TRACK10 島

 海の男が何を言ってるのかわかりませんでした。だってここまで、校長先生や、バスの運転手さんも優しかったり、お兄さんが助けてくれたり、続けろよって、言ってくれたりと、何もかもうまくいってたです。こんなところで終わるなんて、想像できると思いますか?

 言葉を失っているくーちゃんに、海の男はそのくちゃくちゃの紙を渡してきました。そこには、行方不明の中学生、探してますと書かれてて、写真がプリントされていました。そして、そこに写ってたのは、どうみてもくーちゃんとハナちゃんでした。変装をしていたくーちゃんとハナちゃんですが、ここまでの経緯を説明したので、もう自白も同然。誤魔化せるわけがありません。

「クウ。そしてハナ」

「ちゃんをつけてください。くーちゃんの名前、ちゃん、つけてなんぼです。ちゃんがないの、かわいくないです」

「海の男はな、ちゃんをつけて人を呼ばないんだよ」

「それなら海の男、やめて、普通の男になってください。くーちゃんはくーちゃんです」

「海の男はそれほど簡単に辞められるもんじゃない。でも、お前らの旅は、もうやめるべきだ。あいつから俺に、娘が行方不明だって連絡が来ていた。顔を忘れているから力になれないと思っていたが、ご丁寧にこんなもの作ってたんでな。一応持ち歩いてたんだ。変装しているとは思っていたが、海の男の目は誤魔化せねえ。まあとにかく、奇妙な偶然もあるもんだな。いや、必然か。子どものためなら、ここまでするのが親だわな」

 さすがのハナちゃんも、遠く離れた地元に、手配書が配られてるなんて思わなかったのでしょう。ハナちゃんを責めるわけにはいきません。

 なんにせよこの旅は、そんな簡単にまとめられていいものじゃありません。こんなところで戻れるわけがないんです。そこでくーちゃんが思いついたのは、前回も使った必殺技でした。

「このお金で、見逃してください」

 くーちゃんはポケットからしわしわになったお札の束を、海の男に見せました。けれど海の男は鼻で笑いました。

「中学生に買収されるような、馬鹿な大人だと思ったか?」

「買収させてくれたおじさん、いました」 

失敬、お兄さんでした。ですがこの時訂正してくる本人はいなかったので、許してください。くーちゃんは嘘、苦手なんです。

「そいつはたぶん馬鹿な大人だ」

 怒らないでください。くーちゃんはお兄さんを馬鹿だと、思ったことありません。だってくーちゃんたちを助けてくれたじゃないですか。

 でも、この時が大ピンチなのに変わりはありません。海の男は、煙草の煙をふうと吹いた後、再び島の方を見ます。

「俺は海の男だ。だけど、一人の大人でもある。大人ってのは、子どもを守るのが仕事なんだよ」

「なら守ってください。くーちゃん守るなら、島、連れてってください」

「そういうわけにはいかないんだよ。クウ。そしてハナ。お前さんたちは」

「ちゃん、つけてください」

 海の男はくーちゃんの反論を無視して、お話を続けました。

「お前さんたちは楽しいかもしれない。だけどな、大人っていうのは、お前さんたちが想像している以上に、お前さんたちを大切に思っているもんなんだ。まあ、もちろん例外はあるが、少なくとも、お前さんたちは大切に育てられているんじゃないか?」

「なんで、そんなことわかるですか」

 もちろん、ハナちゃんのご両親から連絡を受けて、どれだけ心配しているか、聞いてたんでしょう。でも、くーちゃんのことも、ハナちゃんのことも、海の男は何も知らないです。そんな分かったような口をきいてきて、とても腹が立ちました。

「俺が海の男だからだよ」

「おわれないです!」

 くーちゃんは海なので、遠慮せずに大きな声で言いました。海とゆうのは、叫びたくなる気持ちを強めてくれます。海に沈む夕日へ叫びたくなるの、青春と思いませんか? 

「くーちゃん、嘘、嫌いです。嘘だらけの毎日なんです。そんなの生き地獄です」

今すぐ海に飛び込んで、バタ足で島まで行ってしまおうかとも考えました。

ですが、流木なしではさすがに自信がありません。女子中学生の体力は、そんなに多くないんです。万事休すかと思いました。そんな時、天から何かすごい奇跡、降ってきました。なんて、言いたいところですけど、奇跡はすぐそばで起きました。

 ドン、とゆう、鈍い音がしました。

 くーちゃんは何の音か、わかりませんでした。

音の方を見ると、ハナちゃんが、海の男の背中に強烈な蹴りを、喰らわせてたんです。暴力とは正反対の存在であるハナちゃんの、予想外の行動でした。もしかしたら流木でここまで流されたことで、ハナちゃんは少しおかしくなってたのかもしれません。 

 海の男は、ハナちゃんの蹴りの勢いでバランスを崩して

「うわあああああ!」

 と大きな声を上げました。

そして、バシャアアアン! と、隕石が落ちたかのような音を立てて、海に落ちてしまいました。

海の男でも海に落とされたら、叫び声をあげるなんて、変な話ですよね。え、いや、あの、その、言いたいこと、分かります。とんでもないこと、してしまってますよね。やったの、ハナちゃんですけど、まあ、あれからだいぶ時間はたってるので、できたら許してもらえると幸いです。

とりあえず、お話を続けましょう。海の男不在でくーちゃんとハナちゃんは、船を手に入れました。やってることは完全に海賊です。海の男より、海の男してるかもです。まあくーちゃんもハナちゃんも女なんで、海の女ですけど。とにかく逃亡の身ですから軽犯罪の一つや二つくらい、あってもよいと思います。正しいことだけが人生のすべてじゃないですから。ただ、船があったとしても、くーちゃんは船の運転はできません。なので、ここまできたらいくとこまでいくしかないので、勘で運転しよかなとか、そう思ったところでした。

「おい! なにしてる!」

 海の男が浮かんでいる丸太をつかんで、必死でくーちゃんたちの船をバタ足で追いかけています。猛烈な速さでした。さすが海の男です。

 ですが。

ブロロロロン!

低いエンジンの音が聞こえてきました。海の男は、くーちゃんじゃなく、操縦席へ叫んでたんです。もちろんくーちゃんは操縦の機械、ノータッチです。だってどこをどうやればエンジンがかかるなんて、わからないですから。だからハナちゃんが、運転席に座って船を操縦し始めるなんて、思いもしませんでした。

 とてもうれしかったです。だって、ハナちゃんも、ここで旅が終わるのは、嫌だったとゆうことですから。

「運転できたですか! ハナちゃん!」

 それにしても、さすがハナちゃんです。小さいころから、きっと海の男の操縦を見てたからこそでしょう。船の運転くらい、お茶の子なんとか。なんとかの手をひねるかのごとき所業だったのです。伏線回収とはこのことです。まあ、それでもハナちゃんが強烈な蹴りをきめる伏線は、どこにもありませんでしたが。ハナちゃん、もしかして当時キックボクシングかなにかをやってましたか? やってなさそうです。続けます。

 ハナちゃんは、真剣な顔で船の舵を切って、前進してゆきます。行き先の島までぐんぐん近づいていました。途中、飛んでるカモメさんや、海を泳ぐ魚さんたちは、まるでくーちゃんとハナちゃんを応援しているみたいでした。縦にぐわんぐわん揺れる船は、空を飛んでるみたいでした。くーちゃんは、船の先端部へ、好奇心で向かってみました。揺れているので少し動きにくかったですが、島の方をよく見たかったので、足を止めませんでした。

 不安定で、まっすぐ立つのは難しかったのですが、勇気を出して、体を起こして、両手を思い切り広げました。

 最高に気持ちのいい海風が、くーちゃんの体を吹き抜けていきました。冷たかったですけど、それがくーちゃんの火照った体を優しく包んでくれたんです。抱きしめられてるみたいでした。トンネルの中に通ってる風も好きでしたが、こんなにも心地よい風が、この世にあったの、くーちゃんは知りませんでした。

「ハナちゃん! 最高です! 最高です! すごいですハナちゃん‼」

 運転席のハナちゃんにそう言うと、ハナちゃん、またいつもみたいに、顔を真っ赤にしてうつむくだけでした。


しばらくして、船は島にたどり着きました。

無事にたどり着いた、と言いたいところですけど、正直微妙です。砂浜に乗り上げる形でくーちゃんたちは上陸したのですから。この時、船着場にしっかりと船を止められたらよかったんですけど、ハナちゃんも、さすがにそんな技術は持ち合わせてなかったです。それに、そもそも島のどこに船着き場があるのか、知りません。天気は、さっきまでさわやかに晴れてたのですが、空には灰色の雲がじんわりと広がってました。でも、天気なんてどうでもよかったです。海の男の言う通り、この島にはハナちゃんの描いていたトンネルに限りなく近い場所があると、確信してましたから。

 そしてくーちゃんは、船を降りると、島の方を見るより先に、砂浜へ顔をぺたんとくっつけて寝そべりました。なんとなく、島とゆうのは、一つの生き物に近い感じがして、どこからでもトンネルにつながってるような気がしたんです。じゃりっとした、一粒一粒砂が、くーちゃんのほっぺにふれます。生臭さや、お日さまの香りが混じった匂いでした。

 くーちゃんの想像は当たりました。目を閉じてると、トンネルを感じられました。暗くて、深くて、風が遠くへ吸い込まれてるような暗いトンネルです。ですが、ハナちゃんの描いたようなトンネルと、少し、違います。とゆうより、まだ距離が空いているような、そんな感じです。けれど、違うトンネルとも言いきれません。砂浜から感じたトンネルの奥。底の底から、微かに香りました。ハナちゃんの絵から感じた少ししょっぱくて、冷たくも、なにかを求めてるような、来てほしい、という言葉に近い何かが。

「言ってた通りです」

 くーちゃんは目を開きます。いつの間にか船から降りていたハナちゃんが、トンネルの絵を畳んで、手に持ったまま隣に立ってました。くーちゃんは体を起こします。ほっぺについていた砂が、ぱらぱらと落ちましたが、まだ何粒かくっついたままです。でもかまいません。ほっぺにいくら砂がついてようと、くーちゃんの目的に関係ありませんから。そして、その小さな島の全貌を確認します。驚きました。島の中央から、大きな幹と葉が見えたんです。枝葉は、島全体を覆うほど広がってました。きっとあります。この島の中央に、とても大きな木が。

 絵から感じ取った何かの正体が、だんだんはっきりしてきます。霧が晴れてゆくような気分でした。

「ハナちゃんは、その絵、どうして描いたですか? 海の男、何もハナちゃんに言ってないとのことでした」

改めてくーちゃんは、絵を持つハナちゃんへ尋ねます。ハナちゃんがさっきまで意気揚々と、船を運転してた時とは別人みたいに、気まずそうな顔で、うつむきます。

「大丈夫です。変なこと、違います。ハナちゃん、人間じゃない存在の気持ち、わかる人なんですね。だからハナちゃん、この方の思い受け取ったです。この島、見える町で住んでて、海の男の船に乗って、あの島、見て、受け取ったんじゃないですか?」

くーちゃんの推測に対して、ハナちゃんは両手に持つ絵をぎゅっと強く握りしめるだけで、何も言いません。もしかしたら、ハナちゃんにとって触れてほしくないお話だったのかもしれません。

「ごめんなさいハナちゃん。無理に言葉、しなくて大丈夫です」

 ハナちゃんは首を横に振ります。気にしなくてよいとゆうことでしょう。

「じゃあ、行きましょう」

 くーちゃんは、島の中へと足を進めました。所かまわず伸びている枝葉をかきわけ、飛んでくる、たくさんの虫さんが、顔に何匹かくっつきます。くーちゃんたちは侵入者みたいなものなので、このような洗礼を受けるのは、やむをえません。寒い時期にこんなに動きにくいなら、夏はもっと動きづらいと思います。でも、進むしかありません。やっとたどり着いたゴールが、目の前にあるんです。止まってる暇なんて、ありません。

 ハナちゃんも、運転でくたくたになってしまったのか、さすがにペースが遅めです。くーちゃんが急かしたので、絵をリュックにしまう暇もなかったみたいで、片手に持ったままでした。

「ハナちゃん、大丈夫ですか!」

「…大丈夫、おい、つく」

 ハナちゃんは、息を切らしながら言いました。この時のくーちゃんは、ハナちゃんも同じようにトンネルの呼び声に応えたい。そう信じてました。だって、あの絵を描いて、ここまでついてきてくれたですから。きっとこの旅の終着に、ハナちゃんは必要なんです。くーちゃんはそう信じて、ハナちゃんに手を伸ばしました。

「行きましょう! 一緒に!」

 ハナちゃんは震える手を伸ばしながら、くーちゃんと手をつなぎました。数日間一緒いますけど、ここまで近くにハナちゃんを感じたのは、初めてでした。

 そして、ハナちゃんを引っぱりながら、くーちゃんはずんずん、島の中を進んでゆきます。途中でぼろぼろになった木造のお家や、昔使われた階段のようなものがありました。もしかしたらこの島も、昔、人でにぎわってたのかもしれません。小さなお墓みたいなものも、たくさん埋められてました。

くーちゃんもこの島で生まれて、生きて見たかったです。そしたら、もっと早く、大きな植物さんの気持ちに、気づけたかもしれないのに。

くーちゃんたちがぼろぼろの階段を上るのは、普通の山道を進むより楽でした。一歩一歩、踏みしめてると、森の香りが強くなってきます。時折、くーちゃんは地面にまた顔をすりつけ、トンネルの片鱗を感じました。

「もう、ちょっとです」

 長い長い階段を登って、今度は下りに差し掛かりました。階段を一段、一段と降りてると、違和感がありました。あんなににぎわっていた植物さんたちの気配が、一気に消えてしまったんです。まるで、人ごみから抜け出したような感覚で、とても心細くなりました。

「あ、あれ、?」

 ハナちゃんが久しぶりに声をだして、指をさしました。その方向にそれはありました。

 大きな木でした。ただ、大きいだけじゃありません、見上げると首が痛くなるほど、とても、とてもとてもとても、高く、静かに、そびえたっていました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る