TRACK11 大楠さん


 今までくーちゃんはいろいろな御神木さんで感じたことを、歌や舞にしてました。ですが、この木は、今までの御神木さんとは全く違います。てっぺんが見えないほど大きいんです。たしか、楠だと思います。大きな楠なので、大楠さんです。見上げてると、その存在感に飲み込まれそうでした。

「この、方です。きっと、この方です」

 島にきたときから感じてた思い、呼び声は、この方が伝えてきたものでしょう。周りに木はほとんど生えていなくて、見たことのないラッパみたいなお花が、大楠さんを囲むように生えていました。

 その大楠さんに、くーちゃんは走って近づきました。とても太い幹は、蜘蛛の足みたいに枝分かれしてます。柔らかい地面には、深く深く、長い根っこが伸びていることでしょう。

 大楠さんの伸びてしまった枝を支えるため、古びた鳥居が何個か作られています。大楠さんだけで、自分の体を支えるのは、限界があると思います。骨が弱くなったおじいちゃんやおばあちゃんが、杖や車いすを使うのと同じです。

 土の奥から匂いがしました。木の匂いです。大楠さんと似てますが、少し違います。それに、たくさんです。たくさんの木の香りがするんです。もしかしたら、土の中には、大楠さん以外の誰か、まだいるのかもしれません。

 ゴロゴロと、空からは雷の音が聞こえます。ポツンポツンと、顔に雨水が落ちてきました。いよいよ天気が、崩れようとしているんでしょう。別にもう関係ありません。くーちゃんの目的に、天気なんてどうでもよいです。トンネルの中に、雨も晴れもありません。

 くーちゃんは、幹を手で触れながら、ゆっくりとお腹を。頭を。ほっぺをぺたりと、くっつけます。全身で、大楠さんの息吹を感じました。大楠さんが、やさしいのか、さみしいのか、それもわかりません。

目を閉じてくーちゃんは、いつものように、トンネルの中へ入ってゆきました。

じんわり、じんわり、暗闇だらけの瞼の裏に、うっすらと世界が広がってゆきます。トンネル独特の風の音。土の香り。トンネルの中のくーちゃんは、トンネルを見るために、ゆっくりと目を開きました。そこは、ハナちゃんが描いていた世界に、とても似てました。少しだけ違いはありますが、匂いや温度は、とても近いです。

そして、そこで感じたのは、確かな孤独でした。

何千年も、大楠さんは見てきたんです。

たくさんの植物さんとの出会いと別れ。

土砂崩れで埋まってしまった、たくさんのお友達。

そして、大楠さんを、切る、切らないかの人の争い。

そして、信仰されたこと。

何年も何年も生きていると、神様と、呼ばれてしまうんです。

とても、とても長い時間です。それは、きっとくーちゃんたち人間には、想像できないほどの、痛みがあったことでしょう。

「くーちゃんたち、似てますね。神様にされちゃったですね」

 くーちゃんは、トンネルにいる意識の中、いつもならそこにとどまって、そのトンネルを全身に感じてました。でも、同じ場所にとどまってては、大楠さんの芯に触れられません。今まで知らなかったトンネルの深淵へ向かって、くーちゃんは進むことにしました。足に力を入れてみました。ぐっと、右足が踏み出せました。続けて、左足も、踏み出します。歩けば歩くほど、曖昧な体の感覚が、確かなものに変わってゆきました。孤独の風のようなもの、トンネルを進むくーちゃんを包んでゆきます。とても苦しくて、辛くて、頭が割れそうになりました。でも、どこか帰ってきた感覚もあるんです。居心地が悪いわけじゃないんです。まるで、ずいぶん昔からのお友達と、再会した気分でした。

「誰にも、わかってもらえないですね。人間に、あなたの言葉、聴こえませんもん」

 くーちゃんにも、大楠さんの言葉はわかりません。でも、言葉をかけたくなったです。大切な人が泣いてたら、なにか言いたくなるのは当たり前じゃないでしょうか? 少なくとも、くーちゃんはそう思います。

トンネルの奥まで、くーちゃんは進むことにしました。一歩一歩、重たくて、苦しくて、その場で何度もうずくまりたくなりました。もしかしたら大楠さんは、誰かに来てほしいとゆう気持ちと、誰も来てほしくないとゆう、二つの気持ちがあったかもしれません。ですが、くーちゃんは、大楠さんのことを知ってしまって、感じてしまったんです。行かなきゃいけないんです。それが、くーちゃんの、やらなきゃいけないことでした。そして、トンネルの向こうから、冷たい空気が流れて、頬を撫でてきました。むせ返りそうなほど生臭くて、鼻は曲がりそうでした。なにかの生き物のおなかの中にいる気分でした。

暗がりのトンネルの向こう側に、うっすらと水面のようなものがきらりと光ります。ぽちゃ、ぽちゃ、と水滴が滴り落ちてました。暗いため、その液体がどんなものか、わかりません。人間の世界でないトンネルに、人間の世界の常識を当てはめるのも、きっと変なので、くーちゃんはそれ以上考えませんでした。

進むにつれて、風は冷たくなっていきます。遠くで、水たまりのようなものが光に反射して、キラキラしてました。しばらく歩みを進めると、その水面にたどり着きます。くーちゃんは、その水に、そっと指先で触れました。冷たくて、どろりとしていて、指が奥まで沈んでしまいそうで、思わず鳥肌が立ちました。

「沼、だったですね」

 くーちゃんは、感じたことを言いました。トンネルの向こう側には、どろりとした生臭い沼があったんです。

 くーちゃんは、沼に濡れた指先を見つめながら、顔を上げました。その沼の中に、一本の木が生えています。茶色くすすけてて、幹からいくつも、皮が剥がれています。他には、茶色だったり緑色だったり、様々な葉っぱも、幹に張り付いてます。胸の奥が切なくなるような、どことなく焦げた香りもしました。

くーちゃんはこの木が、あの大楠さんと、同じなんだと、直感しました。どうなんでしょうね。トンネルの奥の奥まで入ったのは、初めてだったので。少なくとも、くーちゃんは、今すぐ、大楠さんを抱きしめたくなりました。思い切り力を込めて、全身に大楠さんを感じたかったです。そのためには、沼の中に入って、進まないといけません。沼がどれくらいの深さかわかりません。でもきっとくーちゃんは、その沼に入るために、生まれてきたんです。旅に出るとき、感じてました。この旅は片道切符です。その沼に入ったら、きっと戻れません。でも、それでよいんです。一緒に沼に入れる人間がくーちゃんだけなら、この方にくーちゃんのすべてをささげたいと、思いました。

 くーちゃんは、沼に、一歩足を踏み入れます。冷たく、ぬめっとした感触が伝わり、今にも全身が飲み込まれてしまいそうです。足もずぶずぶと、深く沈んでゆきます。きっと、両足を突っ込んでしまえば、しばらくしないうちに、完全にくーちゃんは沈んでしまうでしょう。

 一歩、一歩、歩きます。大楠さんを抱きしめられるところにたどり着けるまで、沈み切るわけにはいきません。十歩ほど、進んだところで、くーちゃんは思い切り沼を蹴るように前方へと体を放り出し、目の前の大楠さんにガバッと、抱き着きました。

 森の香りと、焦げた香りと、海の香りがしました。

「大楠さん。これで、さみしくないです」

 強く抱きしめれば、そのまま大楠さんにしがみつけるので、沈むことはないんじゃないかと思ったです。でも、くーちゃんのしがみつく力が、抜けていきます。よく見たら、大楠さんも、ちょっとずつ、沼の底へ、底へと、沈んでゆきます。きっと、沼から体を浮かし続けるのは、難しいことだったんでしょう。

 その時です。くーちゃんはとても大切なことを、思い出しました。

「ハナちゃん、来てますか?」

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