第11話 忘れないでよ?
昔は、自分はもっと特別な存在だと思っていた。ゲームに出てくる勇者……とまではいかなくても、勇者の旅を支える僧侶や魔法使いにはなれるもんだと。周りの子たちは、十歳になった今でもそう信じているみたいだけど、僕は違った。
現実は、勇者御一行に加わるような劇的なものじゃなくて、もっと緩く続いていく。そう、もっと小さい頃に遠足で行った山の上の遊園地のケーブルカーのように、緩くのんびりと終着点に向かって続いていくものだと思う。
だからかな。いつの間にか、周りに馴染めなくなっていたのは。
「どしたの? 気難しい顔して」
家の近くの公園のベンチで、ハル姉さんが隣に腰を掛けてきた。近所に住む八つも上のお姉さんは、今僕が気が合うただ一人の人。彼女はいつもの調子で、僕の頭を撫でながら笑う。
「小学生にしては小難しい顔し過ぎじゃない?」
「小学生も大変なんだよ」
「ま、それはそうだね」
「高校生も大変?」
僕が聞くと、お姉さんが僕の頭から手をどけて、腕組みをしてうんうんと頷く。どうやら、高校生はもっと大変らしい。
それから少し遠くを見つめるような目をして、また僕を見た。
「いやもうすっごく大変よ」
「だろうね」
「受験戦争とかねー、本当、学歴社会とか滅びればいいのに」
「あれ、ハル姉って大学行くんだ」
昔は、大学なんて行かない! と言っていた気がするけど。
「結婚してくれるんでしょ? だったら君を養えるくらいにならないとね」
「……覚えてたの? それ」
僕が五歳くらいのときだったか。まだ僧侶や魔法使いどころか、勇者にだってなれると思い上がっていた頃に、ハル姉と結婚すると言った記憶がある。一度しか言ったことがないのに、ずっと覚えていたとは……。考えていたら、顔が熱くなってきて、ハル姉の目を見れなくなってしまった。
「お姉さんは本気になったのです」
「すごいね」
「だから、責任取って早く大人になってね」
「無茶言うよなあ……時間は早まったりしないよ」
「ま、それもそうだね」
お姉さんがコロコロとした笑い声をあげる。
「ユウくんはさ、何か将来の夢とかあるかい?」
隣で僕の肩に寄り添う年上の彼女の問いかけに、僕は黙ってしまった。夢、夢かあ。それを持たなくなったのは、いつからだったか。親との関係が壊れてしまってからだったか、それとも自然とそうなったのか、わからない。
兄が死んでから、僕たちはおかしくなった。親は僕のことをいない者として扱って、学校でも浮き始めて、お姉さんと彼女の養父母さんだけが僕にとっての家族になって……。そういえば、養父母さんに海に連れて行ってもらったことがあったっけ。
あのとき、何か朧気に……。
あ、そうだ。
僕は、やっぱり……。
「……勇者に、なりたかったな」
思わず、口に出てしまっていた。お姉さんが目を丸くしてから、大きな声をあげて笑う。ハル姉の肩を叩くと、彼女は「ごめんごめん」と目に溜まった涙を人差し指で拭った。
「泣くほど笑うことないじゃん」
「いやあ、久しぶりに君から子供らしい言葉を聞いたからね、つい」
「いいけど」
「勇者になりたいって話、詳しく」
「……いいけど」
ため息をついて、彼女に向き直る。
そう、僕が勇者になりたいと思ったのは、あのときだ。ハル姉が海に飛び込んで、しばらく浮き上がって来なかったことがある。そのときに僕は何もできず、オタオタとしているだけだった。結局、ハル姉のいたずらで、溺れてたわけじゃなかったんだけど。
「お姉さんが困っているとき、真っ先に動ける人になりたいんだよ」
「へえ……」
「世界で一番、ハル姉を笑顔にできるような人になりたい」
「それが勇者なの?」
「そうだよ。勇者って、大切な何かを守る強さを持った人でしょ? それはきっと、誰かを幸せにできる人ってことなんだと思うんだ」
勇者は、魔王を倒して、世界に平和をもたらし、多くの人々の笑顔を守る。
だけど、現実にそんなことはない。現実的に考えれば、勇者とは一番守りたい人を守れる強さを持ち、一番笑顔にしたい人を誰よりも笑顔にできる力を持った人だと僕は思う。そういう人に、僕はなりたかった。
「じゃあさ、それを叶えてよ」
「……うん」
「言ったな?」
「男に二言は云々かんぬん」
「そこは言い切ってよ」
ハル姉は、ふうと息をついて、僕の目を真っ直ぐに見つめる。いつになく真剣そうなその目に射すくめられて、僕は身動きが取れなくなった。
「約束だからね。忘れないでよ?」
「うん、約束だよ」
この次の日、世界に隕石が落ちた。現実は想像していたよりもファンタジーで、混沌としていたらしい。僕は親の遺体と家の瓦礫がうまいこと合わさって、無事だった。家の周辺に襲ったのは隕石そのものじゃなくて、その衝撃波だったらしい。
だけど、どういうわけか、僕はずっと忘れていた。
忘れないと、約束したのに。
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