The Party Is Over 〜 宴の終わり 〜

無名の人

The Party Is Over 〜 宴の終わり 〜

生まれてから60年近い人生を振り返ってみると、概ね前半の30年は上り坂で後半の30年は下り坂だったように思う。あくまでも「集団としての日本」についての話であって、私自身の幸福度曲線とは別の話である。(人生は個人戦だ!)


専門家にお叱りを受けるかも知れないが、スキーとスノーボードの違いは、「スキーは坂を上れるがスノボは下ることしかできない」という点だと個人的には信じている。そういえば、若者(あるいは若者に媚びるおっさん)の間でスノーボードが流行り始めてスキー一筋の昔人間にとってはゲレンデで「滑りづらさ」を感じ始めたタイミングと、「日本の直滑降」の始まりとが見事にシンクロしているようにも思われる。


戦後の復興・高度経済成長を経て、先人達が築き上げたものを「食い潰す」かのように宴に興じてきたのが「失われた30年」の正体ではないか。「日本型経営の強み」「電子立国日本」「世界最高品質」といった神話の数々も、「神々の黄昏」の時代を迎えて振り返ってみると、我々の勝手な思い込みとお得意の同調圧力を駆使して(数十年にわたって品質擬装をしてまで! )「周囲の期待に応えているふり」をしていただけ(or 世界や自分自身を巧みに欺いていただけ)の幻想に過ぎなかったのかもしれないことに気づいて愕然とする。芸能界のJKT(ジャニーズ・歌舞伎・宝塚)問題も然りだ。子どもの頃は晴れがましい心持ちで素朴に憧れていたオリンピックや万博さえも、醜い舞台裏が赤裸々に暴露された今では興醒めだし、あんなものに熱狂していた若い頃の自分が滑稽で哀れにさえ思われる。


折しも、日本社会を代表する「選良」(or 単なるパリピ?) の方々の舞台裏が次々と明るみに出て国をあげての「右往左往」が始まった。(右も左もわからない若い世代には「どうでも良いこと」かもしれないが。) どさくさ紛れの (恒例の?)「年末新党」まで出現するありさまで、文字通り「失われた30年」だったことを改めて実感する。


結局のところ、坂の上の雲を目指して峠まではたどり着いたのに、そこで「自律的な目標設定」に失敗して、先輩方の遺産を食い潰すだけの転落の時代に相転移してしまったのだろう。坂を上れないスノーボードが流行し、合同結婚式や壷売りがなかったことになり、テレビがジャニーズ・吉本一色になっていった30年間だったのは単なる偶然かと思っていたが、(意識されることさえないまでに)生活習慣化した「全体主義の最終段階」における必然だったような気もしてくる。(スノーボードについては、スキーしかできない私の僻みである。誤解なきように。)


そろそろ、ゲレンデの麓にあるレストハウス(振り出し)に戻って、「高いカレーライス」を食べる時だろう。スキーであれスノボであれ爽快な「直滑降」が終わって「落ちるところまで落ちた」のだから。(物理的に言えば「安定化」かもしれない。) 宴は終わったのだから「払うべきツケは払って」次なる峠に向かって一歩を踏み出すときだ。(スノボには無理か?)


The party is over.


2023.12.8

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