みんな事故で死んじゃったの!
烏川 ハル
みんな事故で死んじゃったの!
青く澄んだ冬空の下。
シックなベージュのコートを身に纏い、わずかに頬を紅潮させながら、
ちらりと腕時計に目をやって、小さく首を振る。
「うん、大丈夫。約束の時間には、ちゃんと間に合うわ」
彼女が向かう先は、交際相手の自宅だ。
結婚紹介所で知り合った
今風のイケメンとは少し違うものの、切れ長の目やスーッと
ただ一つ、子持ちのバツイチなのは、大きなマイナスポイントだったが……。
それでも自分には勿体ないくらいの優良物件に思えて、彼と付き合い始めたのが三ヶ月前。これまでは外でデートするばかりであり、今日が初めての自宅訪問だった。
――――――――――――
「かすみお姉ちゃん、こんにちは!」
糸川家のドアを開けると、バタバタと花澄に駆け寄ってきたのは、赤いリボンで髪をくくった女の子。
紀明の娘の
以前にランチデートの際、紀明が美紀を連れてきたこともある。だから花澄も既に美紀とは面識があり、彼女が六歳であることも、彼女が好きなものも把握済みなので……。
美紀の背後に紀明がいるのを視界の端で確認してから、交際相手である紀明よりも先に、まずは彼の娘の方に挨拶する。
「うん、こんにちは。はい、これ、みきちゃんにおみやげだよ」
「わーい!」
花澄がクマのぬいぐるみを渡すと、美紀は大喜び。
大事そうに抱きかかえながら、くるりと背中を向けて走り出す。
「みき! かすみさんに『ありがとう』は?」
「はい、ありがとう!」
父親から促されても、美紀は振り返りもせず、とってつけたようにお礼を口にするだけ。そのまま自分の部屋へと駆け込んでいく。
そんな
「すいません、花澄さん。わざわざプレゼントなんて、気を遣ってもらって……」
「いえいえ、どういたしまして。まだ私、みきちゃんにとっては『かすみお姉ちゃん』ですからね」
「……?」
紀明の顔には、困惑の色が浮かんでいる。言外のニュアンスは伝わらなかったらしいと判断して、花澄は言い直した。
「ほら、甘やかすのは今だけ。『かすみお姉ちゃん』から『かすみママ』になった暁には、手綱を引き締めるところはきちんと引き締めますから、大丈夫ですわ!」
――――――――――――
戻ってきた美紀も交えて、リビングで三人の時間を過ごす。
一緒にソファーに座っていると、まるで家族団欒みたいな雰囲気だ。美紀の提案で三人一緒の記念撮影もしたほどであり、花澄としても居心地は悪くなかったのだが……。
「みきのお部屋、かすみお姉ちゃんに見せてあげる!」
美紀が突然立ち上がり、花澄の手を引いて、他の部屋へと連れ出そうとする。
花澄が紀明の方へ、尋ねるような視線を向けると、彼は小さく頷いていた。娘のわがままを聞いてやってくれ、という様子だ。
紀明は座ったままなので、美紀の部屋へ行くのは二人だけらしい。
「ええ、わかったわ。みきちゃん、何を見せてくれるのかしら? 楽しみね!」
心にもない言葉を口にしながら、花澄も立ち上がるのだった。
――――――――――――
「はい、これがみきのお部屋だよ! 入って、入って!」
案内された先は、四畳半くらいの子供部屋。天井や壁紙は純真無垢を感じさせるような白色で、カーペットやカーテンなどはピンク色だった。
ベッドは置かれていないので、ここはあくまでも遊ぶための部屋であり、寝室は別なのだろう。夜はまだ父親と一緒に寝ているのかもしれない。
もしもそうだとしたら、その習慣は変えてもらう必要もありそうだ。自分が紀明と結婚した
壁際には、人形やぬいぐるみが並べられた棚がある。ほとんどはクマで、先ほど花澄がプレゼントしたばかりのぬいぐるみも、目立つ位置に飾られていた。
そこまでは微笑ましい光景なのだが……。
いくつかの人形やぬいぐるみの前には、それぞれ写真が一緒に展示されていた。それを目にした途端、花澄の胸の中で、なんとも形容しがたい不安が渦巻き始める。
どれも男女三人が写っており、三人のうち二人が紀明と美紀なのは共通。残りの一人は、それぞれ別々の女性だった。
ベリーショートからストレートのロングまで髪型は様々で、服装も地味だったり派手だったりとまちまちだが、年齢や体型は同じような感じであり、花澄ともよく似ている。
先ほど花澄自身が経験したのと同じく、この家のリビングで撮影された写真だった。
「これって……」
質問のつもりはなかったけれど、花澄の口から漏れた呟きを耳にして、美紀が悲しそうに答える。
「これ全部、今までのママなんだけど……」
「えっ?」
驚いて振り返ると、その口調とは裏腹に、なぜか美紀の顔には薄ら笑いが浮かんでいた。
背筋がゾッとして、花澄は美紀から視線を逸らす。
改めて写真を目で追えば、全部で六枚。話が違う、という気持ちになり、つい問いただしてしまった。
「『今までのママ』って、どういうこと? 全員別人よね? でも紀明さんはバツイチのはず……」
口にした瞬間、微妙に後悔する。こんな小さな子供に「バツイチ」なんて言葉の意味がわかるはずもない、と。
ところが美紀は、きちんと理解していたらしい。大きく首を横に振ってから、花澄に説明し始めて……。
「パパとお別れしたのは、みきの本当のママだけ。だからパパはバツイチだよ。でもママは他にも六人いてね。それはかすみお姉ちゃんと同じで、偽物のママだから……」
人差し指を花澄に突きつけながら、声を荒げるのだった。
「……みんな事故で死んじゃったの!」
なるほど、離婚が一度だけならば、確かにバツイチで正しいのだろう。
いや、そういう定義だったっけ? 離婚だけでなく死別も含めるのでは?
だとしたら美紀は間違っているし、紀明は自分に嘘をついたことになる……。
半ば現実逃避するかのように花澄は考え込みながら、
「嘘でしょう? 六人も続けて事故で亡くなるなんて……。そんな偶然、考えられないわ!」
「でも本当に死んじゃったの。みんな偽物だったから」
美紀の「偽物」という言い方には、微妙な悪意も感じられる。
ようやくそれに気づいた花澄は、
「まさか……。実際は事故じゃなくて、全員あなたが……?」
「違うよ。だって、みきはまだ小さな子供だもん」
「じゃあ、自殺? それとも、紀明さんが……!」
「やだなあ、かすみお姉ちゃん。みきの言ったこと、ちゃんと聞いてた? みんな事故で死んだんだよ。みんな偽物のママだったからね」
その「偽物のママ」の一人として、美紀は先ほど、花澄もカウントしたのだから……。
真相がどうあれ、この家に嫁いできたら危険だ。一刻も早く、ここから逃げ出す必要がある!
花澄は、そう決意するのだった。
――――――――――――
それから数日後の夜。
糸川家のリビングには、背中を丸めて座り込む紀明の姿があった。
「やっぱりコブ付きなのが良くないのかなあ。またフラれるなんて……」
「パパ、どうしたの? どっかに頭ぶつけて、たんこぶ出来ちゃったの?」
後ろから声をかけられて、紀明が驚いて振り返ると……。
入り口から部屋を覗き込むようにして、パジャマ姿の
独り言のつもりだったのを誰かに聞かれるというのは、ただそれだけで恥ずかしいものだろう。特に今の発言は――コブ付き云々の部分は――、当の美紀には聞かれたくない話だった。
「みき! まだ寝てなかったのかい?」
「ううん、ちゃんと寝てたよ。みき、トイレに起きただけだよ。それより……」
小さな美紀の顔に、心配そうな表情が浮かぶ。
「……たんこぶ大丈夫? 痛くない?」
「ああ、気にしないでくれ。たいしたことないから」
どうやら「コブ付き」の意味もわからず、美紀は誤解しているらしい。でもむしろ好都合なので、あえて紀明は訂正しなかった。
「痛くないならいいんだけど……。でもパパ、なんだか寂しそうだよ?」
「ハハハ……」
子供というものは、妙に勘の良い場合がある。
改めてそれを実感しながら、紀明は真実の一部を告げることにした。
「……ほら、この間うちに来たかすみってお姉ちゃんがいただろう? せっかくみきとも仲良くなったのに、パパ、あのお姉ちゃんに嫌われちゃったみたいでね」
「大丈夫だよ! パパにはみきがいるから!」
すごい勢いで走ってきて、紀明の胸に飛び込む美紀。
「ありがとう。ママがいなくて、みきには寂しい想いもさせちゃうけど……」
「大丈夫だよ! みきにはパパがいるから! パパだけで十分!」
娘の健気な言葉に、ますます紀明は感動してしまうのだが……。
この時、彼の腕の中で美紀は、愉悦の笑みを浮かべていた。
また今度も上手くいった、と言わんばかりに。
(「みんな事故で死んじゃったの!」完)
みんな事故で死んじゃったの! 烏川 ハル @haru_karasugawa
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