飾り菓子

数日後の夜、サシャは厨房に向かう。

今夜は厨房に来て欲しいとハイスに言われたのだ。


デートが駄目になったあの日から、手伝いをするのは初めてだ。

年始の様々な行事を終えて、厨房の業務も落ち着いているので、今は毎夜サシャが手伝う必要はないからだ。



サシャは厨房の裏口に立って、一度溜め息をついた。

二人になれば、きっとあの日のことを聞かれるだろう。

ハイスは優しいから聞かないかもしれないが、気遣われるような雰囲気になれば、今までみたいに楽しくはいられないかもしれない。


……いや、もしかしたらもう知っているのかもしれない。

サシャが領主館に来た事情は、長く勤めている使用人ならば知っている者もいる。



サシャは成人よりずっと前に親に売られるところだった。

今は亡き大奥様が、領地視察の時に偶然それを知り、領主館で働かせてもらえることになった。

運が良かったのだ。

誰にも掬い上げられないまま、一生を劣悪な環境で終える子供だっている。



サシャは下唇を噛む。

いらないから売られた子供だったなんて、ハイスには知られたくなかったのに…。

扉を開けられないまま俯くサシャに、慌てたような声が掛けられた。


「あっ、ちょうど良かった! サシャ、開けて」

「え?」

「早く早く、落ちちゃうから」


ハイスが屋外の保管庫の方から小走りにやって来た。

その両手には何やら色々抱えられている。

上に乗った小瓶が不安定に揺れるのが見えて、サシャは慌てて扉を開けた。



厨房の作業台にハイスが置いたのは、油紙で包まれたいくつもの拳大の塊。

そして、食用の色粉が入った数本の小瓶だった。

サシャも知っているその材料は、領主一家の誕生日や、季節の祭りなどの飾り菓子を作るためのものだ。


「ねえ、サシャが飾り菓子を作って、エルナにプレゼントしたらどうかな?」


ハイスは油紙を取り、中から生成り色の塊を取り出した。

それはアーモンドの粉と砂糖で出来た塊で、粘土のように好きな形を作ることが出来る、マジパンと呼ばれるものだ。

色粉を混ぜて彩色すれば、色とりどりの飾り菓子として、目も舌も楽しませることが出来る。


「花祭りで花の飾り菓子を作るだろ? あんな風に小花をたくさん作れば、ブーケみたいに出来ると思うんだ。エルナは花が好きなんでしょ?」

「そ、そうだけど、私が? そんなの出来ないわ」


サシャは驚いて目を見開き、首を大きく横に振った。


「もちろん俺も手伝うから。ちゃんと”おめでとう“って言うんでしょ?」

「でも…」

「エルナ、きっと驚いて、喜んでくれるよ!」


テキパキと準備をしながら、ハイスはいつもと変わらない笑顔を向ける。

サシャはそれにホッとする。


「……出来るかしら」

「腕利きの菓子職人がついてるんだから、大丈夫!」


ハイスが親指で自分を指して、ぐんと胸を張るので、サシャは思わず笑ったのだった。





まだ春は遠い二月の終わり。

エルナはこの日、領主館から出て行く。


宿舎の部屋で、サシャと最後の挨拶をしようとしていたエルナは、サシャにから渡された菓子箱を開けて、驚きに目を見張った。


何種類もの淡い色の小花が無数に集まり、幅広のリボンと柔らかなレース紙で、ブーケとして形作られている。

花の香りでなく、砂糖の甘い匂いを広げるそれは、良く見れば一つ一つの花はとてもシンプルな作りではあったが、いかにも丁寧に作業をしたことがうかがえるものだった。


「……これ、ハイスが作ったんじゃないわよね?」

「うん、私が作ったの。もちろん手伝ってもらってだけど。それで、あのね…」


言い淀んだサシャの声に、エルナは視線を飾り菓子から上げる。


「おめでとう、エルナ。あなたと一緒に毎日過ごせて、とっても嬉しかった。ありがとう。大好きよ。……幸せになってね」


唇を震わせたエルナが、そっと机に菓子箱を置いて、わっと泣きながら、既に泣いていたサシャに抱きついた。





サシャが夜の厨房に入ると、ハイスが作業台を掃き清めていた。

サシャに気付いて彼は微笑む。


「エルナ、喜んだでしょ?」

「うん。ありがとう、ハイス」

「どういたしまして。……良く頑張ったね」


素人のサシャがあれを作り上げるのは、相当大変だった。

それでも、綺麗にできなくても心を込めて作るんだよと、ハイスは毎晩サシャを励ましながら、根気強く手伝ってくれた。


そして、その間、一度だって親のことも、あの日のことも尋ねなかった。



「……ハイスは、どうして何も聞かないの?」


サシャの問いがどういうものか分かって、ハイスは台拭きを置いて、真っ直ぐサシャに向き合った。


「サシャが話してくれるのなら、何でも聞きたい。…でも、聞いて欲しくなさそうだったから」


サシャは僅かに視線を揺らして、俯いた。


「……お姫様のままでいたかったの」

「え?」

「ハイスには、お姫様だと思ったままでいて欲しかった……」


ハイスは年始に、サシャのことを『お姫様』だと言ってくれた。

とても嬉しかった。

そのままでいたかった。

親に売られたかわいそうな子だと、印象付けたくなかったのだ。




「サシャ、初めて俺に話しかけてくれた時のこと、覚えてる?」

「……初めて?」

「うん。ちょうど今頃…三月だったからもう少し先かな。俺が花祭りで使う飾り菓子を作ってた時だよ」


三月半ばに行われる花祭りには、小花を模した飾り菓子を食べるのが定番だ。

街の製菓店にも必ず並び、平民から貴族まで、その甘い菓子を口にして、人々は春の訪れを祝うのだ。

領主館の庭園でも、毎年大規模なお茶会が催される。


それは四年前のことだ。


ハイスは一人、任された飾り菓子の花びらをマジパンで作っていた。

何となく一人になりたい気分だったので、皆が作業を終えても厨房に居残っていた。


作業台に並ぶ色とりどりの花弁を見て、ハイスは溜め息をついた。

製菓職人になりたいという夢を叶え、なかなか恵まれた職場にも落ち着けた。

最初はとてもやる気に満ちていて、毎日充実していた。

しかし、見習いから入って何年も経ち、毎日朝から晩まで同じようなことを繰り返す内、漠然とした不満が腹の底に溜まっていた。

好きで始めたはずの仕事が、楽しくない。


同じことばかりして意味はあるのか。

もっと違うことがしてみたい。

こんな単調なことは、他の奴がやればいいのに。


そんな昏い考えが頭を占めてしまいそうだった時、あの明るい声がしたのだ。


『すごい! 花吹雪の中にいるみたいですね』


隣の広間にエプロンを忘れたというサシャが、厨房が明るいので覗いて、作業台いっぱいに広げられたマジパンの花弁に目を輝かせていた。


『……花吹雪?』

『はい。こんなキレイなものを作れるなんて、魔法使いみたい。きっと、皆これを食べたら幸せな気分になるわ』


頬を上気させた少女は、夢見るように微笑んだ―――。




「……俺、あの時に思い出したんだ。自分がどうして菓子職人を目指したのか。ほんの一口の小さな菓子でも、人を幸せにすることが出来るって思ったからだったって」


毎日の繰り返しで、大事な仕事が単調な作業に成り下がっていた。

自分が大量に同じものを作っても、その内の一つ一つを口にするのは、別々の人間だ。

その人にとっては、たった一つの、夢を見せてくれる幸せな一口になるはずなのだ。


「自分が作る菓子が、誰かの特別な一口になるんだって、サシャの笑顔が思い出させてくれたんだ。あの日からずっと、サシャは俺の特別な人…お姫様なんだよ」

「……今も?」

「今も。……出来れば、これからもそうでいてよ」


ハイスは照れたように笑う。


「……ハイス、子供の頃のこと、今度話すから聞いてくれる?」

「もちろん」

「……今度話すから……、今日は抱きしめて?」


サシャがそっと近寄ると、ハイスは力強く彼女を抱きしめる。



その温もりは、何ものにも代えがたいものとして、サシャの胸を満たしたのだった。




《 終 》

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