エピローグ
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「ゆっくり」
声だ。
「ゆっくりでいい」
眩しい。
手でかざそうとする前に、何かが光を遮った。そのまま熱い何かに目を覆われる。
分厚い皮の感触……。
人間よりも高い温度……。
かすかな土っぽい匂い……。
側頭部から側頭部へと包む大きな……。
手! アカオニの手だ!
「アカオニ!」
「急に起き上がるな」
載せられていた手を握りしめ、ベッドに腰掛けるアカオニに見入った。
深紅の肌、鋭い目つきと、ヒガンバナの花糸に似た睫毛、思慮深さを湛える黒い瞳。肩幅に比べれば細く、豊かな筋肉を感じさせる首筋から頬のライン。切り添えられた前髪を分ける、くすんだ黄色の角。
釣合と力強さを兼ね備えた美しい姿。
「夢じゃない……本物だな!」
初めて見た時は理解に苦しんだ姿だというのに、こうも心が落ち着くとは。
彼女はほんの少し視線を外してから、再びモモに向く。
視線を合わせてくれた。
「何を以て本物とするかは議論の余地があるな。お前と出会った最初の肉体は、マザーシップ・インストレーションと一緒に燃え、ここにいるのはクローン体に記憶転送をしたジョールイに他ならない」
ああ! そんなことどうでもいい! ジョールイかどうかであるなら、モモだってジョールイであるのだ。
真っ赤な大きな手をぽんと叩いた。
「こうして変わらず話ができているなら、間違いなくぼくの知るアカオニだ」
「ハッハハ。そうだな」
吹き出すような笑い声を満足に聞いてから、違和感があるのに気付いた。
「アカオニ、眼鏡はどうした」
アンダーリムの眼鏡をかけていなかった。
それだけじゃない。
「その格好もどうした」
あの白衣とスーツを着ておらず、赤い素足を包んだストッキングもなくパンプスも履いていない。
モモと同じ、難燃性上下一体型の密着スーツだ。
スポーツマンのような引き締まった肉体美がよく映えるが、物足りなさを感じる。
「ああ。衣服までこの船には積載していなくてな」
「この船……」
言われて、ようやく周囲を見渡す。
アカオニたちが立っても余裕のある高さの部屋。中心にあるテーブルとイスは鉄板を組み合わせた簡素なもの。部屋の反対側にはモモが座っているベッドと同じく、壁にくぼみがある。床も壁も天井も、モルタルのようなざらついた壁材が剥き出し。
窓は無く、薄暗く殺風景。
端の一方には梯子、もう一方は扉だ。恐らくどちらか一方は管制ブロック……コクピットにつながっているのだろう。
「あの鬼の船か」
「そう、鬼どもの宇宙艦を模して建造した船だ。ヤツはなんと名付けたか」
「ダイカンヅミである」
大声が響いた。
アオオニの声だ!
ごつんごつんと音を立てながら梯子を登って現れる。
アオオニも同じ格好だった。サイズが合っているのかどうか……アカオニよりも盛り上がった筋肉がびっちりと張り詰めていて、すこし窮屈そうに見える。
ふたりとも、豊かな胸がさらに大きく強調され、いささか正視にたえない姿ではある。だがアスリートとボディビルダー……性質が異なる筋肉に頼った肉体美には、思わず胸中に感嘆を浮かべずにいられない。
激しい運動でもしていたのかうっすらと湯気が立ち上り、皮肉っぽい笑みもマッシブな巨体もなまめかしく彩る。それに顔や服、全身のところどころが煤で汚れていた。
「アオオニ! 角が」
右に寄った一本のみだったアオオニの角は二本に。隠れていた左目も露わになった。
「そうか、クローン体だからか」
元の肉体にあった角は、ダイジントウに仕組まれた機能のための鍵にしたと言っていた。新しく培養したクローン体なら、角も生えている状態というわけか。
あの鍵は燃えてしまっただろう。
「まじまじと見るでない、人間」
モノクルも無く両目がはっきりと見えていると、不思議と幼く映る。爛々と輝く目に、喋る度に歯を見せて大きく広げる口のせいだ。
「今回は速やかな目覚めであったな。丸焦げから目を覚ますよりは当然か」
「アオオニ……そうだ、ぼくはダイジントウから吹き飛ばされて」
自分の手を見た。戦闘中、管制ブロックの破片で切り裂かれた跡が幾筋か残っている。あの時、痛みに手を止めずにいられたのは、バオリに仕込まれた鎮痛剤と、義憤に駆られたが故。
鬼を滅ぼし、KIBIを討った手。
知的生命体の未来を奪った手。
「ああ」
アカオニが、モモの手を包み込むように重ねて。
「私が連れ戻した」
ふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「二度目だな」
すこしばかり胸が跳ねた。
「ふん。ダイジントウの管制ブロックを破壊して人間を掘りだそうと言い出した時には、正気を疑ったものであるぞ」
「そのわりには行動は早く、潰れないよう的確な突撃であったがな」
「ふん」
鼻を鳴らしたアオオニは、イスにどっしりと腰掛けて腕を組む。
「アオオニ」
呼びかけたが、そっぽを向いたまま。
構わず告げる。
「ありがとう。アオオニのおかげで戦い抜けたし、こうして生き残ることもできた。礼を言うよ、この小さい口からでよければ、何度でもね」
「ふん」
みたび鼻を鳴らして、しばらくしてから。
「……メインエンジンの分離は終えている。これにて人三化七の我が艦は、クソッタレ艦隊に追われずに済むであろうよ」
「分離?」
「あれはカラクリダンゴから逃れるためのジャンプ用に拝借しただけである。このダイカンヅミで唯一、人類の技術が露出する部分であるから捨てたまでである。それだけの予定であったが、まさかオオシバとの追いかけっこに役立てようとは、ああ、想像力の不足であるとも」
「あの三隻をまとめて相手にしていたら、ぼくは瞬く間に負けていた。そうなったらとっくに死んでいたか、記憶をリセットされ、君たちを忘れてKIBIの計画の片棒を担いでいたところだ」
言って、なぜだか胸が苦しくなった。
後悔か。
なにをいまさら。
知的生命体から知性を奪って生かす計画だなんて。
それでも生きているなら、その方が良かったのか?
カゴの中の動物――ではない。地上に生きる動物たちは、空を見上げても、その先へ行こうとはしない。カゴの外だとか、地続きのテリトリーの外側だとかいう話ではない。
宇宙を目指さないんだ。
だが知的生命体は違う。
宇宙を知ったなら、目指してしまう、求めてしまうのだ。
その欲を打ち消して地上でのみ生活を許そうというのは、動物と変わらない生き方をせよ、そう通告したに他ならない。
我々の魂は、肉体の歯車を回すためだけに存在しているのではないんだ。
だから。
きっとこれで……。
「ハッハハ。元気があるようでなによりだ」
ぼん、と大きな赤い手が頭に載っけられる。
「アカオニ。ぼくは――」
こちらの言葉を遮って、ぐにぐにと不器用に撫でつけてきた。
「感情を動かせるならつまり、元気があるということだ」
次の瞬間には両肩をむんずと掴まれ、強制的にベッドから降ろされる。
ベッドの高さが腰ぐらいある。どうやらここは全部鬼サイズのようだ。
見上げるとアカオニと目が合った。
にやり、と。
「見せるぞ」
「無論である」
連れられたのは管制ブロック……というには狭苦しいコクピット。
波打って座り心地の悪そうなアカオニとアオオニの座席。コンソールには原始的な円形の発光ダイオードディスプレイと、木の枝みたいなトグルスイッチがずらりと並んでいた。それぞれを支えるフレームは地金が露出していて、乱雑な溶接で継ぎ接ぎにされている。
キャノピーは目隠しのためか遮閉モード。あれが開放されれば、巨大な衝角が視界に入ることだろう。
「なんてコクピットだ」
こんな操縦しにくい環境でオオシバと戦っていたのか。
おおよそ、マザーシップ・インストレーションやダイジントウ他艦船を手掛けたアオオニの仕事とは思えない有様。滅却艦隊に対抗するためとはいえ、もらった鍵の美しさを想うと、造形に対する悔しさを感じる。
「見せたいのはそこではない」
懸架したディスプレイに注目する。
映し出されたのは星図。
「私たちはガンマレイ・バースト・バスターの照射直前に、ランダムジャンプで脱した。ここが現在位置、約二〇光年離れたこの光点が太陽系だ」
太陽系……いま頃は赤熱した地球がもうひとつの太陽のように振る舞っているに違いない。一般的に観測される一〇の五一乗エルグほどの高エネルギーガンマ線ではないとしても、地球に高熱がほとばしった。天球を埋めるほどの滅却艦隊の仕業。
「滅却艦隊もしばらくすれば散るだろうが、私たちは太陽系には戻らない。目指すのはここ、四八光年離れたこの宙域だ。ショートジャンプで――」
「待ってくれ、アカオニ」
淡々と話を進めるアカオニを制す。
「順序立てて話してくれるのはありがたいんだが、なにを目的に移動する気だ?」
もはや、滅却艦隊に蹂躙されるだけのこの宇宙で、たった三人でできることなど残されていないだろうに。
天の川銀河に蔓延する滅却艦隊は次にアンドロメダ銀河を目指し、アンドロメダも征してしまえばまた次の銀河へと、何億何兆という艦隊が旅立っていく。天の川銀河で増殖し続ける滅却艦隊を止める術はない。
生き残ったのはいいが、いたずらに寿命を浪費するだけの毎日が待っている。
なのに、アカオニはまるで目的が決まっているかのように話し始めるではないか。
「心外だな。『死の瞬間まで力を尽くす。人間が選べる人生の中で、最も精一杯な生き方だ』と言ったのは、お前だろう?」
それは――。
「KIBIを探す」
「なんだって!」
「地球で潰したあれが言うには、滅却艦隊の整備製造拠点にKIBIがいる可能性が高い」
はっとして目を見開いた。
圧縮知育で確かに言っていた。滅却艦隊はKIBIと黄鬼族が主導で製造を担い、元々黄鬼の勢力圏であったオリオン渦状腕の外れに工場惑星があると。
そこに辿り着けられれば、KIBIどころか、高度にシステム化された工場施設も手に入る。
滅却艦隊の解体施設として転換を――。
「いや。いや、だめだ。全てのKIBIの根幹に地球回帰主義がある。どのKIBIを見つけても、また今回のように地球を求め始めるぞ。別のKIBIが、ぼくが潰したKIBIの失敗を知れば、もっと厄介な手を使ってくるかもしれない。そうなればダイカンヅミしかないぼくらには対抗のしようがない」
「ふん。カビたカラクリダンゴなぞ不要である」
「なに?」
「無傷のカラクリダンゴを手に入れて分解、あるいは組成を解析し、コピー品を作るのである」
そんなことが!
モモは今度こそ目をひんむいて、ふたりの顔を交互に見つめた。
「新しいKIBIを……地球回帰の思想を持たず、尚且つ滅却艦隊への影響力を持ったままのKIBIを、ぼくらが製造するのか」
片や、モモの意志を支えるように優しげな視線を送るアカオニ。
片や、モモを見下ろして問答無用で背中を押す勢いのアオオニ。
どちらも巨大な体躯は有無を言わさない迫力がある。
が、その目はこちらを向いている。
ともに行こうと手を差し伸べてくれている。
滅却艦隊という、無人戦艦の皮を被った残酷な異形を討ち果たす術。
未来を存続させる可能性は残されているのか。遅延も停滞もない未来が。
「のんびりしている暇は皆無であるぞ、人間。その体を存分に発揮してみせろ」
「そう、だな」
「大喜納モモ」
名を呼ばれる。
これまで、アカオニとはあまり視線が合っているとは言い難かった。
いま。向けられる視線は、ともに歩むことを求めていた。
「知的生命体が残す、寂しくも精一杯に生きた証しが刻まれた宇宙の行く末、取り戻してみせようじゃないか」
求めているのはモモも同じだった。
「ああ。アカオニ、やってやろう」
宇宙を目指す新たな知性へと繋げるために。
「よし。では、四八光年先のこの宙域には、鬼の艦隊の残骸がある。これを利用してメインスラスターの増強と艦体の補強を行い、ロングワープに耐えられるよう改造を行う。並行して鬼の艦船から情報を入手し、黄鬼に関わる情報を収集する。モモには操艦を頼みたい。私は情報収集、アオオニは艦体改造だ。いいな。では――」
▼
「それで食事は、毎日、これか」
「なにか不満があるのか? 私の好物だぞ。食用粘土では面白みがない。工学栽培米が食えれば十分ではないか」
「相も変わらず人間は、俺が用意する飲み物を怪しんでいるようであるな。せっかく限られたスペースに生産施設を設け、俺が愛飲する茶葉と、アカオニのわがままを聞き入れ種籾を持ち込んだというのに」
「うまいのは認めるよ。どちらも五臓六腑にしみわたるうまさだ。だけど」
「けど、なんだ?」
「なんであろう?」
「毎日ライスボールとグリーン・ティーというのはちょっとな」
「おにぎりだ」
「緑茶である」
「ああ、わかった、わかった! 改めるから迫らないでくれ。暑いんだ……」
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アカオニ・インテリジェンス 達田タツ @TatsuT88
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