2
セントラル・ストリート
国内には五つのキャンパスのある区画を繋ぐ路線が存在している。
朝と夕方、それに講義の合間の時間帯はどの路線も混みがちだが、大抵の学生は自身の所属する学部学科ごとに講義が行われるキャンパスが統合されているので、一日で複数のキャンパスを行き来することはあまりない。
ただ、自宅が講義のあるキャンパスと同じ区画にあるとは限らない。
学生たちの中には一日の始まりと終わりに路線を利用して通学、帰宅を行わなければならない者もいた。
兄斗もその一人だ。
彼は講義を終え、自宅に帰ろうとしていた。
「……またか」
しかし、通りを歩く途中で立ち止まる。
同じ様に道端で立ち止まっている人物がいたからだ。
「……………………………………………………」
九十度に首を曲げ、口を半開きにし、光を失った瞳で虚空を見つめている。
今朝見た学生と同じ状態だ。
――……さて、何分くらいかな。
兄斗は息を吐いてベンチに座る。
偶然か必然か、立ち止まっている学生は今朝の学生と同じ場所で同じ状態になっていた。
今度は女子学生だ。
――年齢は僕よりいくらか上だな……。
――『あの状態』になる人物に見た目の関連性は無い……。
――だとしたら……。
兄斗はベンチにもたれながら冷静に分析する。
通りを歩く者は兄斗以外誰もその女子を見て歩みを止めない。
いや、そもそも見てもいないのか。
兄斗も楽な体勢でただ眺め続けるだけだった。
「……………………………………………………」
すると、今朝の時と同様に突然その女子学生は瞳に光を取り戻し、何食わぬ顔で歩き出した。
当然首も曲げた状態から戻している。
――……一分未満……。僕が見つけるより前から『ああ』だったのかな?
兄斗は小さく溜息を吐き、立ち上がる。
その時――。
「なーにを見てたんですか?」
「うおぉぅ!?」
またしても、花良木四葉が現れた。
「驚き過ぎでしょう……。先輩ひょっとしてビビり?」
「そ、そんなことないよ。ただ、その……」
好意を持つ相手にいきなり声を掛けられた為とは言えない。
そういう意味では確かに臆病者なのかもしれないと、兄斗は否定する気を失った。
「……で? 何を見てたんですか?」
「何でもないよ」
「怪しいですねぇ……。私は先輩の監視を任されてるんです。先輩が『その力』を悪用するようなら、すぐにでも上に報告しなければなりません」
「僕ってもしかして信用無い?」
「そもそも私たちの間に信頼関係はまだ築けてないと思いますけど」
「……まあ……そう……だね……」
兄斗は血の涙を堪えながら頷いた。
握りしめた拳の震えの意味を、四葉には理解しようがない。
「ってかいつまでカラコン付けてるんです? もうバレてるのに」
「……確かに。ついいつもの癖でさ」
「まあ先輩の『力』のことはともかく、何を見ていたのか教えて下さい」
「……僕が聞きたいよ」
「はい?」
「『そこ』」
「?」
兄斗は先程学生が立ち止まっていた場所を指差した。
タイル二枚分の地面だ。
「『そこ』にさっきまで学生が立ち止まっていた。前にも『そこ』で立ち止まる学生がいた。五人くらいかな。年齢性別に偏りはない」
「? それが何か? ずっと『そこ』を見ていたらそりゃあ何人かは立ち止まるでしょう」
「ただ立ち止まるだけじゃないんだ。どういうわけか、首を九十度に曲げ、口を半開きにして、ただ真っ直ぐ正面を向き続けていて、まるで……」
「……呪われているみたいに……ですか?」
兄斗は目を細めて頷いた。
確かに、言ってしまえば『そこ』で立ち止まる人々は、何か霊的な存在に取り憑かれているようだった。
それを『呪われている』と言い換えることも出来るだろう。
「気になるのは……みんな数分そうして立ち止まると、唐突に目を覚ましたようにして歩き始めるんだよ。首の角度も戻してさ」
「……成程」
四葉は顎に手を乗せ、何か納得したように『そこ』に向かう。
「あ、ちょっと」
少し遅い。
四葉は既に『そこ』に足を踏み入れた。
「うーん……別に何も起きないですね」
「あ、ああ……別に必ず『ああ』なるわけでもないみたいだな……」
「……」
「花良木?」
彼女の首が、九十度曲がる。
「花良木!?」
口は半開き。
目は虚ろ。
「……………………………………………………」
明らかに、彼女は既に呑まれていた。
「……随分正確な判断だ。花良木の全身がそのタイル二枚分の上に収まって初めて『発動』した……」
想い人が『異常』に見舞われている一方、兄斗は割かし冷静だった。
何故ならこの状態がすぐに解けることを理解していたからだ。
だからこそ、彼は今までと違って彼女の傍に近寄った。
「『そこ』の上に乗ると『こう』なるのかな? 花良木……」
生気を失った彼女の顔を正面から見て、若干邪な感情を抱いたことに罪悪感を持つ。
今なら確かに彼女を自由にできるが、兄斗はただこの状態の解除を待った。
*
五分経過した。
兄斗はポケットに手を突っ込んだ状態でただ彼女の正面に立ち続けていたが、まだ彼女は元に戻らない。
「……最長記録更新まであと三十秒……」
これまでに五人、同じ状態になった者を見てきた。
元に戻るまでにかかった最長時間は五分四十二秒。
しかし、四葉はその記録を優に超える。
「……七分経過。長すぎる……」
スマートフォンアプリの時計を見ながら、若干兄斗は冷や汗をかく。
既にこの現象は『何でもない』と言って見過ごせる段階を超えている。
「……十分経過。『害』有りと見ていいかな」
冷静さは保ったまま、淡々とその『現象』を評する。
そして――。
「反射出来るのかな? 物は試し……」
そう言いながら右目に触れる。
彼は右目にカラーコンタクトを付けていた。
黒色のカラーコンタクト。これは、元の『異常』な瞳を隠すための物だ。
「『リフレクション』」
それは、空色に光る六角形の小さな結晶のような物。
彼の瞳にはその結晶が宿っていた。
そして、彼の声と共に結晶は体外へと飛び出す。
兄斗は反動を受けて瞑らされた右目を手で押さえ、結晶は大きさを変える。
彼の頭部と変わらない大きさになり、彼の目の前に浮いていた。
「反射してくれ。彼女に取り憑いた『何か』を」
結晶はバリアの要領で扱われる物だった。
ただ、この時初めて兄斗はそれを、物体を弾くためではなく『見えない物』を弾くために使おうとした。
ジュィィィィィ
バリアは目の前の四葉に向かっていく。
彼女の体に接触し、どういう理屈か、そのまま彼女をすり抜けようとした。
このバリアに現実の常識は通用しない。
「………んっ……!」
若干四葉に反応が見えた。
まるで、バリアが自身の体をすり抜けることを拒むかのように。
「効いてる? 反射できるってことか……?」
次の瞬間。
四葉の表情は、およそ兄斗が目にしたことがないほどに怒りに満ちていた。
「!?」
「……ヤ……メ……ロ……」
首は相変わらず九十度に曲がったまま。
一瞬驚いた兄斗だったが、口が利けたことで逆に安堵する。
「……助かるよ。『止めてほしい』ってことは『効いてる』ってことだ。消えろよ。何だか知らないけど、花良木の体からさ」
「……ジャマヲ……スル……ナ……」
「? 何の?」
兄斗は疑問に思うことも無く、当然のように四葉に取り憑いた『何か』と会話をする。
「ジャマヲ……スルナ!」
突然、雷でも落ちたかのように一瞬辺りが光で満ち溢れる。
だがそれは気のせいの様だった。
兄斗は頭をブンブンと振って四葉を睨みつけた。
不思議と頭痛を感じ、左手で側頭部を抑える。
「……何をした? 何なんだお前は? 何を…………ッ!?」
四葉はスンとしていた。
先程の怒りに満ちた表情はもう無い。
バリアは既に彼女の体をすり抜けていた。
「……花良木……?」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
無表情のまま、四葉は叫ぶ。
まるで、このまま消えてなくなってしまうことを恐れるかのように。
「………………花良木?」
また落ち着いた彼女に、兄斗は恐る恐る話しかける。
彼女の瞳には光が戻っていた。
「……え? 先輩? 私は一体……」
「……『カース』に呑まれていた。大丈夫なのか? その調子で『監視役』っていうのは……」
「な……!? い、今のはたまたまです! 大体先輩程度なら私でも十分という上の判断なので! あまり私の事舐めないで下さいよ!」
「いや……舐めてるわけじゃ……」
兄斗はただ彼女の身を案じただけのつもりだった。
しかし、その想いは届かない。
「……私はどうなっていましたか?」
「ああ。首を九十度に曲げて、口が半開き。目は虚ろって感じだったよ」
「……なんか嫌ですね。それを先輩に見られてるの」
「ま、まあ。とにかく無事だったから良かった」
「……本当に無事だったんでしょうか?」
「え?」
「『カース』の正体は誰にも掴めていない。私は……先輩のように呪われてしまったのでは?」
「……それは無いよ」
「どうしてわかるんです?」
「僕には感覚でわかる。『カース』が宿る者からは同類の気配みたいなものがあるんだ。例えるならそうだな……。ほら、浮気されるとさ、何となく勘付くじゃん? あ、コイツ他の男と一緒に居たな……って。そんな感じの感覚が花良木からは感じない」
「はぁ? そもそも私誰ともお付き合いしたことないんですが。煽ってます?」
「……ふむ。成程」
必要のある会話と見せかけて、ただ自分の私利私欲を満たす情報を収集する。
兄斗は満足げだ。
「……本当に何もないんですかね?」
まだ四葉は不安げだった。
彼女は自分が数分間意識を失っていたことすら気付いていない。
ただ、一瞬で兄斗が目の前に移動してきたようにしか感じていなかった。
そんな彼女の不安を察し、兄斗はそれを払拭する方法を思案する。
しかし、いくら考えても答えが何もわからないままだった。
*
翌日 セントラル・ストリート
「……またか」
通学中、兄斗は前方に再び『それ』を確認する。
「……………………………………………………」
今度はどうやら学生ではない。
首を九十度に曲げ……以下省略。
学園指定のカジュアルな制服ではなく、私服の女性だ。
――バリアは花良木から『アレ』を退けただけ……。『現象』が起こらなくなったわけじゃないってことか……。
徹頭徹尾兄斗にはこの『現象』が何なのかまるで理解できていない。
それでも冷静さを崩さないのは、彼にとってこの地でそういった理解不能な『現象』が起きることが不思議ではないからだ。
この心霊現象にも近い出来事が、彼……いや、彼らにとっては『日常』だった。
「……………………………………………………」
暫く見ていると、その女性も何事も無かったように歩き出す。
時間にして六分。
兄斗はベンチに座って眺めていたが、彼女が動き出すと呆れるように溜息を吐いた。
――『害』があると言えば時間を取られることだけ……。他には何も無い。
――果たして放っておいていいのか……それともいつか何かが起きるのか……。
――花良木は上に報告したんだろうか……。いや、報告したところで解決方法がわかるならそんな楽な話は無いな……。
すると、また別の人物が『そこ』に立ち止まった。
――ん? やれやれ……今日二度目か。
今度は学生だ。
年はどうやら四十か五十。
女性で指定のカジュアルな制服を着ている。
この学園国家サイバイガルの制服は基本的に年齢別に種類が分けられており、違和感を持つような物ではない。
そして、兄斗はまた別のことに違和感を持った。
「……あれ……?」
その女性は首を曲げない。
口も開かない。
瞳には、全てを包み込むような慈愛の光が灯っていた。
兄斗は思わず彼女に近付いた。
もしかすると彼女は、自分と同じ様に『現象』を自らの力に変えてしまったのかもしれない。
だとすれば、放っておくわけにはいかなかった。
「あの……」
「ん?」
女性はその場で手を合わせていた。
目を瞑り祈る所作をするその前に、兄斗の声を聞いて振り向いた。
「……そこで何を?」
傍から見れば急に立ち止まって祈ろうとしている変人だ。
立ち止まって首を九十度に曲げているだけだと逆に不安で話しかけられないだろうが、今の彼女に話しかける人間なら兄斗以外にいてもおかしくはない。
だから彼女は凛として兄斗に対応する。
「ああ。ただ……少しね」
「?」
「ここからは空もあのシンボルもよく見えるわ」
シンボルとは、中央キャンパス第一号館に取り付けられた巨大なモニュメントにある物だ。
それはこの学園国家サイバイガルのイメージである不死鳥のモニュメント。
その胸に飾られている緋色と藍色が太陰太極図の様に混じり合っている円状のマークこそが、この学園国家サイバイガルのシンボルであり、国旗にも記されている物だった。
「???」
「ごめんなさい。わからないわよね。でも……間違いなくこの辺りなの。ここがもしかしたらこの国の中心なのかもしれない」
「中心……?」
「……だからというわけではないけど……いや、だからともいえるけど……」
「はい?」
「君は何年生?」
「三年です。留年はまだしてません」
「そう。なら知らないか。私はもう十年近くここにいるから……『ここ』で何が起きたか知ってる」
「……何かあったんですか?」
「事件があったの。人が一人……亡くなった」
「え……!?」
「殺人事件。私はその亡くなった人と同じサークルに所属していてね。たった今……ふと思い出した。どうして思い出したのかはわからないけど……手を合わせずにはいられなくなっちゃって」
「殺人事件!? それが……この場所で!?」
「多分この辺り。正直よく知らないけれど……セントラル・ストリートの中心部って聞いていたから……」
兄斗は眉間に皺を寄せて整理する。
――じゃああの『現象』は……その死んだ奴の『呪い』ってことか……?
そういった心霊現象ならとても納得のいく話だ。
道理で説明できない事象であることに違いは無いが、人間なら誰しも一度は想像するようなありふれた怪談噺のような物。
兄斗はそれに確信を持ちつつあった。
「……何で殺人事件が起きたんですか? あ、いや……答えたくない話なら別にいいんですけど……」
「気にしないで。私は本当に同じサークルだったってだけで、今は違うし」
「じゃあもしかして何も知らない?」
女性は小さく首を横に振る。
「何が起きたのかは知ってる。当時ニュースにもなったしね。確か男女間のトラブルだとかで諍いを起こして……それで……遺体は凄惨な状態だったとかで」
「まさか、首が曲がっていたりとか……」
「? さあ……ごめんなさい。そこまで詳しくはニュースになっていなかったから。私も把握してないわ」
「そうですか……」
しかし、兄斗はもうほとんど決めつけていた。
死んだ人間の怨念が、『あの現象』を起こしたのだと。
「……寂しい人だったと聞いたわ」
「? はあ……」
――だとすれば、死して孤独となった怨念が、その寂しさを埋め合わせるために……仲間を作ろうとしていた……?
――それが『現象』の正体なのか?
――『カース』は人の怨念によって創り出されることもあるってことなのか……?
彼なりにもう結論付けようとしていた。
それ以上に出来ることはもう無い。
ただ、まだ少しだけ気になることはある。
「……花良木の時は少し長かった。どうしてアイツだけ長かったんだ?」
「? 何の話?」
「アイツが特別孤独を埋め合わせられる存在だったのか? だとしたらアイツは……」
「?」
いつの間にか独り言として口に出していた。
兄斗は彼女の身を再び案じ始める。
しかし、それ以降同じ『現象』が彼女の身に起きることは二度と無かった。
それでも『ここ』に足を踏み入れたら、誰もがほんの僅かな時間その『現象』を起こしてしまう。
兄斗も四葉もそのタイル二枚分の広さの場所に足を踏み入れないようにこれから生活することになるのだが、他の全ての人間がそうなるわけではない。
今日も、明日も、明後日も、また誰かがこの場で立ち止まり、首を九十度に曲げる。
まるで呪いを受けるかのように。
まるで仲間に誘われるかのように。
「……………………………………………………」
そして、兄斗はもうその『現象』を起こす人を見ても何も感じなくなっていた。
まるで、それが日常であるかのように。
まるで、既に彼自身が呪われているかのように――。
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