TRACK15 おにぎり

「漁も手伝わずに何してると思ってたら、まだトンネルとやらを続けていたのか」

 海の男は、玄関の柱にもたれて、呆れたように笑いました。相変わらずムキムキです。しばらく見ない間にもっと筋肉、膨張したのかもしれません。今でもあのハナちゃんに海へ突き落とされたのが、信じられないほどムキムキです。

「お前さん違います。くーちゃんです」

「いい年してまだくーちゃんか」

「くーちゃん、何歳になってもくーちゃんです。後期高齢者になっても同じ感じでゆきます」

「相変わらずいい性格してるな」

 海の男はそう言うと、くーちゃんの手元にある道具を指さします。

「で、何しに来たんだ?」

「海の男ならわかるんじゃないですか?」

 くーちゃんが両手に抱えてるの、お米の入った茶色い袋です。幸い虫さんは湧いてなかったので、食べられます。

「うちには電気、通ってねえぞ」

「知ってます。くーちゃんの家もです」

 そうして、くーちゃんは、海の男の飯盒と薪を借りて、お米を炊くことにしました。お米を台所の水道でばしゃばしゃと洗います。水は冷たくて気持ちよかったです。あの日ハナちゃんと山の川で顔を洗ったの、思い出しました。

 薪にマッチで火をつけて、窯の上の網にお米とお水の入った飯盒を乗せました。くーちゃんもお米を炊くのは久しぶりで、沸騰してきたお水から、ほんのりお米の優しい香りがして、くーちゃんのおなかはまた、くー、と鳴ってました。くーちゃんの大切な音です。

 お米が炊けたら、今度は海の男の家にあったサランラップの上に乗せて、軽く塩をかけて、握ります。

「てっきり、お前さんのことだから、トンネルの向こうの沼から、もう戻ってこねえんじゃないかって思ったぜ」

 海の男はくーちゃんが握ったおにぎりを一つつまんで、口に運びました。お米が口元にくっついてて、海の男が子どもみたいに見えました。

「沼の底でも、腹は減るんです。おなか、減って死んでしまえば、歌、届けられません。会いたい人、会えなくなってしまいます。くーちゃん、それは嫌だなって、思っただけです。それだけの話です」

「大楠さんがさみしがるだとか、そんなこと言ってなかったか?」

「多分、一緒に沈みたかったの、大楠さんじゃなくて、くーちゃんだけだったんです」

 くーちゃんはおにぎりを一つ、つまんで食べました。熱くて口の中がやけどしてしまいそうでした。でも、塩味はしっかりときいてて、とてもおいしいおにぎりでした。自分で言うのもなんですが、くーちゃんが握ったおにぎりはおいしいんです。

 そして、誰かと食べるご飯というのは、おいしいんです。

「今度、飯でも作ってやろう」

 海の男は、てっきりまたくーちゃんを、馬鹿にしてくると思ったんですけど、珍しく優しい顔でそう言いました。

「どしたんですか、急に」

「お礼だよ」

「おにぎりのですか?」

「ちげえよ」

「じゃあなんですか」

「秘密だ」

「海の男なのに、隠し事して、よいですか?」

「言わない大切さもあるんだよ」

 さすが、海の男です。よくわかってます。いつも屁理屈ばかりの海の男ですが、たまには筋の通ったことを言うものです。睨まないでください。冗談ですよ。いつもありがとうございます。

「ついでにギターも教えてやろう。お前さんの歌もいいが、楽器があると、より引き立つ」

「船に積まれてたギター、あれ飾りじゃなかったですか」

「自分で言うのもなんだが、そこそこ弾けるんだぞ」

 海の男が弾いてる場面、見たことがなかったので、少し驚きました。能ある鷹はなんとかを隠すとは、よく言ったものです。ハナちゃんはたしか高校時代、音楽の授業をとってたので、ギターが少し弾けたことを思い出しました。

「そうだ。お前さんに会ったら渡しておくもんがあったんだ」

 海の男はそう言って、部屋の隅にある段ボールをあさり始めました。実はくーちゃんは実家を出てから、この島にある空き家で住んでるのですが、書類上の住所は海の男の家にしてたんです。だからくーちゃん宛の荷物は、海の男に届くんです。

 海の男が持ってきたのは、大きな茶封筒でした。中は少しだけ膨らんでます。触ってみると、本のような角ばった感触がしました。差出人のところに、名前はありません。ですが、くーちゃんの名前を書いてるその字は、とてもかわいくて、やさしい形をしてました。

 封筒をびりっと開けると、中に入ってたのは絵本でした。題名は、シカの家族です。とても、かわいい題名です。そして、独特の色使い。忘れるはずありません。

 内容を簡単にゆうと、こんなお話です。木でできた鹿さんたちが、離れ離れになった自分の家族と出会う、とゆうものです。そのお話は、くーちゃんのとても大切なお友達の絵で描かれてました。たくさんの花や植物に囲まれてる、鹿さんの家族には、何十色も、見たことのない色が使われてます。ところどころ、グルグルしてたり、びよんびよん伸びてたり、たくさんの小さい丸や大きい丸があったりして、まるで踊ってるみたいな絵です。その絵はきっと、最高の笑顔で描かれたのでしょう。きっとそうだと思います。海の男じゃなくても、くーちゃんにはわかります。

これが、くーちゃんの友達の。ハナちゃんのやりたいことだったんです。

 さらに、絵本には、ちょっとしたサプライズがありました。

「海の男、お願いあります」

 絵本をはじめから、おわりまで、三回ほど読み終わった後、くーちゃんは言いました。

「なんだ?」

「電話、貸してもらえないですか?」

 絵本の裏に、たくさんの色を使って描かれてたのは、電話番号でした。

 海の男の携帯電話を借りて、番号を入力しました。今の時代は便利です。くーちゃんもこれをきっかけに、携帯を契約しようと思ったほどです。来週くらいにしようと思います。毎回海の男に貸してくださいと言うのも、めんどくさいので。そろそろ電話代を要求されそうな気がします。

 話を戻しましょう。

三回ほど、プルルルルと、音が鳴ったあと、ハナちゃんは出てくれました。

久しぶりに聞いたハナちゃんの声は少しだけ大人っぽくなってたですけど、いつもみたいに、優しい声で、チョコレートの味を思い出しました。

それはもう、最高に最高に、ぜんぶぜんぶうれしくて、胸はずっと、ドキドキしてました。

 いろいろなお話をしました。天気の話、海の男の話、くーちゃんの暮らしの話、大楠さんのトンネルの話、とかです。

 あ、でも、ハナちゃんがあれからどんな旅をしてたのかとゆう話が最初でしたね。

 絵本の鹿でピンと来た人もいるでしょうが、ハナちゃんは、あの鹿のお兄さんを探してたんです。

 しかも探し方がすごいんです。日本中の山を探してたんです。無謀すぎます。ハナちゃん、もう少し考えてから動いたほうがよいです。本当に。

冗談です。くーちゃんにだけは言われたくないですよね。

 ただ、それなら絵本を直接島に届けに来てくれたらよいものを、と思いますよね。なんでこんなまどろっこしいこと、したのかとゆうと、どうやらハナちゃんは、くーちゃんの顔を見るのが少しだけ気まずかったみたいなんです。

 あれほどくーちゃんのことを大好きだったハナちゃんが、くーちゃん以外に夢中になってしまうものを見つけて、それに没頭してしまったら、くーちゃんを、裏切ってしまった気持ちになったんですって。

 ハナちゃんはずいぶんとつまらないことを気にしてたものです。好きなものがたくさんあるのは、悪いことじゃありません。それに、ハナちゃんがくーちゃんのことを大好きなのは、ちゃんと伝わってますから、何も心配いりません。お互いがお互いの道を進んだのは、きっと悪いことじゃなかったと思います。

すいません。強がりを言いました。

くーちゃんはずいぶんと偉そうなこと、言いましたが、くーちゃんは、ハナちゃんが近くにいないのはさみしかったので。そのことを素直にハナちゃんに電話で言うと、大きな声で笑われてしまいました。

 それから、しばらくしてハナちゃんと、鹿のお兄さんが、島に遊びに来てくれました。大楠さんの前で一緒にのんびり過ごしました。どんな遊びをして、どんなことをお話したか、今回は割愛します。別に、他愛のないことばかりなので。

 強いて言えば、それからもたまにハナちゃんは、遊びに来てくれるようになりました。お兄さんと一緒の時もあれば、一人で来て、一緒にお酒を飲みながら大楠さんの前でのんびりと星空を見上げたりします。すっかりくーちゃんたちは大人になってました。いろいろと変わってしまったものもあります。でも、それでよいんです。

変わってゆくこと、きっと人生では大切なことなんです。

……あ、終わりです。ではみなさん、会場でお会いしましょう。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る