TRACK9 海の男
「いやああああああああ! ぎゃあああああああ!」
ハナちゃんとお話をするようになって、まだ数日ほどですが、ハナちゃんの声は今までで一番大きかったですね。どういう状況かと言いますと、くーちゃんとハナちゃんは浜辺に落ちてた大きな流木を一つずつ選び、それに乗って島まで行くことにしたんです。秋の海は冷たかったですが、四の五の言ってられません。目的のためには、手段なんて選んでられないです。それにハナちゃんの荷物はリュックでしたし、くーちゃんも、鞄の紐をリュックみたいに両肩にかけたので、両手でしがみつきやすかったです。
「大丈夫ですハナちゃん! 流木ちゃんと! 浮いてくれます!」
「ぎゃあああああああ!」
ハナちゃんの断末魔のような叫びは、くーちゃんの言葉へのお返事だったのでしょうか。全力で首を横に振っていたので、もしかしたら大丈夫じゃないという意思表示だったのかもです。秋の海は確かに冷たくて、波が荒れてしまえば、きっとくーちゃんもハナちゃんも海の底でおさかなの餌になってたかもしれません。植物さんのトンネルの向こう側に行くのと、そんなに変わらない結末かもしれないので、それはそれでアリだったかもです。
ともかく、くーちゃんとハナちゃんは流木に乗ったまま、両手で島に向かって水をかきます。大きなオールでもあればよかったですけど、ない物ねだりをしても意味がありません。冷たい海でしたが、体を海につけて、ビート板みたいに流木をつかみ、バタ足すれば、いくらか推進力を保つことができました。
「ハナちゃん! これです! これならたくさん進めます!」
「うぎゃああああああああああ!」
まだハナちゃんは叫んでました。ですが、ハナちゃんも観念したのか、流木から体を海につけて、必死でバタ足をしてました。顔は真っ青です。もう海や青空とは比にならないくらい青かったです。今にして思えば、命の危機だったかもしれません。若気の至りとゆうのは怖いものです。
そんな海での楽しい旅を続けてたくーちゃんとハナちゃんですが、その時、どこからともなく、ブロロロロとゆう音が聞こえました。それは、船のエンジン音です。ずいぶんと久しぶりに聞いた気がします。流木に乗ってるくーちゃんたちは、その音ともに体が波と一緒にぐわんと浮きます。ジェットコースターに乗ってる気分でした。音の方を見ると、くーちゃんたちの方に近づく赤い船が見えました。その上に乗ってたのは、半袖短パン姿の、筋肉質のおじさんです。
それが、おじさんこと、海の男との出会いでした。
「何してるんだあんたら! 早く乗れ!」
おじさんのたくましい筋肉で、くーちゃんとハナちゃんは軽々と引き上げられます。船の上でハナちゃんは青ざめた顔で「はあ、はあ、はああ、はあ」と言葉にならない呼吸を続けてました。くーちゃんは、特に大丈夫だったのですが、強いて言えば、ハナちゃんからもらったメガネが落ちて、海に流されてしまいました。
「ごめなさい、ハナちゃん。メガネ、流されちゃいました。でもラッキーです、ハナちゃん、バタ足より早く着きそうです」
「はあ……はあ……はっ、は、はああ……」
もう少し会話ができるまで、時間が必要そうでした。
「ありがと、ございます、助けてくれて」
くーちゃんはおじさんに言いました。
「ああ、俺は海の男だからな。これくらい当然さ」
自分のことを海の男と名乗った人は初めてです。だから、くーちゃんは本当にこの人が、海の男と、信じてしまいました。秋なのに半袖のTシャツに短パンです。まるで少年みたいな服装でした。ですが、そこから見えてる屈強な肉体は、世界を股にかける海賊といっても過言じゃありません。船をよく見るとギターもおかれています。海賊は音楽が好きな人が多いので、より海賊感が出ています。
「すごいです、海の男」
年上の人なので、『さん』をつけてもよかったですけど、『海の男さん』だとさすがにゴロが悪いので、あえて呼び捨てにしました。
「大したことねえよ。お嬢ちゃんたちは、どこかへ向かってたのかい」
海の男はくーちゃんたちに、そう尋ねました。
「はい、あの島目指してたです」
「あの島?」
「はい。地図見たですけど、名前ありませんでした」
くーちゃんは海の男へ、そう言いました。そして、海の男はくーちゃんが指し示す島の方を見ました。さっきから海の男と言ってますが、どちらかとゆうと、男というよりおじさん寄りです。あごいっぱいのひげを生やして、煙草をふかして、せき込んでたので。おじさん要素、盛りだくさんです。
「なんで、あの島なんだ」
海の男はそう言いました。
「ハナちゃんのふるさと近くの島、探したです。そしたら、一つだけ、名前なかったからです。それが理由です。だから一つ目、あの島です」
「一つ目?」
「はい。一つ目です。トンネル探すためです。呼ばれたので、向かってるです」
「トンネル……ねえ」
と海の男、復唱します。そして、くーちゃんの方に顔を近づけ、じろじろと上から下まで見つめてきました。煙草の煙が鼻に入ってむせてしまいそうでした。
「多分正解だ」
海の男はそう言いました。
「なにがですか? くーちゃんたちいつの間にクイズしてたですか?」
「クイズじゃねえよ。トンネルだなんだっていうのは、俺にはわからねえが、お嬢ちゃんたちのゴールはあの島で正解だってことだよ」
「お嬢ちゃんじゃないです。くーちゃんです。それに、なんでわかるですか?」
「俺が海の男だからだ」
とても便利な言葉です。その言葉を使えば、どんな疑問に対しても上手に切り返せる気がします。いつか生きている間に使ってみたいものです。
海の男はもう一度、くーちゃんの方をじろりと、見つめました。
「お嬢ちゃん」
海の男の声が、低く、くーちゃんの耳の奥まで、届きます。
「どこかで見たことあると思ったら、植物と話ができる巫女さんじゃねえか。ずいぶんと髪を切ったんだな。テレビや雑誌にも取り上げられてただろ」
嫌な情報がもりだくさんです。背中はぞくぞくして、お腹の奥がぐるぐるしました。
嬉しくない話です。それに、くーちゃんの変装、あっさりばれてるとゆうことです。ですが、海の男とここで敵対してしまっても、よいことはありません。
「どもです」
なので、無難にお礼を告げました。
「そんでだ。なんでそのトンネルを目指しているのか、詳しく聞かせてくれ」
あのお兄さんが聞いてこないことを、海の男はストレートに尋ねてきました。
「海の男でもわからないですか?」
「なんでもわかっちまえば、宝くじの当選番号や、競馬の勝つ馬がどれかなんてのもわかるだろ? つまり海の男にも限界があるんだよ。教えてくれ」
海の男とゆう言葉、あまり便利じゃなさそうです。買いかぶりすぎてました。そんな怖い顔しないでください。余計老けて見えますよ。それはともかく、くーちゃんは海の男に詳しくトンネルについてお話する必要がありました。
「トンネル探してるです。くーちゃんは、ハナちゃんが絵にかいた、トンネルに続いてる、植物さんの世界、行きたいです。呼ばれてるです。必要とされてるです。だから、一つ一つ探してるです」
「ほう」
海の男は、ハナちゃんの方へ顔を向けました。今にして思えば、くーちゃんの言葉足らずのよくわからない説明を理解してくれたのは、海の男の器の大きさでしょうか。さすが海の男です。
「……どこかで見たことあると思えば。あいつの娘か」
ハナちゃんの息は、まだ整ってなくて、「かはっ、は、はあ」としか返せません。
「海の男、ハナちゃんを、知ってるですか?」
「知り合いの娘だ。何回かこの船にも乗せてたんだがな。ずいぶんとでかくなったもんだ」
ハナちゃんは震えながら海の男の方を見ました。怖がってるのか、それとも寒がってるのか、どっちだったのでしょうか。なんにせよ、この時のハナちゃんは、楽しくお話できる状況ではなさそうでした。
「で、こいつが描いた絵は、どんな絵なんだ」
「こいつ違います。ハナちゃんです。知り合いなら名前、呼んであげてください」
「お前さんは初対面の人間に対して、ずいぶんと言うんだな」
「お互い様です。あとお前ちがいます。くーちゃんです」
バチバチとした雰囲気が漂い始めます。結局敵対は避けられませんでした。これは海の男も悪いと思います。くーちゃんはそんなに悪くありません。ですが、くーちゃんは大人なので、話題を変えて建設的な話し合いをすることに決めました。
「ハナちゃんの絵、素敵な絵です」
「全然わからん。なにがどう描かれてるんだ?」
「海の男でもわからないですか?」
「言っただろ。同じことを何度も言わさないでくれ。海の男もな、見たことがないものはわからねえんだよ」
息が整い始めたハナちゃんは、リュックを開けて、中からトンネルの絵を取り出しました。どうやらくーちゃんたちのお話は、しっかり聞こえてたみたいです。少し海水で湿ってましたが、絵の内容に大きく影響はありません。ハナちゃんは、畳まれた絵を広げて、描かれたトンネルは船の床を埋め尽くしました。
「……ふむ」
海の男はその絵を見て、しばらく考え込みました。
絵についてわからないことがあれば、ハナちゃんに尋ねると思うのですが、海の男はじっと絵を見続けるだけです。もしかしたら海の男は、ハナちゃんが気持ちを言葉にするのが苦手なこと、知ってたのかもしれません。海の男はそれくらいの配慮ができるということでしょう。
「お嬢ちゃん」
「くーちゃんです」
くーちゃんはお嬢ちゃんなんて呼ばれるの、好きじゃありません。くーちゃんにはくーちゃんとゆう、かわいい名前があるですから。
「さっきからいやにその名前にこだわるな」
「大切な名前です。だからちゃんと、くーちゃん、呼んでください」
「クウ……クウ、か……ふむ。もしかして、空のクウか?」
「くーちゃんの漢字、わかるですか?」
「俺は海の男だからな」
海の男のわかる範囲とわからない範囲が、くーちゃんにはよくわからなくなりました。すると、海の男は「なあ、一つききたい」と、真剣な声色で尋ねてきました。
「はい、なんですか?」
「本気で行くのか?」
海の男はそう言いました。
「どういう意味ですか?」
「この絵はすごい絵だ。このトンネルの奥深さ。ハナの描いた世界を、俺は素直に尊敬する。美しい。だが、俺には荷が重い。俺には、耐えられない」
「海の男でもですか?」
「ああ、俺が海の男でもだ。海の男にも、耐えがたいものだ」
「なんですか、それは」
「孤独だよ」
孤独。くーちゃんはこのトンネルに少しだけ、冷たさを感じてました。けれども、感情よりも、居心地の良さがあったです。なんで海の男はその絵を孤独で、耐えられないと言ったのか。くーちゃんにはわかりませんでした。
「あの島に行けば、きっとわかる。ハナには伝えたことはないはずなんだがな。どこで知ったんだか。まあとにかくだ、それは俺が言葉でこうだって言ったところでわかるもんじゃねえし、わかってもらいたいとも思わない」
「なるほど。よいことと思います」
「なんだ。じれったいとか思わねえのか」
「言わない言葉、大切な思いだったりします。大切なもの、しまっておくの、変なことじゃないです」
「わかってくれて何よりだよ。お前さんのことはむかつくガキだと思ってたが、案外筋は通ってるんだな」
「どもです」
敵対していた関係が、少しだけ和らいだ感じがしました。
「だがな、お前さんの旅には、一つだけ大きな問題がある」
「問題、ですか?」
海の男はお尻のポケットから、くしゃくしゃになった紙を取り出して、広げました。
「この旅は、ここいらで潮時ってことだよ」
海の男は、冷たくそう言い放ちました。
敵対関係は、何も和らいでませんでした。
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