オリジナル

真花

オリジナル

 梅酒がグラスに入っている。二杯。僕と弟のどっちがどっちを飲んでも変わらない。だが、僕は僕だし、弟は弟だ。

 僕と年子の弟のゆうの両方が高校生になってから、連休に両親が僕達を家に置いて旅行に行くようになった。この三連休は栃木の温泉に行くと言っていた。両親を見送ったとき、母は自由の味を胸いっぱいに含んだような顔をしていた。

「二人いれば大丈夫って思えるようになったのは、本当によかったわ」

 僕は優と顔を見合わせた。別に一人だって大丈夫だ。優も同じことを考えているはずだ。

 ドアが閉じて、僕達はもう一度顔を見合わせる。今度は企みを頬に携える。まるでそれは鏡を見ているようだった。僕と優はよく似ている。だがずっと一緒に育って来たからか、目の前に自分とよく似た人物がいても違和感はなかった。優もそうだろう。

「やるか」

 僕は親指でキッチンの方を指す。

「やろう」

 優は頷いて、僕達はキッチンに父親が半ば隠している紙パックの梅酒を取り出し、ダイニングテーブルでグラスに注ぐ。優が二階の自室からタバコを持って来る。

「兄ちゃんも吸うでしょ?」

「貰う」

 僕達はテーブルに向かい合って座り、順番にタバコに火をつける。優、僕、の順だ。グラスを手に取って、乾杯、とぶつける。だが一気には飲まない。ちび、と口を付ける。アルコールの力が口いっぱいに広がって、その熱が喉を焼きながら通って、胃袋を燃やす。優がグラスを掲げる。

「効くね」

「そうだね。めっちゃ効く」

「親父はこんなの毎日飲んで、よく生きていられるよ」

「毎日やってたら、だんだん慣れるんじゃないかな」

 優は小首を傾げる。

「慣れちゃったらそれはそれでつまらないね」

「実際、タバコはもう慣れたじゃん。僕は貰いタバコばっかだけど、慣れてる。優はもっと継続的に吸ってる訳だし、もっと慣れたんじゃないの?」

「たしかに。あることがスペシャルだったのが、ないのが困るようになった」

「親父の酒もそんなものなんじゃないかな」

 僕達は話題を切って、一口飲む。染み渡る間、黙る。優の顔が赤くなって来た。タバコが短くなって、灰皿代わりの空き缶の中に入れた。優もそうして、缶を揺する。

「兄ちゃん、最近よく話題になる、クローンって、どう思う?」

「百億人も人口がいて、まだまだ爆発するのに、わざわざ作らなくてもいいんじゃないかな」

「東京だと実はクローン人間が街に紛れているらしいよ」

「マジで? 怖っ、くもないか。別にクローン人間が何かするってこともないだろ」

「そう思う。でも、人間そっくりな別の何かってだけで毛嫌いする一派もいるらしいよ」

「何にでもいるよ、アンチは」

「ただアンチなだけならいいけどね。昔の環境活動家みたいに、アホな行動を取ったりしたら、ヤバい」

「あれはああ言う行動に金を出す人がいるから成り立つ訳で、いるかいないかも分からないクローン人間にアンチで何かをしたとしても、金にならないんじゃないかな」

「やっぱ金かぁ」

「他人の思想とかイデオロギーに乗っかっている時点で思考停止か、思考能力が不足している訳だよ。自分で考えて行動出来ないと、金と言う価値そのものの力に流される」

「兄ちゃんすげぇ。そんでもって、金のために変なことをする人間が本当に浅ましく思えて来た」

 僕達はまたグラスに口を付けて、沁みるのを味わう。

「優、盛岡にもいるのかな、クローン人間」

「どうだろう。いるんじゃないかな。なんとなく」

「いたとしても普通の人間なんだろうね。見分けなんか付かない」

「うわさだけど、クローン人間には識別のチップが入っているらしいよ」

「どこに?」

「それは知らない。それに最近のチップのサイズを考えたら、どこでもあり得るし――

 玄関の方から音がした。ドアを開ける音だ。優と目を合わせる。

「何だ?」

「見に行こう」

 だが、見に行くまでもなかった。足音がダイニングに近付いて来る。その音に僕達は動けなくなる。

 男が現れた。短髪で、ゴーグルをして、黒ずくめ、右手にナイフを持っている。

 速やかに優の前に立つ。

「お前は死ね」

 ひと突きを胸に、優は何の抵抗も出来ずに動かなくなった。

「優!」

 男が僕の前に来る。ちくしょう、死ぬのか、僕も。

 男は僕の顔をじっと見る。

「お前は生きろ」

 言ったら、そのまま部屋を出て行った。

 取り残された僕、部屋。……優。

 優に駆け寄る。死んでいるのだろうか。よく分からない。だが、呼吸はしていない。刺されたところが真っ赤になっている。

「救急車」

 震える手で、119番を押す。弟が刺された、血が出ていると訴えた。声も震えていた。救急車がすぐに向かうと言って電話は切られた。そうだ、親にも連絡をしないといけない。父親にかける。

「どうした? 声が変だぞ」

「家に男が入って来て、優が刺された。今救急車を待ってる」

うしお、お前は無事なんだな?」

「僕は何もされなかった」

「分かった、すぐに盛岡に戻る。恐らく病院での待ち合わせになるだろうから、また連絡を取り合おう」

 父親の声は緊迫していなかった。むしろ、僕が無事であることを聞いて、安堵しているようだった。優がこんな状況なのに。


 優は病院に搬送された。僕も付き添った。救命措置が取られるらしく、待ち合いで待った。

 看護師らしき人が来た。

「ご両親は?」

「今向かってます。でも、栃木からだから時間がかかると思います」

「そうですか。いらっしゃったら声をかけて下さい」

 僕はじっと待つ。

 優と一緒に歩んで来た半生が、カードをピックアップするように、ポコポコと浮かんで来る。中学で僕はそうでもなかったのに優が女の子にモテて嫉妬したこと。小学校で一緒にいたずらをして横並びに立たされて散々怒られたこと。お兄ちゃんだからと言う理由で、優におもちゃを譲ったこと。一緒に隠れて梅酒を飲むこと。タバコを吸うのは優の方が先だったこと――

「潮」

 見れば両親が来ていた。母親が僕の頬に触れる。

「本当に無事? 本当に潮?」

「無事だよ。それよりも優が」

「うん。分かってる」

 母親の緊張が抜けるのが分かった。僕は看護師に知らせた。担当医が説明するので、小部屋に入るようにと言われた。救急の医者が来て、脂ぎった中年男性で、座るとすぐに話を始めた。

「残念ですが、島原しまはら優さんはお亡くなりになりました」

 僕達は頷く。父親が、潮、と呼ぶ。

「先生と話があるから、ちょっと席を外してくれないか?」

「分かった」

 僕は小部屋を後にする。待ち合いの椅子に座る。五分くらいで両親も出て来た。二人とも朗らかと言っていいくらいに穏やかな表情をしている。僕のそばまで来てもそれは変わらなかった。僕は悲しさが底を叩いて怒りに変わる。

「優が死んだのに、どうしてそんななの?」

 父親が応える。

「死んだのが優だったから、よかったんだよ」

「意味が分からない」

「優は人間じゃない。クローン人間なんだ。お前のクローンだよ。顔が似過ぎているとは思わなかったか?」

「クローン。……だとしても、優は優だ。死んでいいはずがない」

「死んだことは死んだが、人間が死ぬのとは違う。クローン人間は動物と同じ、モノだ。人間とそっくりだが、人権もないし、戸籍もない」

「人間と同じじゃないのか」

「違う。命の価値が違う。まあ、その違いは人間が人間に付与したものだけどね。人間が特別なのは、人間がそう決めたからだよ。そして、同じ論理でクローン人間は人間ではない。ここの先生は立派だよ。優がクローン人間だと分かっても、それでもやることは同じです、と堂々としていた」

「どうして優は、いたんだよ」

「お前のスペアだよ。場合によっては臓器とかを取ることも出来る。全部お前のためだ」

「優は、僕の弟だ」

「クローンだよ」

 僕は走って、両親を置き去りにして、救急の現場に入り込む。

 どこに優がいるのかが分からない。

 見れば、さっきの医者が電子カルテを書いている。

「すみません」

「ダメですよ、勝手に入って来ちゃ」

「すみません。でも、最後に優にもう一度会いたいんです」

 医者は僕の顔を見て、小さく息を吐く。

「分かりました。特別ですよ。まだ業者が来ていないので廃棄されてないはずです」

 埋葬もされないのか。

 優はベッドに寝かされた状態で目を瞑っていた。顔色は悪いが、もう苦しくはなさそうだ。両親は会うこともしなかった。それはクローン人間と知っているからだ。知らなければ、僕を始め他の全ての人のように知らなければ、優は人間のままだし、死を悼むことをしただろう。認識の違いだけなのだろうか。

「優。……さようなら」

 僕は、医者に、もう大丈夫です、ありがとうございました、と伝え、優の前を去った。

 待ち合いでは両親が座って待っていた。父親の前に立つ。

「気は済んだか?」

「どうして優が殺されなくちゃいけなかったんだよ」

「それは俺も考えている。警察に届けも出すつもりだ。殺した男は恐らくクローン人間だけを狙っているのだろう。と言うことは、クローン人間排斥の過激派のせいかも知れない。クローンかどうかはチップで分かるから間違えることはない」

「チップで?」

「頭に埋め込まれていて、専用のゴーグルを使えば判定が見える形で出る」

「それで、僕は殺されなかったんだ」

「そうだろうな。じゃあ、帰ろう」

 家に帰れば、飲みかけの梅酒とタバコの跡がそのままになっている。怒られるだろうか。それともこんな大事の前では流されるだろうか。車の後部座席から見える景色が嫌にくっきりとしていた。いつも横に座っていた優はいない。僕だけが悲しい。他のみんなは人間を一人失ったと感じていない。僕にとってだけ、優は人間で、その唯一の僕を剥がそうとする力がかかっている。両親からかかっている。僕が悲しむことを癒すとか、一緒に悲しもうとかをせずに、その悲しみがクローン人間なので存在しないと強要されている。両親は心から安堵しているし、辛くもないのだろう。父親の声がする。

「オリジナルのお前が無事で、本当によかった」

 まるでそれは、殺人鬼の声と同じだった。

「生きろ」

 その声が頭の中で響く。


(了)


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