最終話 一生一緒に駄弁ろうね

「大変だったんだからね、思い出してもらうの」


 砂浜で寄り添うように座りながら、ハル姉がぽつりと呟く。思い出してみれば、彼女とのこれまでの会話は、全て記憶のリプレイだった。目が覚めたときに大きなおっぱいがあったのも、彼女と出会ったときの再現。


 ビールの話も、ラムネの話も、全部が全部、記憶にあるものと同じだ。というか、動画を作ったらどうかを提案したのも僕だし……。


「最初膝枕してたのは偶然だけどね。記憶がないってわかって、それからは思い出してもらおうと必死だったわ」

「ごめん」


 頭を下げると、ハル姉がコロコロと笑う。


「本当よ。忘れないって約束したのにね」

「いや本当にごめん」

「まあでも、仕方がないよ。にしても、まさか本当に滅ぶとは」

「学歴社会というか、社会自体なくなったね」

「ねー、本当に私達しか生き残ってなかったりして」


 その言葉に、心臓が跳ねる。僕たちしか生き残っていない世界。それはとても残酷だけど、なぜだか少しだけ心が踊るような気もする。誰に咎められることもなく、監視されることもなく、ただ自由気ままに世界を旅して、二人で生き続けられるのだから。


「まあ、どっちにしてもさ……よかった」


 お姉さんの声が震えていた。どうしてだろうと思って顔を見ると、目から涙がこぼれている。彼女は笑顔で、肩を震わせることもなく、泣いていた。


「君が生きてて、本当に」

「こっちのセリフでもあるけどな」

「あはは。だね」


 ハル姉は手のひらで涙を拭う。


「私にとって君は、色のない世界を鮮やかにしてくれた人だから」

「……すごい表現だなあ」


 だけど、そうだな……。


「僕にとっても、ハル姉は、そうだよ」


 兄が死んでから、僕の世界にはずっと白と黒しかなかった。何を食べても味がしなくて、何を見ても何も感じなくて。だけど、そんな世界に色を付けてくれたのが、ハル姉だ。


「ハル姉と出会ってからは、楽しかった」

「私も」

「出会ったあの日、僕は死のうとしてたんだよ」

「……知ってる」


 五歳の頃。兄が死んでどこにも居場所がなくて、世界から色が消えて、どうしようもなく落ち込んでいた僕は人のいない夜の公園で死のうとしていた。だけど僕は物事を何も知らない子供でしかなくて、高いところから飛び降りたつもりが全然そんなことはなくて、ただ怖くて気絶してしまって……。


 目が覚めたら、おっぱいがあった。


 ハル姉は、僕にとって、勇者だった。


「私もね、あの日は死ぬつもりで公園に行ったからさ」

「知ってる」

「だよねー」


 はじめて見たハル姉の顔は、腫れた目で涙を垂れ流している顔だったから。きっと同じことを考えていたんだろうと、後になって察した。


 目の前の彼女は笑顔で僕の頭を撫でてくれている。抱きつきたくなるのを必死に抑え、僕は次の言葉を待った。


「ずっと一人で、孤独で、新しい家族ができてもすぐには信じられなくてさ」

「うん」

「施設でも虐められてたし、学校にも馴染めなかったし……ああもういいやって」

「うん」

「だけど目の前で自分より小さな男の子が決死の顔で飛び降りてさ、気絶してさ。助けなきゃって思ったんだよね」


 相槌を打ちながら聞いていると、突然あたたかな体に包み込まれた。ハル姉の体だ。腕も肩も震えていて、僕の体を必死になって抱きしめている彼女がとてつもなく愛おしく思えて、僕は彼女の頭に手を伸ばした。


「そしたらもう、死んじゃいたいって気持ちがどこかに行ってて。それでもやっぱり辛いものは辛いんだけど、君と一緒にいるうちにそれも和らいでさ」

「僕もそうだよ」

「同じような時期に笑顔が増えたよね、私達」

「そうだなあ」

「養父母さんとも仲良くなれて、君と一緒に海に行ったりして、プロポーズされて……はじめて、生きたいって思えたんだ」


 その言葉が、僕にとってはたまらなく嬉しい。それは、僕という存在の肯定だ。僕がこの世界にいてもいいんだという、許しのように思えて、僕は泣きそうになった。


「君は私にとっての勇者だよ」

「まだまだだけどね」

「あはは、まだちっこいからね」

「でもまあ、なるよ。勇者」


 こんな世界だけど、僕は彼女のことを世界で一番笑顔にしたい。他に誰もいなくても、いたとしても、変わらない。僕はたまらなく、この人のことが好きなんだから。好きな人を好きになれたんだから。


 僕はハル姉の体をきつく抱きしめる。それに応えてくれているのか、彼女の腕の力も強くなった。


「勇者の旅だね」

「だなあ。世界を見に行こう」

「楽しそう」

「楽しいよ、絶対」

「ねえ」

「ん?」


 お姉さんが僕の体から離れて、僕に口づけをした。泣いていたからか、彼女の頬が赤くて、目が潤んでいて、すごく可愛い。その顔を見てから、はじめて僕から、彼女にキスをした。唇を離すと、彼女は笑顔で僕の目をじっと見据える。


「一生一緒に駄弁ろうね、私の勇者様」

「……うん!」




 ――完。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダウナーお姉さんと二人で駄弁るだけ 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ