TRACK4 ハナちゃん
中学になっても、くーちゃんのやることはそんなに変わりません。
嘘ばかりの奉納。嘘ばかりの歌。嘘ばかりの踊り。嘘ばかりの言葉。
大嫌いだった嘘を吐き続けて、頭がおかしくなりそうでした。
幸いにも、中学生になると、くーちゃんのお仕事のことを話題に出す人は減ってきました。正直助かりました。くーちゃんのやってることが、嘘っぱちだと、気づかれないので。それに、くーちゃんが、冷たい態度をとる事実は、小学校からの流れで知っている人が多かったので、あまりいい噂は立ってません。おかげで誰一人、くーちゃんに話しかけてきませんでした。
そんな中学一年の秋のことです。
くーちゃんのクラスに転校生がやってきました。
髪は腰まで伸ばしてて、大きな眼鏡をかけた女の子です。それが、ハナちゃんとの出会いでした。
転校生とゆうことで、当然先生は自己紹介を促します。
みんな期待してたと思います。転校生の女の子がどんな声で、どんなふうに自己紹介をするのかを。人間が好きじゃなかったくーちゃんからすれば、別にその時ハナちゃんには興味ありませんでした。
ですが、ハナちゃんの自己紹介に、くーちゃんはとても驚いたんです。
なんとハナちゃんは、一言もしゃべりませんでした。スカートを握り締めて、震えるだけです。何かにおびえてるみたいでした。くーちゃんも大概人間嫌いでしたが、ハナちゃんはくーちゃんの何倍も、人間どころか、世界全てを、怖がってるようでした。瞳の影はとても暗くて、真夜中の雨空みたいでした。おとなしいなんて表現じゃ言い尽くせない。そんな女の子でした。
「ほら、ちゃんと言ってください」
先生がいくら言っても、ハナちゃんは何も言いません。先生はそのあと気を遣って、ハナちゃんが海の近くの小さな町からやってきたこととか、絵が好きなこととか、そういうことを話してましたが、それよりも、ハナちゃんの寡黙さのほうが、くーちゃんにとって重要でした。
何もしゃべらないハナちゃんは、くーちゃんを安心させてくれました。喋らない理由なんて、どうでもよいです。だってそれがハナちゃんでしたから。嘘だらけの人たちより、ハナちゃんはずっと普通の人でした。
でも、みんなからすれば、ハナちゃんがなんでそういう子なのか、わからなかったんでしょう。わからないことは怖さにつながります。正体のわからないお化け。何がいるのかわからない、開かずの間。心霊スポットと言われる立ち入り禁止の建物。どれもこれも、わからないから、怖いんです。ハナちゃんは授業中にあてられても震えるだけで、喋りません。転校生だからとゆうことで、話しかけてる人もいました。でもハナちゃんは何も喋りません。なんでハナちゃんがそういう感じなのか、みんなわからなかったんです。だから、怖かったんだと思います。そして、みんな察し始めました。ハナちゃんは、家の都合ではなく、ハナちゃん自身の事情で転校してきたのではないかと。だからこそ、ハナちゃんにどう接していいか、みんなわからなかったんだと思います。
それに、ハナちゃんは、休み時間になると教室にほとんどいませんでした。そのこともあって、ハナちゃんは余計にお化けや妖怪のような扱いを受けてました。くーちゃんからすれば、そんな風に人を誤解する方が、お化けや妖怪より不気味です。
ただ、ハナちゃんは時々、くーちゃんの方を見てきました。ハナちゃんの暗い瞳に、少しだけ光を帯びたような感じがしました。でも、ハナちゃんが何を言おうとしてるのか、わからなかったんです。尋ねてもよかったんですけど。きっとハナちゃんには伝える準備が必要と思って、待つことにしました。
そんなハナちゃんのことを知るきっかけになった、とある金曜日のお話を始めます。
その日もまた、くーちゃんはどこかの神社の御神木に歌をささげる依頼の電話がありました。憂鬱なことですが、それでも暮らしの収入になってるので、断るわけにもいきません。くーちゃんが電話で依頼を了承した時、お母さんがどこか嬉しそうに、大きな段ボールを持ってきました。
「なんですか、それ」
にこにこしたお母さんをがっかりさせまいと、くーちゃんも笑顔を作ります。
お母さんは段ボールを開けて、中身を取り出しました。それは、テレビや本で見たことがある、とある服でした。白く、ひらひらした飾りのついた、巫女さんが着てる服です。
「儀式のとき、いつも普段着だからって、前に依頼を受けた神社の神主さんが用意してくれたのよ。くーちゃん、きっと似合うと」
最後までお母さんのお話を聞くことができませんでした。くーちゃんはそのまま鞄を持たずに、裸足で家を飛び出しました。学校に行けば上靴があるので、別に出るときに裸足でも問題ないですから。それにくーちゃんは裸足が好きなんです。地面を直に感じられるのが、好きでした。足の裏に当たる石の感触で、巫女服を見たときの、とてもとても嫌な感覚から、逃げられる気がしたんです。
嘘だらけのくーちゃんに、なんてものを着せようとしてるのでしょう。鳥肌が立って、背筋に虫がぞわぞわ、這ってるような気分でした。
お母さんや、家計のこともあって、巫女もどきの仕事を渋々続けてましたが、限界でした。
お母さんのためだけに、くーちゃんは生きてません。家族ではありますが、お母さんは、くーちゃんが嘘っぱちしてること、気づいてくれません。巫女服、くーちゃんが喜んで着ると思ったのでしょうか。家族ならわかってほしいなんて、わがままかもしれません。ですが、少なくともくーちゃんには、お母さんを悲しませたくない、なんて気持ちは、なくなってました。直接言ってもよかったんですけど、言ったところでお母さんと喧嘩になるだけですし、お母さんの顔をくーちゃんが見てしまえば、決心が鈍って、また嘘を続けることになりそうで、嫌だったんです。距離が近い他人というのは、時として人をおかしくしてしまいます。きっとくーちゃんも例外じゃなかったんでしょう。
くーちゃんは走りながらどうすればいいのか考えました。何をしたいのか考えました。何のために生きるか、考えました。
走りながらいろいろなことを、ぐるぐるぐるぐる考えてると、小学校の卒業式で考えたことを思い出しました。何もかも投げ捨てて、どこかの山で草でもかじりながら一生を終える計画です。巫女もどきの仕事を続けるより、よっぽど自分に正直と思いました。ですが、これはきっと妥協案です。どこかしっくりきません。これでよいのでしょうかと、自分に問いながら、くーちゃんは足を止めませんでした。いや、止まりたくなかったのでしょう。だってそうじゃないですか? 嫌な考えがぐるぐるしてるとき、動くのをやめてしまったら、その嫌で真っ黒な気持ちに、飲み込まれてしまいそうになるじゃないですか。
ようするに、くーちゃんは生きる意味がわからなくなったんです。
そして、くーちゃんが住宅地の角を曲がったときです。そこには、草花のたくさん生えた空き地がありました。くーちゃんがお話したくなるような植物さんがいっぱいで、胸がときめきました。そして、とある存在が目に止まりました。
空き地には女の子がいたんです。とても長い後ろ髪に、大きな眼鏡をかけた横顔。間違いなくハナちゃんでした。
ハナちゃんは、植物さんに囲まれた場所で体育座りをして、スケッチブックを片手に絵を描いてました。その瞳には、いつもみたいな夜の底のような暗さはありません。流れ星みたいにキラキラしてました。
いつも不安そうにしているハナちゃんが、楽しそうにしてるのが新鮮でした。その時のハナちゃんの顔は、間違いなく人間でした。それに、くーちゃんは植物も大好きだったのですが、絵を見ることも、好きだったので、ハナちゃんがスケッチブックに、何の絵を描いてるのか、ちらりと見ることにしました。
驚きました。
そこには、くーちゃんしか知らないものが描かれていたんです。
そう、植物さんと過ごす時に感じてた、トンネルです。誰にも、うまく、伝えられなかった、トンネルです。まさかハナちゃんのノートに、その世界が描かれているなんて、思いもよりませんでした。
「なんで」
くーちゃんは、ハナちゃんに尋ねます。
「……あ、え」
ハナちゃんは、くーちゃんに見られたことに気づいたみたいで、スケッチブックを抱きしめるように隠して、空き地の草むらへうつぶせになりました。
「隠さないで、ください。知ってるですか?」
「え、あ、え」
「知ってる、ですね」
「あ、え、うあ、え」
狼狽えてるようでした。言葉をほとんど話さないハナちゃんの、発した音ですが、何と言っているかわかりません。
でも、ハナちゃんはしばらく黙り込んだ後、しっかり、頷いてくれたです。ハナちゃんの、初めてのことばでした。
「もっと、ありますか?」
ハナちゃんはしばらく震えた後、ゆっくり頷きました。
ハナちゃんと向かった場所は、学校でした。くーちゃんは朝早くに家を飛び出したので、いつもの登校時間よりずっとずっと早いです。なのでたどり着いた時は、ほとんど生徒のいない静かな朝でした。
「ハナちゃん、いつもこれくらい、早いですか?」
気になったくーちゃんはハナちゃんに尋ねました。ハナちゃんは照れくさそうに頷きます。ハナちゃんは言葉より、首を縦に振ったり、横に振ることで気持ちを伝えてくれるので、何も言わなくても、お話はできました。
ハナちゃんと向かったのは、教室でなく、屋上へ続く階段の踊り場です。どうやらハナちゃんが一人で過ごしてた場所のようです。
「ハナちゃんも、屋上に、行きたいと思ったですか?」
屋上に出るなんて、漫画とかならよくある展開ですけど、屋上は立ち入り禁止が基本なんです。でもハナちゃんは、照れくさそうに頷きました。
「絵、描きたかったですか?」
ハナちゃんは、少しにやりと口元を緩めて、頷きます。とてもかわいいです。まるで猫さんみたいでした。今すぐにでも抱きしめたくなるほど、かわいかったですけど、くーちゃんは今一つ、人間同士のスキンシップがピンとこないので、抱きしめませんでした。
その屋上の入り口前には、使われていない勉強机が乱雑に置かれていて、そこには、何冊か大きなスケッチブックが入ってました。ハナちゃんは、机から一冊のスケッチブックを取り出して、開きました。そこには、黒やら灰色やら、少し緑の入り混じった不思議な絵が描かれていたんです。
これ、なんですか? と質問、しようと思いました。
でも、くーちゃんが喋るより先に、ハナちゃんはスケッチブックからその絵を切り離して、床の上に置きました。そして、また一枚、また一枚と、別のページに描いていた絵を切り離して、並べていきます。やがてそれは、大きな絵になりました。
今までくーちゃんの感じていたトンネルの景色とは、違います。
それよりも、ずっと大きく深く、静かな、新しいトンネルの世界でした。
くーちゃんは、ハナちゃんの並べた絵の上に、トンネルの時間を思い出しながら寝そべります。絵は植物さんと違って、生きていません。でも、不思議ですけど、感じたんです。居心地の良さと、冷たさと、優しさのような何かを。そして、聞こえたんです。
きてほしい。
そんな思いが。それは、とてもとても、強い言葉です。きっと、このトンネルの奥で、誰かが呼んでます。理由はわかりません。気のせいかもしれません。ですが、その時くーちゃんが感じたこと、きっと本物だと思います。そう確信できるほど、くーちゃんの感情が動いたんです。
「このトンネルの向こう側は、どこに、繋がってるんですか?」
ハナちゃんは、首を横に振りました。わからない、とゆうことでしょう。くーちゃんは言葉を続けます。
「くーちゃん、ここ、行きたいです」
ハナちゃんの、ごくりとつばを飲み込む音が聞こえました。乱れた呼吸を、ゆっくり、ゆっくりと整えながら、ハナちゃんは口を開きました。
「い、く?」
ハナちゃんの、声は、かすれた喉の奥から絞り出すような音で、でも、とてもやさしい音でした。
「はい。行きたいです。呼んでます。くーちゃん、必要とされてます。だから、行きたいです」
トンネルを通じて植物の感情を聴いたり感じたりするのが好きでした。でも、呼ばれたのは初めてです。空想のトンネルかもしれません。本当にあるかどうか、わからないのに、変だと思いますよね。
ただ、くーちゃんは根拠もなく、確信していました。
ハナちゃんの描いたトンネルが、本当にあると。
「嘘っぱちのくーちゃんじゃなくて、本当のくーちゃんを必要としてくれるこの方のために、くーちゃんは自分を使いたいんです」
それが、くーちゃんの生きる意味になりました。嘘のない、くーちゃんの本当にやりたいことです。
「……ん」
言葉なのかどうか、よくわからない音を出して、ハナちゃんは頷きます。
「ハナちゃん」
寝そべりながら、くーちゃんは、ハナちゃんに言いました。
「くーちゃんと、一緒に、この絵のトンネル、探しませんか?」
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