「おやつ」。このわずか三文字の魔法の言葉に、こどもは目を輝かせ、大人もそわそわし始めます。これを楽しみにしない子供は、おそらくこの地球上にはいないでしょう。
この全17話・約3万字の中編は、母の手作りおやつと、それを楽しみにする小学生の娘を描いたエッセイ調の作品です。作中描かれるおやつは全て母親の手作りで、帰宅直後にそれを味わう娘と母とのやり取りが、読む者の心にほのかなあたたかさをもたらしてくれます――まるで絵本のような、楽しさとやさしさに満ちた世界を楽しめること請け合いです。ただし読む時間によっては、手作りおやつがもたらす飯テロの恐怖にもさらされることになりますのでご注意を。
「お菓子を自作」というのは一見ハードルが高そうですが、本作で母が作るおやつは普通に自作可能。具体的なレシピ等は、本作の作者・幸まる氏の近況ノートや、エッセイ『幸まる印のお家のおやつ』で参照できます。特に前者には、お手製のお菓子の写真が添えられており、空腹時の閲覧は避けた方が無難かもしれません。
スイーツ好きの方、料理が趣味の方、優しい雰囲気のお話を読みたい方、是非本作をお読みください。
さあ、bon appétit!(ボナペティ=訳:飯テロ地獄へようこそ!)
上記タイトルの注意事項ですが、可能な限りお守り下さい。でないと、激しく後悔する事になります。
小学生の望果ちゃんが毎日楽しみにしているのは、お母さん手作りのおやつ。「ただいま」の挨拶もそこそこに、バラエティー豊かなスイーツ達に今日も舌鼓!
…と要約してみましたが、この物語の作者様、息をする様にお菓子を作れてしまうんです。これが非常に危ないんですね。味は勿論、食感からアレンジ、果てはそれに合った飲み物までを、望果ちゃんを通して臨場感たっぷりに書き表しているんです。
そうなんです。何も用意しないまま拝読してしまえば最後、きっとお菓子を買いに走らずにはいられない…そんな魅惑に溢れた物語なんです。
望果ちゃんと一緒にほっこりしながら、是非おやつを手に(ここ重要です)ご拝読下さい。
孤独のグルメのようなシブいおじさんのグルメじゃないけど、こちらは、テンポよくお話が進んでいきます。
それもそのはず、元気者の小学4年生の少女が主人公。
母親に出されたおやつを食べ、元気に公園に遊びに行く。
今の時代というより、私(1969年生)が少年時代の同級生の女の子の日常みたいです。ちなみに私が小学4年生だったのは、1979年です。
令和の今や平成の頃よりむしろ、その頃によく見られた光景のように思えてなりません。その頃なら、都会でもそういう光景は日常に見られたはずです。
ひょっとかの少年と結ばれて男の子ができたとして、そのくらいの年齢になったとき、彼女はその息子に(娘でもいいが、ここはあえて息子としてみたい)、どんなおやつを食べさせてあげるのだろうか。
そんな世代を超えた続編さえも、なんだか楽しみになってしまう。
望果ちゃんは小学4年生
授業が早くに終わる水曜日には、お母さんの特性手作りおやつが待っています
公園に集合する前に、ただいまの声よりも早く、おやつ何かな? 家に駆けこんで
ほんわか、ふんわり、ざくざく、ほくほく、ひんやり、ほっこり
おなかも心も満たしてくれます
作者さまはお母さまでいらっしゃいますが、その目線ではなく、子どもの目線でおやつタイムを描かれるのが新鮮です
美味しいおやつや、それを頬張るお子さんの描写もリアルでまさにおやつのメシテロ!
既製品のおやつもいいですが、手作りのおやつもいいものだとしみじみ思わせてもらえました
ああ、私も子どものころ、こんなおやつが食べたかったなあ
いわゆるかぎっ子で「母の手作りおやつ」なんて縁がなかったので
幸せのおすそ分けな逸品でした
羨ましい!!!
なんて素敵はおうちなんでしょう?
ほんわかしていて、あったかくて。
あのね、わたしね、食べ物を数値化して判断するのは好きじゃないの。
本来、おいしいとか笑顔になるとか、そういうことじゃない?「食べる」って。
数字になると、途端になんか違う世界へ行ってしまう。
このお話は、そういうは「食べることのたいせつさ」が、ぎゅうって詰まっているの。
こういうおやつって、子どもを幸せに、そして強くすると思います。
ちなみに、読んでいるとね、ほんわか幸せにもなれるし、
あっ、なんか食べたくなっちゃった!
っていう気持ちにもなりますよ。