ぬまのそこでも腹は減る

ろくなみの

TRACK1 トンネル

 えと、どこから喋りましょかね。悩ましいです。とても悩ましいです。

 喋りたいこと、山ほどあるです。

 ハナちゃんとの大冒険の話、いきなり初めるのもよいのですが、喋りたいことを、ただただ並べるだけだと、何か違う気します。くーちゃんはお話を上手に伝えるの、苦手です。言葉、人より足りないときがあります。

 でも、せっかくの場です。喋りたいことたくさんあります。だから、喋ります。


 決めました。こんな時は時系列に沿って、初めからお話するのが一番よいです。となると、くーちゃんがとてもとても小さかったころから、お話することになります。そこからお話しないと、多分うまく伝わらないです。だいじょぶ、でしょか? ありがとございます。では、お話します。


 くーちゃんはキリ組の子でした。幼稚園です。記憶の中で一番古いです。キリ組という名前が好きでした。くーちゃんはお花が好きなんです。どれくらい好きかゆうと、人間よりお花、木、雑草さんたちと過ごす方が楽しかったです。

 植物さん、人間さんと違って、あまりたくさんお話しないです。くーちゃんはとても楽でした。どしても、同じ組の子と遊ぶと、音が多すぎるんです。疲れるんです。だからくーちゃんは植物さんたちと、過ごすことにしてました。

 具体的に、どうしていたかとゆうと、植物さんが生えている土の上に顔をくっつけてました。その他、くーちゃんの両腕で、木を抱きしめたり、土からにょきにょき生えてる、紫色のお花さんに、体をくっつけたり、といった感じです。土、草、お花の甘さ、いろいろ混ざった、不思議な香りが好きでした。そして、目を閉じると、見えてる世界より、もっともっと深いところにいけました。植物さんたちの今までの時間や、たくさんの思いが詰まった、長い長いトンネルのようなところです。そこで、のんびりと寝そべっている感じでしょか。時々、その景色を感じられたり、においがしてきたり、音が聞こえてくることもありました。植物さんの世界の入り口だと、くーちゃんは今でも思ってます。


 先生、そんなくーちゃんを見て、「みんなと遊ばないの?」ときいてくることがありました。けど「くーちゃん、こっちがいい」と、言いました。先生の言う『みんな』はくーちゃんにとって少しうるさすぎました。近づいてほしくないところに寄ってこられるのが怖かったです。その人に、くーちゃんの全部が飲み込まれてしまいそうな、気分になるからです。そんなことあるはずないんですけど、少なくとも、小さなころのくーちゃんは、たしかに感じてました。

 

 そんな風に、植物さんとの時間を過ごしてると、少しずつ、植物さんの気持ちがわかるようになってきました。今日は暖かくて気持ちいいね、とか。雨が昨日降ったから、もう満腹だ、とか。人間の言葉じゃないですけど。そういう心みたいなものがトンネルにいると、流れ込んでくるんです。幼稚園の、どんなお遊戯や、おもちゃや、テレビアニメや絵本より、大好きで大切な時間でした。

 

 そんなある日、嫌なことがありました。


 五月ごろでしょか。みんなの育てたチューリップさんの咲いている、植木鉢近くでくーちゃんは、とても長いこと目を閉じて、寝転んでいました。チューリップさんと、お話したかったんです。みんなで球根から育ててたんですよね。

トンネルの中の色、植物さんによって、変わってきます。チューリップさんの時は、花びらの色によく似たやさしい、黄金色のトンネルでした。トンネルにいると、なんだか楽しくなってくるんです。その時、いつもより、はっきり、音が聴こえてきたんです。楽器というより、歌に近いです。その音を聴いてると、くーちゃんはもっともっと楽しくなってきて、その音を、口に出したくなりました。

 

 だから、歌いました。地面に寝ころんだまま、トンネルの中で、聴こえた音を。

 

 その歌が、大きな声だったのか、小さな声だったのか。くーちゃんにはわからなかったんです。でも、とにかく、夢中になって歌ってたの、覚えてます。頭の中、ふわふわ。幸せな気持ちでした。


「いまの、なに?」

その声で、くーちゃんは目を覚ましました。するとそこには、三人くらい。同じ組の子たちがくーちゃんを、見下ろして立っていました。

「きこえてきたです」

 なにはともあれ、くーちゃんはきかれたことに答えました。

「なにが?」

「しょくぶつさんの、トンネルから、おと、きこえたです」

 くーちゃんはそう言って、続きを歌います。わかってもらえるのかなとか、もしかしたら、お友達になれるんじゃないかなとか、少しだけ、期待したです。だから、また同じように目を閉じて、歌い続けました。

「へんなうた」

 冷たい言葉でした。その言葉で、一気にくーちゃんの心は現実の世界に戻りました。温かかったふわふわ、まるで氷水につけたみたいに冷めていきます。心臓まで凍り付きそうでした。みんなのぎょろっとした目がおばけみたいでした。

「うたじゃないよ、こわい」

 言葉はどんどん続きます。

「きもちわるい」

「へんだよ、あまのさん」

 くーちゃんのことを、みんなは指さして、へんだへんだと、からかい始めました。くーちゃんは、わかりませんでした。みんなも、お友達同士でお話したり、遊んだり、歌を歌ったりしてます。くーちゃんも同じです。くーちゃんも、お友達との時間、楽しんでいただけなのに。

 みんなと同じだと、くーちゃんは思ってたんです。でも、どうやらくーちゃんにとっての楽しい時間は、みんなと全然違うものでした。もともとくーちゃんは、人間のことがあまり好きでも嫌いでもなかったです。

 けどその日、人間のことが嫌いなりました。とても怖くなりました。

 

 いつの間にか、せんせいがきてました。誰かがせんせいに、くーちゃんの歌のことや、植物さん近くで寝そべってたことを伝えに行ったのでしょう。まるでくーちゃんが悪いことしてるみたいで、嫌な気分でした。

 くーちゃんのことをへんだ、へんだと言う同じ組の子に、せんせいは、「あまのさんには、あまのさんのあそびがあるから」と言って、その場をおさめてくれました。

 みんな、せんせいにそんなこと言われたら、もうそれ以上追及してくることはありません。きっとみんな、くーちゃんをいじめる悪者になるの、嫌だっただけだと思います。自分からすすんで悪い人には、なりたくないものです。

 みんながいなくなったあと、せんせいはくーちゃんの頭を、そっと撫でてくれました。少しだけ期待したです。くーちゃんには、くーちゃんの大切な時間があって、それは別に変なことじゃないって、わかってくれたんじゃないかって。

「お友達がいなくて、あまのさんもさみしいのね」

 でもせんせい、なにもわかってませんでした。

 お母さんがお迎えに来た時、小さなお部屋でせんせいはくーちゃんのこと話します。

 まあ、そんなに難しい話じゃないです。くーちゃんが同じ組のお友達と全然話さないこととか、植物さんの生えている土に顔をすりつけていることとか。みんなと、通じない言葉で歌いだしたりだとか。そんなところです。

 

 それでも、お母さん、とてもとても心配だったみたいです。まあ、お母さん一人でくーちゃんを育ててるから、当然と言えば、当然かもですね。

「病院へ行きましょう」

 くーちゃんは病院が好きじゃありません。お薬みたいな臭い、人間の嫌な思い、ぐちゃぐちゃ入り混じって、暗い気持ちになるからです。それに注射だとか、苦いお薬、あるんじゃないか思うと、怖くて逃げだしたくなるので。

 くーちゃんが連れていかれたのは、メンタルクリニックという場所でした。こころのお医者さんがいるところですね。くーちゃんの大切な時間が、こころの病気じゃないかって。そんなことを心配してたんだと思います。

 もし、くーちゃんが植物さんにくっついて、目を閉じて、トンネルに入って、音を聴いたり、においを感じてる瞬間が病気だったなら。くーちゃんは病気で全然かまわないし、それを治したいとも思いませんでした。

「天野……そらちゃん?」

「くーちゃんです」

 お医者さんは、くーちゃんの名前をさっそく間違えました。くーちゃんは自分の名前が好きなんです。とても響きがかわいいと思いませんか? まあでも、漢字にはいろいろ読み方があるので、間違えても仕方がないことと思いました。おとなになっても、くーちゃんは未だに苦手です。

「そっか。ごめんねくーちゃん。いくつか簡単なクイズみたいなのするからね」

 お医者さんがそう言うと、いろいろなことをくーちゃんにさせてきました。

積み木を組み合わせるパズルみたいなもの。言われたお題で、絵をかいたり、お医者さんが見せてきた絵がどう見えるかのクイズを解いたり。とにかく、いっぱいです。いっぱい色々なことをさせられました。

 

 とてもとても長い時間がかかりました。終わるころには、くーちゃん、疲れて眠くなってしまいました。さらに、悲しいことに、そのクイズの時間で、わかったことは

「特に何も異常は見当たりませんね。まあ多少偏った結果ではありますが、問題ないでしょう。喋り方は、少し独特ですが、疎通も良好です」

とゆうことでした。きっとおかあさんはそのクイズに、お金を払ったと思うので、そのお金を、植物図鑑とかに使ってくれたら、うれしかったのですが。まあ、そんなことをいまさら言っても、仕方ありません。ふくすい、なんとかにかえらず、です。

「くーちゃん、てんさいてきな、ずのう、とゆうこと、ですか?」

くーちゃんは小さなころから、自分に天才的な頭脳があると思ってたので。プロの意見が聞ける、いい機会だと思いました。ちなみにお医者さんは「そうだね、すごいよ」と言ってくれました。まだ小さかったくーちゃんは手放しで喜んだのですが、今にして思えば、適当に流されただけかもしれません。お医者さんは、お母さんの方へ顔を向けて、お話、続けました。

「子どもの気質として、外交的な子もいれば、内向的な子もいます。空ちゃんは、人より内向的なだけでしょう。私の診る限り、何らかの問題を抱えている可能性は、低いです」

「その、喋り方とか……本当に、大丈夫なんですか?」

「ええ、文字が足りないときもありますが、こういう気質なんでしょう。植物との時間に関しても、子ども独特の空想みたいなものだと思われます」

 くうそうといわれ、くーちゃんの頭は沸騰しそうでした。お医者さんは、理解者の感じ、出しておいて、なにもわかってなかったんです。正面切って馬鹿にしてきた幼稚園の子たちのが、断然ましでした。

「うそ、ちがう」

 くーちゃんは嘘が嫌いです。くーちゃんと植物さんとの時間をなかったことにされたと、同じです。大切な友達、否定されたんです。

「うそじゃない」

 一言じゃ足りなくて、もう一度呟きます。だけども、全然足りません。

「うそちがう! うそじゃない!」

 くーちゃんの声は、どんどん大きくなっていきました。

「うそじゃない‼ うそじゃない‼ くうそう、ちがう‼」

 叫べば叫ぶほど、怒りの気持ちは大きくなって、気が付けば、クイズで使った道具とか、お医者さんの机にあるカレンダーとか、目についた物をすべて手にとって投げつけ、大暴れしてました。当然お母さんは、「やめなさい! くーちゃん! やめなさい!」なんて言って、止めてきました。他の看護師さんも、たくさんたくさん集まってきます。それでも、くーちゃんはずっと「うそじゃない! うそじゃない!」と叫び続けてました。今まで出したことのないほどの、大きな声でした。喉はすっかりガラガラになっていて、お家へ帰るころには、くーちゃんの声は出なくなってて、疲れて眠ってしまいました。


 お母さんには怒られたような気もしますし、怒られてないような気もします。いかんせん、その時の記憶は曖昧です。感情的になってしまってたので、仕方ないといえば、仕方ないかもですね。

ですが、覚えていることもあります。

 くーちゃんが大暴れした、その日の夜です。時計はたしか、二時くらいをさしてました。そんな時間に起きたの、初めてでした。眠ったのが、ずいぶん、早い時間だったので、多分そのせいです。ドアのすき間から、光が漏れてました。どうやら、隣のリビングの電気が、まだついてたみたいです。ドアの向こうから、お母さんの声が聞こえました。

「……もう、なんなの……もう、ほんと……うっ、うっ、あんなの、ふつうじゃないわよ……」

 くーちゃんが、ドアのすき間をちらりと覗き込むと、お母さんは誰かと電話していて、泣いてました。大人が泣いているのを見たのは、この時が初めてでした。なんで泣いているのか、くーちゃんには全然わからなくて、すごくすごく戸惑いました。

「もっと、ふつうだったら、よかったのに」

 くーちゃんにとって、植物さんとの時間は普通のことでした。

でもみんな、くーちゃんの行動がへんだとか、きもちわるいとか言ってました。とゆうことは、他の人から見れば、くーちゃんはふつうじゃなかったんでしょう。

 お母さんは、苦しそうにずっと、ずっと泣いていました。

 くーちゃんは、なんて声を掛けたらいいかわからなくて、そのまま布団に戻りました。

 ふつうじゃない。ふつうじゃない。ふつうだったら、よかった。

 お母さんが電話越しにつぶやいた言葉が、ずっと頭の中でぐるぐるしてました。それはお母さんの声になったり、幼稚園の子、先生、お医者さん、聞いたことのない低い声、高い声になったりして、何度も何度も響きます。そんなたくさんの声が、現実なのか夢なのか、どっちで聴こえているのか、わからなくなっているうちに、外は明るくなってました。時計はいつも起きる七時をさしてます。リビングから、ジュージューと、たまごが焼ける音が聞こえました。

 

 くーちゃんは重たい布団を払いのけて、リビングへ行くと、お母さんが台所で「おはようくーちゃん。今日は目玉焼きよ」と明るい声で言ってくれました。

 くーちゃんは、昨日のお母さんが泣いてたの、夢なのかなと、思いました。でも、くーちゃんは、夢だろうと現実だろうと、お母さんにもう、あんな顔をしてほしくなかったんです。一人で、ふつうじゃないくーちゃんを育てるの、きっと、かなり大変です。だから、くーちゃんは言いました。

「お母さん、くーちゃん、ふつうになります」

 お母さんの料理をする手が止まりました。時間も止まったみたいに、部屋がシンとしたんです。


 そのあと、お母さんは言いました。

「くーちゃんは、普通の子よ。何も気にしなくて大丈夫だからね」

 くーちゃんは嘘が嫌いです。お母さんが、くーちゃんの顔を見ないで何か言う時は、きまって嘘なんです。その言葉は、きっとくーちゃんじゃなくて、お母さん自身に言い聞かせた言葉だったんだと思いました。

 だからくーちゃんはあることを決めました。


 その日も、お母さんの自転車の後ろに乗って、幼稚園へ行きました。せんせいの朝の会が、終わると、くーちゃんはいつもなら、お庭の植物さんのところ、行ってました。でも、その日、くーちゃんは、同じ組の子のところへ向かいました。心臓がとてもばくばくなってて、喉から飛び出るかと思いました。

「なあに?」

 同じ組の子が、近づいてきたくーちゃんにそう言いました。おかげで言葉が出しやすかったので、くーちゃんは、昨日から言おう言おうと、準備してた言葉を伝えます。

「くーちゃんも、いっしょに、あそびます」

 くーちゃんは、植物さんとお話しするのをやめました。

 くーちゃんは、ふつうの子の真似を始めました。

 同じ組の子は、少し戸惑った顔をした後、頷いてくれました。

 ほっとした半面、大切なお友達を失った気分でした。でも、お母さんを悲しませるのは、もっと嫌だったので、がんばってみました。

 みんなとごっこ遊びをしました。

 好きでもないアニメを見て、物まねも、おぼえました。

 おままごとなんて、ぜんぜん意味がわからなかったです。くーちゃんはくーちゃんなのに、なんでお母さん役をするのか。お父さん役をするのかも。でも、みんなはそれを、笑ってやってるので、それをするのがきっと普通だったんです。

 

 でも、嘘は嫌いです。お母さんを悲しませないためとはいえ、ずっとずっと嘘を吐き続けるのは、とてもしんどかったのを覚えてます。おとなになって貸してもらった、『人間失格』の本を読んだとき、主人公が少しだけくーちゃんに似てるな、と思いました。といっても、読んだのは、つい最近ですけどね。ごめんなさい、もう少しで読み終えるので、返すの、もうちょっと、待っててください。

 

 話を戻しましょう。くーちゃんはそのしんどさから逃れたくて、お布団の中で、植物さんのトンネルで聴いた音を、歌にすることだけは続けようと思ったんです。だけど、そんなとき、くーちゃんの頭の中、あの日の夜みたいに、いろいろな声が流れ込んできました。

 普通じゃない、とか。

 歌うな、とか。

 悲しませるぞ、とか。

 とても大きな音でした。テレビの音を間違ってあげすぎた時。耳がキーンってなったこと、あるんですけど。その何倍も何倍も、大きかったです。

 歌おうとするのやめると、その声も止まりました。きっと、神様か何かに、くーちゃんは歌っちゃいけないって言われてるのかもと、思いました。

 みんなとの、ふつうのフリをしてる毎日が、水の中にいるみたいで、息をするのがとてもとても大変でした。

 

 小学校になると、苦しさは少しだけ楽になりました。普通のフリが習慣になったんです。こんなお話をすれば、そんなに変に思われないとか、嫌な感じにならないなとか。そういうことがわかってくるんです。別にそんなのわかっても毎日が楽しくなるわけじゃなかったんですけどね。ただ、慣れただけです。水の中でいる生活に。

 

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