TRACK7 お兄さん
「海です!」
くーちゃんの思い付きに、またハナちゃんを振り回すことにしました。
くーちゃんは寝袋を出て、カバンの中から地図帳を取り出しました。
そして地図を見たとき、くーちゃんの天才的なひらめきが的中したんです。
「やっぱりです」
くーちゃんはハナちゃんの方へ、地図帳のページを大きく開いて見せました。
「島の方が、ハナちゃんの描いていたトンネルに、近い感じ、したです。あと、山より島の方が、数、少ないです。」
ハナちゃんは、もじもじしながら少しだけうつむいて、こくりと頷きました。
「やっぱりです!」
くーちゃんは地図にある島を指でなぞりながら、一つ一つ、見つけていきます。どれもこれも素敵な名前ですが、どれから向かうか、なかなか選べません。島の数が少ないといっても、選ぶ基準は何かしら必要と思いました。
そこで、ハナちゃんが海の町から来たことを思い出しました。作者のハナちゃんが、あのトンネルの世界を感じたのであれば、きっとハナちゃんのルーツである故郷は重要です。闇雲に探すより、可能性は高いと感じました。
「ハナちゃんの、地元の町、どこですか?」
ハナちゃんは、地図帳を見ているくーちゃんの横にゆっくり近づいて、ページをじっと見ました。すると、くーちゃんたちがいる場所から、かなり離れた海沿いの町を指しました。遠すぎるとは思いませんでした。旅にはこれくらいの距離がないと、面白みがありません。
そして、その海からいくつかの島が見つかります。どれにしようか、悩んでいるとき、気になる島が一つだけありました。その島は、そこそこの大きさがあるとゆうのに、名前がないんです。
あのトンネルで感じた、暗さと、名前がないという要素が、バチっと。パズルのようにはまったんです。山中に響くほど、くーちゃんの胸は高鳴りました。
「ここです! まず、ここです! 行きましょう。ぐずぐずしていられません!」
ハナちゃんは、寝袋から飛び出ようとするくーちゃんの服をきゅっと握りしめて、動きを止めます。なんとなく、ハナちゃんから、「だめ」と言われている感じがしました。ハナちゃんは、言葉じゃなくても思いはしっかりしてる子なのです。たしかにこんな真っ暗な時間に、山を降りて海へ行くのは無謀かもしれません。とりあえず時間が過ぎるのを、寝袋に入って待つことにしました。島とゆう道しるべ。くーちゃんにとって、大きな進歩だったのです。
結局くーちゃんはワクワクしたまま一睡もすることなく、気が付けば、おひさまの光が
くーちゃんたちの周りを照らしてました。ぽかぽかおひさま、いい気持ちです。葉っぱに乗っている朝露が反射して、まるで宝石みたいでした。草と土と太陽の入り混じった朝の香りが、ほんのり甘く感じました。
「ハナちゃん! 朝です! 行きましょう!」
眠そうに眼をこするハナちゃんは、「う、ううん」とうめき声なのか返事なのかよくわからない声と一緒に、もぞもぞと寝袋から出てきました。
寝たところから少し歩くと川があったので、ハナちゃんとそこで顔を洗いました。水は冷たくて気持ちよくて、ついでにくーちゃんは水の中に頭を突っ込んで、目を閉じてみました。昨日、土に顔をうずめたときより、ずっとずっと山に近づけた感じがしました。
「くる、しくない?」
ハナちゃんは、一緒に夜を明かしたからかわかりませんが、少しだけお話してくれるようになりました。
「はい。だいじょぶです」
くーちゃんは、顔をあげてそう言いました。
ハナちゃんも、くーちゃんの感じていたトンネルを描けたとゆうことは、もしかしたらハナちゃんも、不思議なトンネルに心をゆだねることができるのかと思いました。直接確かめてもよかったんですけど、ハナちゃんも川に、顔をばちゃんとつけたので、尋ねるタイミングを失ってしまいました。くーちゃんはしばらく息を止められたのですが、ハナちゃんは、長く息を止めれなかったようで、すぐに顔を出しました。
「はーっ…はーっ! き、きもち、いいね」
あんまり顔的に、気持ちよさそうには思えなかったですけど、気持ちいいと言っていたから、多分気持ちよかったんだと思います。後で確かめてみますね。もうずいぶん前のことですから、本人、忘れちゃってるかもしれませんけど。
何はともあれ、顔を洗ったあと、ハナちゃんはカバンの中から板チョコを取り出して、ぽりぽり食べ始めました。
ハナちゃんはくーちゃんの方を見て、少し嬉しそうに板チョコをパキンと割って、差し出しました。受け取ろうと思ったですけど、なんだかおなかの中にずっしりと重たいものが、乗ってる感じがして、食欲がありませんでした。
「今、いらないんだと思います」
くーちゃんがそう言うと、ハナちゃんは少し残念そうに割った板チョコを自分の口の中に運びました。
ともかく、島に行くには、海へ向かう必要があります。ただ海は、この山からずいぶんと遠いんです。少なくとも歩くのは、現実的じゃないことがくーちゃんにもわかりました。
「また、バスですかね」
くーちゃんがそう言うと、ハナちゃんは少し考えこみます。
「よくない、かも」
ハナちゃんはそう言いました。
「よくない?」
「私たち、行方不明」
言われてみればそうです。お母さんもですけど、ハナちゃんのご両親も、そろそろ通報しててもおかしくありません。変装をしてますが、年までは誤魔化せません。声を掛けられる可能性もありますし、くーちゃんは嘘が苦手です。きっとばれてしまいます。完全に失念してました。
「多分私たち、目立つ」
「なるほど」
ハナちゃんは、やはり頭の回転がコンピューター並みに速いです。
「スーパーコンピューター、ハナちゃんですね」
「……そ、そうかな」
「そうです。くーちゃんも頭脳、天才的ではあるのですが、ハナちゃんもすごく頭、よいです」
「えへ、えへへ」
ハナちゃんは恥ずかしそうに頭、ぽりぽりかきました。お風呂に入ってないので心なしか体と頭、かゆい気もしますが、そんなことどうでもよかったです。
「よし、ハナちゃん。海まで歩きましょう」
現実的じゃなくても、不可能じゃありません。昔は電車も車もなかったです。人の足だけで遠くまで手紙も届けてました。であれば、くーちゃんたちも、大丈夫なはずです。けれど、ハナちゃんは地図帳のページを何度も指でなぞって、不安そうにぶつぶつと数字を口にしてます。もしかしたら、昔授業で聴いた、時間は道のりと、速さで決まるという数式をつかって、計算してたのかもしれません。といってもくーちゃんたちがどれくらいの速さで歩くかなんて、測ったことないのでわからないですけど。
「遠すぎる、かも」
でもハナちゃんのスーパーコンピューターでは、相当遠い。そうゆう結論になったのです。
「……そう、ですか」
お金、あるにはあります。きっと電車だろうと飛行機だろうと大丈夫です。スペースシャトルには乗れないかもしれませんが。それはともかく、お金があったところで移動手段がなければ、ただの紙切れとゆう話です。
「となると、信用できる人に助けてもらうしか、ありませんね」
くーちゃんの言葉に、ハナちゃんは心配そうな顔を浮かべます。考えてみれば当たり前です。人里離れた山奥で信用できる人なんて、早々いませんから。
でも、くーちゃんには心当たりがありました。
「この山にいるです」
「え、」
「トンネルで感じました。この山には、くーちゃんたち以外の人、溶け込んでます。きっと、います。この山と共に生きてる、優しい人が」
トンネルで感じられるのは植物さんの気持ちや歴史だけじゃありません。人の存在も感じられるんです。神社の御神木さんのトンネルを感じてるとき、神主さんとか、庭師さんだとかの気配や匂いも漂ってます。大切な人の存在がトンネルの中で溶けてるんです。
「だから、その人を探しましょう。優しい人なら、きっと助けてくれるはずです」
ハナちゃんは、少し迷ったようにちらちらと地図帳を見た後、またしっかり、頷いてくれました。くーちゃんはハナちゃんの頷き方が大好きです。しっかり考えて、なにか決めてくれたのが伝わるので。それがハナちゃんのよいとこなんです。
そして、くーちゃんは山の中を進むことにしました。ハナちゃんもカバンに地図帳をしまって、地面を踏みしめながら、ゆっくりついてきてくれました。
場所の宛はなんとなくありました。トンネルで感じられた匂いは、山を歩いてると漂ってきます。自然の匂いと少し違います。まるで体育の後の体操服みたいな、そんな汗のにおいです。くーちゃんの好きなにおいです。
そのにおいをたどってると、とある声が、聞こえてきました。
「駄目だなあ、これじゃあねえんだよなあ」
若い男の人の声でした。イライラとワクワクの中間のような声です。その声は山の音と少しだけ似てました。
「ひいっ!」
ハナちゃんはおびえて、リュックをどさりと落としてしまいました。
「大丈夫です。きっとあの人です。この山に受け入れられているような人です。きっと悪い人、ちがいます」
くーちゃんはハナちゃんにそう言いました。ハナちゃんは少し迷いながら頷きます。
そして、声の方には、髪の長い男の人がいました。その髪は、肩よりさらに伸びてて、まるで女の人みたいでした。あ、男の人でも髪伸ばす人はいますよね。失礼しました。
「違うなあ、違うなあ」
男の人はくーちゃんたちに目もくれません。その代わり、地面に落ちてる枝や棒を手にとっては、地面に捨てることをくりかえしてました。
「鹿さん!」
唐突にそう言ったのは、ハナちゃんでした。ハナちゃんは目を輝かせて、走ってくーちゃんを追い越します。ハナちゃんの向かった先には、落ちている枝や葉っぱで作られた、鹿の大きな置物がありました。しかも一頭じゃないです。たくさん、います。数を数えるの、くーちゃんは苦手だったので、何頭か覚えてません。ごめんなさい。でも、とても器用に組まれてて、まるで最初からその形で、山から生えてるみたいでした。
「すごい……」
そう言ってハナちゃんはうっとりと、ため息を吐きます。くーちゃんにはわかります。好きなものや素敵なものを見つけたときの気分って、最高なんです。胸の奥がぽかぽかします。きっとハナちゃんもそういうことになってたんでしょう。ハナちゃんの好きなものが見つかって、くーちゃんはうれしかったです。
男の人は、ハナちゃんが鹿さんをうっとり見てるのを、怪訝そうに見つめます。
「なんだあんたら」
男の人は頭をかきむしりながら言いました。髪の毛はすっかりぼさぼさです。もしかしたら何日もお風呂に入ってないのかもです。くーちゃんたちもお風呂に入ってないので、人のことは言えませんが。
「旅の者です」
一度は言ってみたいセリフでした。まるで物語の主人公みたいだと思いませんか?
「その年で旅か」
男の人はくーちゃんたちの姿を、上から下までじろりと見て言いました。意外と現実的な人です。まあ、大人ですから、くーちゃんたちみたいな女子中学生がぼろぼろになって、山奥を歩いてたら、疑わしいのも無理ありません。
「……美しい……」
ハナちゃんはくーちゃんと男の人のことなんか忘れて、すっかり鹿に夢中です。
「なんだ、俺の作品が気に入ったか」
男の人は、鹿に見惚れるハナちゃんに話しかけました。
ハナちゃんは、まるでくーちゃんに初めて会った時みたいに、顔を赤くして小さくなってしまいました。作品相手だと、会話が発生しないので気楽に表情を変えられるのでしょうが、人間が相手だと、ハナちゃんはお話、苦手みたいです。それがハナちゃんです。かわいいと思いませんか?
「ここの部分はこだわったんだよ。まず説明するとだな、この足なんだが」
男の人は得意そうに鹿の解説をしていきます。少なくとも警戒されてないのは、よいことですし、ハナちゃんも恥ずかしがりながらですが、楽しそうだったので結果オーライです。しかし、このまま停滞しているわけにもいきません。
「すいません! 喋りたいことがあります!」
二人がお話し中のところ、申し訳ない気持ちもありながら、くーちゃんは言いました。
「なんだ! 俺の作品解説の邪魔をするのか!」
予想外です。敵対してしまいました。
「いえ! くーちゃんも素敵と思います! かわいいです!」
「かわいいだと! 美しいの間違いだろう!」
自分で自分の作品を美しいと言えるの、すごいと思いました。きっとこのお兄さんにとって作品は、自分の大切な家族だったのでしょう。くーちゃんは自分で何か生み出すのが得意じゃないので、よくわかりませんが。
「すいません! 美しいです!」
「それでいい!」
「ありがとうございます!」
言葉選びは難しいです。少なくともハナちゃんは、男の人から気に入られてますが、くーちゃんは微妙なところでした。
どうしたものかと悩んでると、お兄さんはさっきまでの元気さから、またひっくり返って、どんよりとした顔で頭をかきむしります。やはりしばらくお風呂に入ってないと、ああなってしまうようです。くーちゃんも、いずれああなるのだと、覚悟を決めました。
「だがなあ、だめなんだよなあ、こいつの母親がまだ作れてねえんだよなあ。どこ探しても、こいつの母親の体がないんだ」
「は、はは、おや……」
その時、なんとハナちゃんが悩んでる男の人に対して、口を開いたんです。今までお兄さんの聞き手に回ってただけなので、とても驚きました。
「そう! 母親だよ! お前話がわかるな!」
ハナちゃんは、男の人の言葉を復唱してるだけでしたが、男の人からすれば、いいお話相手だったのかもしれません。二人の相性は、この時すでによかったのでしょう。
「だからこそ困ってるんだよなあ」
「何に困っているですか?」
今度はくーちゃんが尋ねます。
「母親の体だよ! さっき言っただろうが!」
男の人はまた怒り出しました。めんどくさい人です。悪い人じゃないと思ったのは、見込み違いだったかもしれません。すいません、嘘です。そんな顔しないでください。誰だって見当はずれのことを言ったら、声を荒げたくもなりますよね。くーちゃんも経験あるのでよくわかります。
「すまん。取り乱した。まあとにかくだ、あんたら、もしよかったら、一緒にこいつの母親の体を」
男の人の言葉は、最高のきっかけでした。
「きっと海に、あります!」
だからくーちゃんは迷うことなく言いました。
「……は?」
唐突なことを言われたら、戸惑うものです。大人たちを納得させるインタビューを、何度か受けてたくーちゃんからすれば、これくらい、どうってことないです。嘘は苦手ですけど、大げさに言うことは得意なんです。
「くーちゃんたち、探し物は海にあると思ってます。もしかしたら、あなたが探してるのも、海にあるんじゃないですか?」
別に嘘は吐いてません。同じとこを探し続けて見つからなければ、場所を変えるのは鉄則です。つまり、お兄さんもくーちゃんたちも、状況は同じとゆうことです。
「海、海、海……なるほど、海、海かあ」
それからお兄さんは、何度も海、海と呟いて、ぐるぐる歩き続けます。そして、鹿の置物に手を添えて、目を閉じました。くーちゃんがトンネルの中でやってる、植物さんとの時間に、少しだけ似てました。
「海、母なる海。そうか、こいつは、きっと、離れ離れに、なっちまったんだな。海はすべての始まりだ。そうだ。海だ、海しかねえ。今すぐ出発だ。今すぐだ‼」
男の人は、そう言って両手を高らかに掲げました。ハナちゃんはその勢いに、思わず倒れそうでした。くーちゃんの周りでは、大人とゆうのは、周りのことを考えて、落ち着いた行動、とる人らしいんですけど。それならその男の人は大人じゃないみたいです。だからこそ、くーちゃんにとって、信用できる人でした。
「あの、もしよかったら! くーちゃんたち、連れてってくれますか!」
「断る!」
交渉は失敗に終わってしまいました。
「なぜでしょうか!」
男の人の元気に合わせて、くーちゃんは大きな声で言いました。
「あんたらにはあんたらの道があるだろう! 俺には俺の道がある! それを交えるのはナンセンスだと思わんか!」
一理ありました。けれど、くーちゃんたちの体力にも限界があります。となるとここは、最終兵器を出すしかありません。
「これで一緒に連れて行ってください。場所、この地図に書かれた、名前のない島です。近くの浜辺、行けたらよいです」
そう言ってくーちゃんは、ポケットの中から一万円札を適当につかんで見せました。
男の人は、しばらく札束を見つめた後、息をゆっくりと吸ってから、口を開きました。
「誰が断るって言った!」
交渉は成立しました。
「あなたです!」
「空耳だ! もしくは言い間違えだ!」
「断られたと思いました!」
「誰が断るか! あんたらみたいな若い子を導くのが、俺の役目さ!」
変わった人ではありましたが、どうやらお金は大切だったみたいです。やっぱり世の中、お金なのかもしれません。
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