第四話

 汽車が故郷の駅へ滑り込む。

 あたしは懐かしさと嬉しさでいっぱいで、とても落ち着いてなどいられなかった。


「落ち着かぬか、雪」

「はい。そわそわしております。もう、それは楽しみで」

「お前らしくもない。と、さあ着いた。忘れるな。汽車が停まれば、お前は『雪』ではなく『留』だ。俺に恥をかかせるなよ」

「はい」

「ああ、俺のことも『旦那様』ではなく『鳴滝様』と呼べ。そのほうがもっともらしいだろう?」


 旦那様は笑ってそう言った。

 どんな風に呼ぼうが、旦那様は旦那様でしかないと、あたしは思った。


 汽車が長い時間をかけて停まる。

 荷物を降ろし、旦那様の後ろに付いて駅を降りる。


 駅を降りた瞬間に、あたしは呆れてしまって、言葉を失った。

 駅には、村人全員が揃っているのではないか、という有様で、燕尾服を着た村長ががにこやかに立っていた。

 どうやら旦那様を歓迎するために、村人を総動員させたのだろう。


「鳴滝様! こだなむさくるしいどごへ、ようこそおいでぬなりました!」


 見たこともないような極端な笑顔で、村長が挨拶した。


「うむ、出迎えご苦労」


 旦那様が威張った態度で応える。

 きっと高官らしく振舞っておられるのだろうと思うと可笑しかった。


「留さんも、よっく帰られました。ご両親が首を長ぐしてお待ちですよ」


 村長が不自然な笑顔のまま言った。

 もちろんあたしはすぐに両親の姿を探したが、人が多すぎてすぐには見つけることが出来なかった。


 すぐに嬉しい声が上がった。


「留ねぇ!」

「姉ちゃん!」

「お前たち!」


 弟達だった。


 あたしは嬉しくて駆け出した。

 弟達は、すっかり大きくなっていて、見違えるほどだった。


「元気だったが?」

「う、うん!」


 二人は恥ずかしいのか、昔のように抱きついては来なかったが、しかし本当に嬉しそうにもじもじしていた。

 あたしも再会が嬉しくてたまらなかった。


 あたしは、すぐにでもお父さんお母さんに会いたくて、二人に言った。


「父ちゃんど母ちゃんは?」


 あたしが訊くと、二人はなぜか急にうつむいた。


「……なじょしたなだ?」

「……父ちゃんど母ちゃんは来てねぇ」

「えっ?」


 そしてすぐに思い立った。


 あたしは、人買いに買われて行ったのだ。

 もちろん普通なら客を取らされているであろうし、そんな娘を恥ずかしく思う気持ちもあるのだろう。

 そして、それ以上にきっとあたしに対して申し訳ないと思っているに違いない。


 もしそうだとすれば、これはどうしても早く両親に会わねばならないと思った。

 売られたときには本当に恐ろしかったし、悲しかったけれど、今の自分がどれほど幸せで恵まれているのか、一刻も早く伝えなければならない。


「留殿。俺を案内してくれ」


 旦那様が仰った。

「留殿」などと呼ばれるものだから、あたしはとっさには自分のことだと思えなかった。

 しばらくして意味がわかると、可笑しくて笑い出しそうになってしまった。

 顔が緩むのを必死に抑えながら答える。


「はい、『鳴滝様』。まずはどこをご覧になりたいですか?」


 その言葉を聞いて、村長が慌てたように言った。


「ほっだな、とんでもねぃっし! この私がご案内申す上げます!」


 そう言って駆け寄ってくる村長だったが、旦那様がそれを止めた。


「心遣いには感謝するが、結構。私は留殿を信頼している。この視察も、これほど優秀な助手の育った土地が、どれほど優れた教育を行なっているのか見てみたいと思ったのだ。故に、案内は留殿がせねば意味がない」


 旦那様は貫禄たっぷりに仰った。

 あまりの芝居がかった態度が可笑しかったが、旦那様のお心遣いが嬉しかった。


「ありがとうございます。それではご案内差し上げます。鳴滝様」


 あたしはそう言って、旦那様の荷物を受け取って立ち上がる。


「どこから案内しましょうか」


 あたしが言うと、旦那様は「ふむ」と考え込んでから言った。


「留殿のご両親はおいでかな」

「いえ、どうやら忙しいらしく、来れなかったようです」


 あたしが答えると、旦那様はむっとした顔をして言った。


「それでは、まずは留殿のご自宅に挨拶させてもらおう。案内してくれ」

「ええっ」


 あたしは驚いて、しかしすぐに応えた。


「……かしこまりました、鳴滝様」


 そう言って歩き始めると、声がかかった。


「あ、あの、鳴滝様!」


 村長が慌てたように言った。


「案内が駄目ならァ……明日の晩には歓迎の宴を用意いだすました。せめてェ、そつらにはおいでくださいませんか」

「あいわかった。心遣い、感謝する」


 旦那様は簡単に答え、そしてすぐにあたしを促す。


 あたしは懐かしい生まれた家に向かう。

 弟達は、両親に伝えるために先に家へ走っていってしまった。


 それから人の目がある間、旦那様は始終無言だったが、二人きりになったとたんに、肩の力を抜いて仰った。


「……たまらんな。俺はこういうのはとても苦手だ」

「存じております。旦那様」

「おい。『旦那様』ではないぞ、留殿」


 旦那様がまじめくさって仰るので、あたしは笑ってしまった。


「まさか、旦那様が雪のことを『殿』付きでお呼びになるとは、思いもよりませんでした」

「こら、留。また『旦那様』と」

「申し訳ありません、『鳴滝様』」


 あたしが言うと、旦那様は可笑しそうに笑った。


 芝居がかっていて、とても可笑しかった。

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ロタチオン カイエ @cahier

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