代えがたいもの

幸まる

初デート

※ 架空の世界での物語ですので、年中行事や宗教観は現世界と異なります。


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深夜、領主館の厨房では、製菓担当の料理人ハイスが、生地の仕込み作業を行っていた。

手伝うのは厨房の下女、サシャだ。

サシャは元々、この静かな時間にハイスの手伝いをするのを楽しいと思っていたが、恋人同士になった今は、二人だけの特別のような気がして、以前にも増してこの時間が好きだ。


しかし、今日は少し憂鬱ゆううつな気分だった。


「え? エルナ、辞めるの?」

「そう。……マイトさんと結婚して、首都の方へ行くんだって…」


エルナも厨房の下女で、使用人宿舎ではサシャと同室だ。

二歳年上の彼女は、サシャにとって日々の暮らしを共にする仲の良い友人でもあり、姉のような存在でもある。

エルナは昨年、青果仕入れ業者の青年マイトと恋人の関係になっていたが、彼が首都にある親戚の店を手伝うことになって、一緒に行って欲しいと求婚されたのだという。



サシャの浮かない顔の理由が分かり、ハイスは気遣うように声を掛ける。


「そうか。……めでたいけど、サシャは寂しいよね」

「……でも、祝うべきよね? それなのに、私驚いちゃって、ちゃんと“おめでとう”も言えなかったの」


すっかり元気をなくしているサシャを見て、ハイスは眉を下げる。

成人前から領主館に住み込みで働き始めたサシャにとって、成人した今でも、エルナの存在は相当に大きいのだろう。


何とか元気付ける方法はないかと考え、ハイスは、ふと思い付いて手に付いた粉を払った。


「そうだ! サシャ、明後日休みだって言ってたよね。俺、その日半休なんだけど、一緒に街へ行ってお祝い探さない?」

「お祝い?」


目を丸くしたサシャの手を取って、ハイスは微笑む。


「そう。高価な物じゃなくても、何か記念になる物を買ってさ、渡す時に改めて、エルナに“おめでとう”って言おうよ」

「う、うん…」


僅かに頬を染めたサシャに、ハイスは笑みを深めて頷いた。





「え? 明後日の休みにハイスと街まで? やだ、サシャ、それってデートじゃない!」

「エルナ! 声が大きいってば!」


翌早朝、宿舎の部屋でエルナが声を上げるので、サシャは急いで人差し指を口に当てた。

しかし、その指を丸めながら、小声で尋ねる。


「……これってやっぱり、デート?」

「そうよ! あなた達、デートなんて初めてじゃない? いっつも厨房ばっかりで。もう〜、楽しみだわ!」


エルナの祝いの品を買いに行くのだとは言っていないが、ハイスと約束したことを話したらこの反応だ。

まるで自分のことのように喜ぶエルナを見て、サシャも思わず笑ってしまう。 



「そうだ、これ着ていきなさいよ」


下女のお仕着せをクローゼットから出していたエルナが、端に掛かっていたワンピースを取り出した。

胴部分が絞られて、細いフリルリボンが縫い付けられた、淡桃色のワンピースだ。

エルナはサシャの体の前にそれを当て、パッと顔を輝かせた。


「似合うわ。これ、サシャにあげるから着ていきなさい」

「え! 駄目よ、これエルナが作った服でしょう?」


このワンピースは、ちょっと裕福な平民の娘服のようで、サシャは大きく首を振る。

領主館で働いているとはいえ、下女の給金は多いものでもない。

それで、彼女達は普段着には古着を買うのだが、エルナはシンプルな古着を、品の良い端切れやリボンで作り変えるのが上手だった。


「だってこれ、私の胸だと窮屈なの。お胸の小さなサシャにはちょうどいいでしょう?」

「も、もう!」


サシャの胸をツンと突付いて、いたずらっぽくエルナが笑うので、サシャは顔を赤くして抗議した。

しかし結局押し切られて、サシャはそのワンピースを大事に服掛けに掛けたのだった。





二日後の朝、領主館の通用門の側で、ハイスはサシャと待ち合わせていた。

街から来る仕入れ業者の帰りの荷馬車に、二人で乗せて貰う予定なのだ。


サシャは昨日、コツコツ貯めたお金で、エルナに花飾りの付いた装飾品を買いたいと言っていた。

エルナは花が好きだから、と。

よくよく考えれば、二人で領主館を出てどこかに行くなど、初めてのことだ。

エルナの祝いにかこつけて、サシャをデートに誘ってしまったのでは?と後で気付いて、一人でニヤけてしまったのは秘密にしておこう。


今も緩みそうな頬を軽く叩き、ハイスは門の外に向けて深呼吸をした。



ふと、門から少し離れた所に、歳をとった女性が一人立っているのに気付いた。

着古した洋服に、色褪せた肩掛け。

底だけ皮で強度を増した厚布靴も、相当に古そうだ。


通用門の方に来ているということは、使用人の誰かの身内だろうかと考えたところで目が合った。

女は媚びるような笑みを浮かべると、小走りにハイスに近付いた。


「兄さん、領主館ここで働いてる人だろう? 厨房にサシャって下女がいるはずなんだけど、呼んでもらえないかねぇ」

「……あなたは?」

「ああ、あたしはサシャの」

「母さん!」


後ろから聞いたこともないようなサシャの固い声がして、ハイスは驚いて振り返った。

表情を強張らせ、小さな手提げ鞄を強く強く握りしめたサシャが、淡桃色のワンピースの裾を揺らして立っていた―――。





「ハイス、ちょっと」


翌日、ハイスは午後の短い休憩時間に、厨房の裏口からエルナに外に連れ出された。

周りに人がいないのを確認しても、エルナは更に小声になって詰め寄った。


「昨日、街に行かなかったんでしょ? 何があったの?」

「何って…」

「ケンカしたわけじゃないでしょう?」


勿論ケンカなどしていない。

しかし、何があったのか、ハイスも何をどう口にして良いのか分からなかった。



昨日、サシャの母親を名乗る女が現れ、サシャは二人で話す間少し待って欲しいと言った。

それは、離れていて関わらないでほしいという意思表示に思われて、ハイスは言われた通り門の所で待った。

しかし、どうにも気になったので、少ししてから、チラと覗いた。


母親は、厳しい顔付きでサシャの持っていた小さな鞄をひったくり、中から乱暴に何かを取って自分の懐に入れた。

そして一言二言強く言って、サシャの腹の辺りに鞄を押し返すと、もう用はないというように背を向けて去って行った。


振り返ったサシャと目が合うと、彼女は薄く笑む。

門の所まで歩いて戻ると、俯いて言った。

『ごめんなさい。今日はもう買い物が出来ないから、出掛けるのは止めるね』、と…。



「サシャの母親ってひとが来たんだ。それで…」

「また来たの!?」

「……って、どういうこと?」


エルナの反応に、ハイスは眉根を寄せる。

昨日、サシャはどう尋ねても何も話してくれなかったし、あの場では強く問い質すことも躊躇ためらわれて、結局うやむやのままだった。


エルナは悔しそうに、そして忌々しそうに顔を歪める。

普段の彼女からは想像も出来ない表情を見て、これは生易しい話ではないと、ハイスは構えて彼女の次の言葉を待った。



「……サシャは成人前に親に売られかけたの。色々あって、領主館ここで働けるようになって、成人した今は縁を切ったも同然なのよ。それなのに、今もあの女は母親面ははおやづらして、サシャのなけなしのお金を奪いに来るのよ」


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