みんな事故で死んじゃったの!

烏川 ハル

みんな事故で死んじゃったの!

   

 青く澄んだ冬空の下。

 シックなベージュのコートを身に纏い、わずかに頬を紅潮させながら、竹宮たけみや花澄かすみは閑静な住宅街を歩いていた。

 ちらりと腕時計に目をやって、小さく首を振る。

「うん、大丈夫。約束の時間には、ちゃんと間に合うわ」


 彼女が向かう先は、交際相手の自宅だ。

 結婚紹介所で知り合った糸川いとかわ紀明のりあきは、花澄よりも七つ年上。学生時代の恋愛ならば考えられない年齢差だが、二十九歳の今の自分にとっては許容範囲だろうと考えていた。

 今風のイケメンとは少し違うものの、切れ長の目やスーッととおった鼻筋など、顔立ちは整っており、背も高い。一流の大学を出て、一流の商社に勤めているという。

 ただ一つ、子持ちのバツイチなのは、大きなマイナスポイントだったが……。

 それでも自分には勿体ないくらいの優良物件に思えて、彼と付き合い始めたのが三ヶ月前。これまでは外でデートするばかりであり、今日が初めての自宅訪問だった。


――――――――――――


「かすみお姉ちゃん、こんにちは!」

 糸川家のドアを開けると、バタバタと花澄に駆け寄ってきたのは、赤いリボンで髪をくくった女の子。

 紀明の娘の美紀みきだった。

 以前にランチデートの際、紀明が美紀を連れてきたこともある。だから花澄も既に美紀とは面識があり、彼女が六歳であることも、彼女が好きなものも把握済みなので……。


 美紀の背後に紀明がいるのを視界の端で確認してから、交際相手である紀明よりも先に、まずは彼の娘の方に挨拶する。

「うん、こんにちは。はい、これ、みきちゃんにおみやげだよ」

「わーい!」

 花澄がクマのぬいぐるみを渡すと、美紀は大喜び。

 大事そうに抱きかかえながら、くるりと背中を向けて走り出す。

「みき! かすみさんに『ありがとう』は?」

「はい、ありがとう!」

 父親から促されても、美紀は振り返りもせず、とってつけたようにお礼を口にするだけ。そのまま自分の部屋へと駆け込んでいく。


 そんな愛娘まなむすめの後ろ姿を見届けながら、紀明は花澄に軽く頭を下げていた。

「すいません、花澄さん。わざわざプレゼントなんて、気を遣ってもらって……」

「いえいえ、どういたしまして。まだ私、みきちゃんにとっては『かすみお姉ちゃん』ですからね」

「……?」

 紀明の顔には、困惑の色が浮かんでいる。言外のニュアンスは伝わらなかったらしいと判断して、花澄は言い直した。

「ほら、甘やかすのは今だけ。『かすみお姉ちゃん』から『かすみママ』になった暁には、手綱を引き締めるところはきちんと引き締めますから、大丈夫ですわ!」


――――――――――――


 戻ってきた美紀も交えて、リビングで三人の時間を過ごす。

 一緒にソファーに座っていると、まるで家族団欒みたいな雰囲気だ。美紀の提案で三人一緒の記念撮影もしたほどであり、花澄としても居心地は悪くなかったのだが……。


「みきのお部屋、かすみお姉ちゃんに見せてあげる!」

 美紀が突然立ち上がり、花澄の手を引いて、他の部屋へと連れ出そうとする。

 花澄が紀明の方へ、尋ねるような視線を向けると、彼は小さく頷いていた。娘のわがままを聞いてやってくれ、という様子だ。

 紀明は座ったままなので、美紀の部屋へ行くのは二人だけらしい。


「ええ、わかったわ。みきちゃん、何を見せてくれるのかしら? 楽しみね!」

 心にもない言葉を口にしながら、花澄も立ち上がるのだった。


――――――――――――


「はい、これがみきのお部屋だよ! 入って、入って!」

 案内された先は、四畳半くらいの子供部屋。天井や壁紙は純真無垢を感じさせるような白色で、カーペットやカーテンなどはピンク色だった。

 ベッドは置かれていないので、ここはあくまでも遊ぶための部屋であり、寝室は別なのだろう。夜はまだ父親と一緒に寝ているのかもしれない。

 もしもそうだとしたら、その習慣は変えてもらう必要もありそうだ。自分が紀明と結婚したあとのことも思い浮かべながら、花澄は美紀の部屋をぐるりと見回した。

 壁際には、人形やぬいぐるみが並べられた棚がある。ほとんどはクマで、先ほど花澄がプレゼントしたばかりのぬいぐるみも、目立つ位置に飾られていた。

 そこまでは微笑ましい光景なのだが……。

 いくつかの人形やぬいぐるみの前には、それぞれ写真が一緒に展示されていた。それを目にした途端、花澄の胸の中で、なんとも形容しがたい不安が渦巻き始める。


 どれも男女三人が写っており、三人のうち二人が紀明と美紀なのは共通。残りの一人は、それぞれ別々の女性だった。

 ベリーショートからストレートのロングまで髪型は様々で、服装も地味だったり派手だったりとまちまちだが、年齢や体型は同じような感じであり、花澄ともよく似ている。

 先ほど花澄自身が経験したのと同じく、この家のリビングで撮影された写真だった。


「これって……」

 質問のつもりはなかったけれど、花澄の口から漏れた呟きを耳にして、美紀が悲しそうに答える。

「これ全部、今までのママなんだけど……」

「えっ?」

 驚いて振り返ると、その口調とは裏腹に、なぜか美紀の顔には薄ら笑いが浮かんでいた。


 背筋がゾッとして、花澄は美紀から視線を逸らす。

 改めて写真を目で追えば、全部で六枚。話が違う、という気持ちになり、つい問いただしてしまった。

「『今までのママ』って、どういうこと? 全員別人よね? でも紀明さんはバツイチのはず……」

 口にした瞬間、微妙に後悔する。こんな小さな子供に「バツイチ」なんて言葉の意味がわかるはずもない、と。

 ところが美紀は、きちんと理解していたらしい。大きく首を横に振ってから、花澄に説明し始めて……。

「パパとお別れしたのは、みきの本当のママだけ。だからパパはバツイチだよ。でもママは他にも六人いてね。それはかすみお姉ちゃんと同じで、偽物のママだから……」

 人差し指を花澄に突きつけながら、声を荒げるのだった。

「……みんな事故で死んじゃったの!」


 なるほど、離婚が一度だけならば、確かにバツイチで正しいのだろう。

 いや、そういう定義だったっけ? 離婚だけでなく死別も含めるのでは?

 だとしたら美紀は間違っているし、紀明は自分に嘘をついたことになる……。

 半ば現実逃避するかのように花澄は考え込みながら、おのれの頭に浮かんだ「死別」という言葉で、ハッと我に返った。

「嘘でしょう? 六人も続けて事故で亡くなるなんて……。そんな偶然、考えられないわ!」

「でも本当に死んじゃったの。みんな偽物だったから」

 美紀の「偽物」という言い方には、微妙な悪意も感じられる。

 ようやくそれに気づいた花澄は、すさまじいまでの恐怖を覚えて、思わず口にしてしまった。

「まさか……。実際は事故じゃなくて、全員あなたが……?」

「違うよ。だって、みきはまだ小さな子供だもん」

「じゃあ、自殺? それとも、紀明さんが……!」

「やだなあ、かすみお姉ちゃん。みきの言ったこと、ちゃんと聞いてた? みんな事故で死んだんだよ。みんな偽物のママだったからね」

 その「偽物のママ」の一人として、美紀は先ほど、花澄もカウントしたのだから……。

 真相がどうあれ、この家に嫁いできたら危険だ。一刻も早く、ここから逃げ出す必要がある!

 花澄は、そう決意するのだった。


――――――――――――


 それから数日後の夜。

 糸川家のリビングには、背中を丸めて座り込む紀明の姿があった。

「やっぱりコブ付きなのが良くないのかなあ。またフラれるなんて……」

「パパ、どうしたの? どっかに頭ぶつけて、たんこぶ出来ちゃったの?」


 後ろから声をかけられて、紀明が驚いて振り返ると……。

 入り口から部屋を覗き込むようにして、パジャマ姿の愛娘まなむすめが立っていた。

 独り言のつもりだったのを誰かに聞かれるというのは、ただそれだけで恥ずかしいものだろう。特に今の発言は――コブ付き云々の部分は――、当の美紀には聞かれたくない話だった。


「みき! まだ寝てなかったのかい?」

「ううん、ちゃんと寝てたよ。みき、トイレに起きただけだよ。それより……」

 小さな美紀の顔に、心配そうな表情が浮かぶ。

「……たんこぶ大丈夫? 痛くない?」

「ああ、気にしないでくれ。たいしたことないから」

 どうやら「コブ付き」の意味もわからず、美紀は誤解しているらしい。でもむしろ好都合なので、あえて紀明は訂正しなかった。

「痛くないならいいんだけど……。でもパパ、なんだか寂しそうだよ?」

「ハハハ……」

 子供というものは、妙に勘の良い場合がある。

 改めてそれを実感しながら、紀明は真実の一部を告げることにした。

「……ほら、この間うちに来たかすみってお姉ちゃんがいただろう? せっかくみきとも仲良くなったのに、パパ、あのお姉ちゃんに嫌われちゃったみたいでね」


「大丈夫だよ! パパにはみきがいるから!」

 すごい勢いで走ってきて、紀明の胸に飛び込む美紀。

 愛娘まなむすめを抱きしめると、紀明はその体温を感じて、自分の心まで温かくなるような気分だった。

「ありがとう。ママがいなくて、みきには寂しい想いもさせちゃうけど……」

「大丈夫だよ! みきにはパパがいるから! パパだけで十分!」

 娘の健気な言葉に、ますます紀明は感動してしまうのだが……。


 この時、彼の腕の中で美紀は、愉悦の笑みを浮かべていた。

 また今度も上手くいった、と言わんばかりに。




(「みんな事故で死んじゃったの!」完)

   

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