第三章:暴かれる真実と狂気の愛
アルバートの手は、日記のページをめくるたびに震えを増していった。
伯爵の書き残した言葉は、死と愛と狂気が交錯する深淵へと彼を誘った。
日記の記述が進むにつれ、伯爵の内面に渦巻く暗黒が、徐々に形をなしてアルバートの心を浸食してきた。
ある晩、アルバートは屋敷の地下を探索している最中、ついに隠された通路を見つけた。
その冷たく湿った通路は、屋敷の仄暗い歴史を物語るかのように、彼をさらなる暗闇へと導いた。
通路の奥、薄暗い灯りのもとに安置されたのは、数十年前の物と見られる女性の遺体だった。
遺体は保存状態がよく、まるで眠っているかのように平穏な表情をしていた。
この世のものとは思えぬほどの静謐さを湛えたその姿は、死をもってしても色褪せることのない絶世の美しさを保ち続けている。
彼女の唇は、閉じられたまま微かな微笑をたたえ、その表情にはかつての悦楽の記憶が刻まれている。まるで最後の瞬間に、究極の悦びを見出したかのように。その瞳は閉ざされ、もはやこの世の光を映すことはないが、かつてはどれほど多くの者を虜にしたことだろう。その艶やかな髪は今も夜の帳のように彼女を包み込み、死の静寂を優雅なヴェールとして纏う。
その姿はまるで生前の美しさを永遠に封じ込めた至宝のよう。彼女の周りに満ちる空気は、歴史の深淵から吹き抜ける風のように、古い時代の匂いを運んでくる。この美女がかつて歩んだ煌びやかな宴の場、愛し愛された情熱の日々は、今は遠い幻と化している。
だが、彼女の美しさだけは時間を超越し、屍蝋の静けさの中でさえも、その麗しさを放つ。死の床でさえ彼女は高貴であり、その完璧な容姿は、生きとし生けるものへの最後の挑戦状のようだ。屍蝋になった彼女は、死をもってしてもその美を讃えられるべく、静かに時を越えてその名を永らえさせるのである。
アルバートは息を呑みながらその遺体を見つめた。
伯爵の日記で語られていた恋人――つまり彼女はそこにいた。
そう、生前の姿のままで。
しかし、その隣には最新の日記が置かれていた。
新しい日記には、伯爵が亡くなる直前に書かれたと見られる言葉が記されていた。
「私は彼女を愛していた。しかし、彼女は死んだのではない。彼女は今も私と共にいる。そして、私が死んだ後も、彼女は屋敷で永遠に若く美しくあり続けるだろう。この私のヴァイオリンの旋律と共に」
アルバートはその言葉を読んで、伯爵の愛が死をも超越したことを悟った。
幽霊など存在しない。
ここにあるのは、愛する者を死から守るために伯爵が行った、あまりにも狂おしい行為の結晶だけだった。
そして、日記の最後のページをめくると、そこにはエリザの写真が挟まれていた。
写真の裏には日付が書かれており、それは伯爵の死よりもずっと後のものだった。
エリザが鍵を持っていないと言ったのは嘘だったのだ。
彼女は伯爵と恋人の秘密を守るため、屋敷に留まっていたのだ。
その夜、アルバートは、再び部屋から悲し気な切ない旋律が聞こえてくるのを耳にした。
彼は静かに部屋へと向かった。
そこで目撃したのは、エリザがヴァイオリンを奏でている姿だった。
彼女は伯爵の意志を継ぎ、恋人の幻影と共に、永遠に音楽を奏で続けるという使命を全うしていたのだ。
「エリザ……」
演奏を終えた彼女を見つめていたアルバートは思わず声を洩らした。
老メイドはアルバートを認めると、伏し目がちに呟いた。
「とうとうここまで来られてしまったのですね……」
「エリザ、君は一体……」
エリザは悲し気な笑みを浮かべながらゆっくりと応えた。
「ええ、ご覧の通り、私は伯爵様の意志を継いでいるのです。この屋敷には、まだ見ぬ秘密がたくさんあるのですよ、アルバート様」
二人の間に沈黙が流れた。
やがてアルバートが言の葉を継いだ。
「エリザ、君がこの屋敷を、その旋律で守っていたのだね」
「はい、アルバート様。私は伯爵様と彼の愛する人の記憶を守るために、旦那様の創ったこの美しい旋律で、屋敷に永遠の命を吹き込むのです」
アルバートは深い感銘とともにエリザを見守りながら、屋敷が孕んでいた愛と狂気の物語を、静かに胸に刻んだ。
そして、彼は屋敷の改築を中止し、その歴史を尊重することを決意する。
屋敷は、かつての伯爵と彼の恋人、そしてエリザの愛と記憶を守り続ける場所となったのだった。
(了)
【ホラーショートストーリー】幽玄の屋敷と永遠の夜想曲 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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