第5話
ベアトリスという女性の魅了の魔法にかかってしまった理由が、アーヴィン様の私への想いの軽さのせいだったとしても、彼の口からきちんと本心を聞きたい。そうしないと踏ん切りもつかない。
その一心で、私はアーヴィン様の住む伯爵家のお屋敷を目指した。
(……緊張する……)
また一人でここにやって来てしまった。しかも先触れも出していない。非常識だと怒られるだろうか。でも訪問を断られてしまったら元も子もないもの。
屋敷の前まで着くと、中に入らず手前で馬車を停めてもらう。突然うちの馬車が入ってきたら伯爵夫妻も驚くと思ったからだ。それよりも、私一人で玄関の扉を叩いた方が……、ううん、結局どっちにしても驚かせてしまうけど……。
門をくぐり、おそるおそる歩みを進める。しばらく行くと、何人かの使用人の女性たちが花壇の手入れをしているのが、お花の陰から見えた。……よかった。あの人たちに声をかけて、家令か誰かに取り次いでもらおう。
どきまぎしながら距離を縮めている時、背の高い花々越しに彼女たちの会話が聞こえてきた。
「坊ちゃまはまた、例の女と?」
「そうよ、またあの下品な女がお部屋に来てるわ。ローザとかいう」
「全く……。呆れたものね。アーヴィン坊ちゃまの素行の悪さのせいで全然決まらなかった婚約者が、ようやく決まったというのに」
「あちらとは領地が離れているそうだもの。まだ目が届かないし、やりたい放題でしょう。お坊ちゃまらしいわ。人間性って変わらないわね。旦那様方がお留守にされるとすぐに卑しい女を呼び寄せては部屋に籠もるのだから。もうあれは病気ね」
(…………え……?)
使用人の女性たちの会話はあまりにも受け入れがたいもので、頭が真っ白になる。……何の話……?人間性……?
使用人たちの嘲笑が聞こえる。
「やめてよあなた、病気って……。あの時のこと思い出すじゃない。あれ、二年くらい前だったかしら?アーヴィン坊ちゃまがいかがわしいところで遊びすぎて、本当に変な病気をもらってきちゃって……、痛いだの痒いだの、どんどん腫れてきただの、しまいには泣きベソかきながら……。……やだ、思い出したら笑っちゃう」
「あの時は大変な騒ぎになったわよねぇ~。奥様があんなに取り乱していらっしゃるのを見たのは初めてよ」
「アーヴィン様は本当に節操のない方だから……。不思議よね、本当。どうしてあのローザっていう女にだけは、これほど夢中になったのかしら」
「何でも幼い頃に出会った初恋の相手らしいわよ。ずっと彼女だけを大事に想っていたんだ、ですって。馬鹿馬鹿しい。だったらこれまで無数にいた遊び相手の女性たちは何だったのよ」
「きっと運命的な再会のせいで物語のヒーロー気分にひたってるんだわ。情けないわねぇ、ほんと。もう二十歳にもなられたというのに」
「この分じゃいつか婚約者の方のローザ様に全てがバレて捨てられるんじゃないかしら。ふふふふ……」
「…………。」
◇ ◇ ◇
「……おや、ローザお嬢様。もうよろしいのですか?」
馬車のところに戻ってくると、御者が驚いた顔をする。
「ええ、もう帰りましょう。疲れているのにごめんなさいね。ここを離れたら、早めに休憩をとりましょう」
「そんな。畏れ多いお言葉です」
私はそのまま伯爵邸を後にした。全ての事情が分かった今、迷いはなかった。ダリアスの言葉を思い出す。もうアーヴィン様本人から直接事情を聞くまでもないし、魅了の魔法を解いてあげたいという気持ちもなくなった。
(どうしてダリアスがあんなに一生懸命私を止めたがっていたのか、よく分かったわ。……アーヴィン様、どうぞあなたは虚像のような恋の中で、お幸せに)
ベアトリスという女性の魔法が、いつ解けるのかは知らない。一生かかったままでいられれば、彼は幸せなのかしら。
でも、大して強くもないという彼女の魔法。もしいつか、ふいに解けてしまったら……?
その時アーヴィン様には、何が残っているのだろう。
その後私はダリアスに助けられながら全ての事情を両親に話し、先方との婚約を解消してもらった。
息子の素行や現在の不貞行為を隠していた彼の両親は、婚約解消を叩きつけたこちらを非難することはできなかった。
それから、わずか一年後のこと──────
「……あなたはいつから私のことを……?」
「子どもの時から、ずっとだよ。初めて君が、うちの別荘に静養に来た、あの時から」
「本当に?全然、気付かなかった……」
「ふ……、そうだよね。君にとって僕はずっとただの友達だったし、あいつが現れてからは、君はあいつに夢中だった」
「……ごめんなさい。私、あなたをずっと傷つけていたの……?」
「ううん。そんなことない。僕は君にとって唯一無二の存在なんだと自分に言い聞かせていたからね。幼なじみで、親友でもあり、君の体も癒やしてあげられた」
「……ええ。そして、今日からは私の旦那様」
「そうだね。今でも夢を見ているみたいだ」
「……不思議だったの。侯爵家の嫡男で、強力な魔法の使い手でもあるあなたが、今まで誰とも結婚していなかったことが」
「うん。納得しただろう?」
ダリアスはそういうと、まだウェディングドレスを着たままの私の体を抱き上げ、運んでいく。
ふわりと降ろされた大きなベッドの上。ダリアスは私の額に、頬に、首筋に、優しくキスを重ねながら、ゆっくりとドレスのボタンを外していく。
「……僕の可愛いローザ。やっと君は、僕だけのものなんだ……」
唇にそっと触れる温もり。優しい重みと滑らかな手に全てを委ね、私はうっとりと目を閉じた──────
私とダリアスの間に生まれた可愛い子どもたちが、私たちの出会った歳になる頃、平民の女性と結婚したらしい彼の実家がついに没落したという噂が流れた。
あの一家に一体何があったのか、詳しい事情は何も知らない。
ーーーーー end ーーーーー
「君を愛することはない」 鳴宮野々花@初書籍発売中【二度も婚約破棄 @nonoka_0830_
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