです」
「……そうかよ」
「あ、そういえば私が持ってきたチョコレートケーキって、本の中に吸い込まれたままだったりしますか?」
「ケーキ? もしかして銀の皿に、お前と一緒に乗ってたやつか?」
「そう! それです。バレンタインだから、シキさんに渡そうと思って作ってきたんですけど」
「あぁ……悪い。お前を助けるだけで、他に気が回らなかった」
そもそもシキさんだって、あのケーキが私の持ってきたものだとはわからなかっただろう。それに気持ちの悪い王様から助けてもらっただけでも十分だ。
「ううん、大丈夫です! 今度、ちゃんとしたものを用意しますね!」
「チョコならここにひとつ残ってるだろ」
「え?」
抱きしめる腕をほどいて、シキさんが私の姿をまじまじと見ている。そういえば今の私の服はガトーショコラのカップケーキ……の擬人化もどきだ。
「えぇと……?」
何となくシキさんの言いたいことがわかったような気がして、ほんのりと頬が熱くなる。
「くれるんだろ?」
「それはつまり、どのように?」
「何だ、それ」
私の変な返しにシキさんが吹き出して笑った。それを合図にしたように周囲から淡い光が消えて、再び目を開いた時には辺りは見慣れたfairy taleの店内だった。
私の服もいつものワンピースに戻っている。そして足元には「はらぺこ王様の奇妙な食卓」という絵本が転がっていた。
「残念。チョコレートじゃなくなったな」
そう言って、シキさんが私の体から手を離す。ほんの少し名残惜しそうに感じたのは、私の都合のいい思い込みだろうか。
「意外と似合ってたぞ。あの服」
「……シキさん」
「どうした?」
「今度リベンジチョコするので、その時はちゃんと食べてください!」
縋るようにシキさんのシャツの袖を掴むと、一瞬だけ驚いたように眼鏡の奥の瞳が見開かれて――そしてふっと、艶のある大人の色気を滲ませた笑みを浮かべた。
「俺は別に今でもいいぞ」
そう言うと、掠めるように唇を奪われる。
びっくりしている間にもう一度触れ合った唇は、なぜか甘いガトーショコラの味がした。
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