二週間後 寺子スタジアム


 そして時は今に至る。

 観客たちを魅了した豪速球を武器に、レイゼン・ルースがけん引する野球部は決勝に勝ち上がった。

 予選の成績で十チームの中から一位と二位はシード権が与えられた為、野球部は決勝トーナメントの二試合目から始まった。

 二試合目の成績でさらにシード権を手に入れると、残る二チームが行う準決勝で勝ち上がった方のチームとの決勝戦が始まる。

 そして、決勝戦で野球部と戦うことになったチームは――。


『さあ! とうとう決勝戦にまで勝ち上がりました! 君口兄斗氏が率いるチーム【青春レイド】! 野球部もとい寺子プロフェッサーズを下すことが出来るのか!?』


 実況の声は兄斗たちグラウンドレベルの選手には聞こえない。

 ネット配信にてこの試合と実況は世界中に流れているが、見るのは基本的に身内のサイバイガルの学生だけだ。

 だが、熱狂的な寺子プロフェッサーズファンはこの配信を……いやこの試合を胸躍らせて観戦しているだろう。

 弱小チームとはいえ、『170km/h』を放るエースピッチャーの登板をファンが見逃すとは考えにくい。

 誰もがこの球技大会をお遊びと見て、野球部の勝利だけを確信していた。

 ……兄斗たちが現れるまでは。


「……お前が君口兄斗か」


 兄斗よりも十センチほど背が高い。

 レイゼンは威圧するような目で彼を見下ろした。


「そういう貴方がレイゼン・ルース? ……なーんて。もちろんわが校のスターの顔は知ってますよ。三回留年してるけど、ここでの生活費は年俸で賄っているんですよね? いやぁ面白いなぁ。学生をやりながらプロ野球選手なんて」

「……チームとの契約があるだけだ。学生でないと寺子プロフェッサーズにはいられない」

「ええ知ってますよ。だから他のチームメイトはみんな授業料も年俸から引かれるわけだ。いやぁ特待枠で授業料免除のレイゼンさんが、みんなにどう思われてるのか気になりますね」

「……お前……」


 煽りはちょっとした試合前のジャブのつもりだったが、かなりレイゼンには効いていた。

 そして、彼は兄斗と同じチームにいるアンナの方に視線を向けた。


「アンナ……お前まで何のつもりだよ」

「? 学生としてただ参加しただけよ。でも……正直貴方がだなんて知りたくなかったかも」

「……ッ」


 小さく舌打ちをするが、兄斗にはその理由がわからない。

 そして、試合はすぐに始まった。


「旦那様ぁ! この試合も頑張ってくださいね!」

「……よし、さっさと守備に入るぞ」


 金髪で人形のようなあどけなさの残る少女の鼓舞を無視し、兄斗はベンチの他三人に声を掛ける。


「ああ! 無視でも構いません! 素敵です旦那様! 無駄な体力を消費しない判断! 流石は世界一優秀な雄様です! たまんねぇ……」

「……しかし何なんだコイツは」


 上柴はグローブを付けながら困惑していた。

 未だに彼はその『彼女』についての説明を受けていなかった。

 一方、アンナは何となく考えた予想を伝える。


「きっと兄斗君の彼女さんね。もしくは許嫁? 『旦那様』って言ってるし」

「いや違いますからね!? コイツは他人です! 僕もよく知りません!」

「えぇ……」


 上柴は全力否定する兄斗に呆れ果てた。

 彼が今まで説明してこなかったのは、どうやら彼自身も『彼女』のことをあまり知らなかったかららしい。


「はい! わたくしことツァリィ・メリックは旦那様とは全くの赤の他人です! そう! ……今は、な」

「これからもだよ!」

「さーしまっていきましょう!」


 流れを全て無視して、いの一番に四葉はグラウンドに向かう。

 彼女は兄斗のことを慕う彼女に全く興味を持っていなかった。

 そのことが、兄斗の恋心を更に抉り傷つける。


 ――クソ……勝って花良木に良いとこ見せてやる……!


 それが同時にツァリィにも良い所を見せることになるというのに、彼は気付いていなかった。


     *


『さあ始まりました。先攻は野球部! ホーム試合を先攻で戦う機会は滅多に無いことでしょう! 果たしてこれが吉と出るか凶と出るか! いや! そもそも彼からヒットを出すことが出来るのかぁ!? 青春レイドのエースは当然キャプテンの君口兄斗! 彼はここまでの全試合をノーヒットノーランで抑えてきているぞぉ!』


 そんな実況をスマホの配信画面で見ていた野球部側のベンチはどよめく。


「マジ……? 何モンなんだアイツ……」


 選手の一人がそう言うと、同じチームの老け顔の男が口を開いた。


「見てないのか? アイツは……レイゼンと同じ狂信者ファナティクスだ」

「え!?」

「まあ見てろ」


 そう言ってグラウンドに目を向けさせる。

 すると、丁度兄斗が一球目を放るところだった。



 カキィィィン



 呆気なく、彼の球は初球を一番バッターに叩かれた。


「ふん」


 その時、彼の右目から『リフレクション』が飛び出す。

 兄斗は反動を受けて右目を抑えるが、余った左手で一気に大きくなったその六角形のバリアを薙ぎ払う。

 薙ぎ払われたバリアは超速度で打球方向に飛んでいく。

 人の目で捉えきれないほどの速さだ。


「え……」


 野球部ベンチが驚くのも無理はない。



 カァァァン



 物凄い勢いで追いついたバリアが、打球に激突した。

 打球は弾かれて力を失い、ゆっくりと地面に落下する。

 フェンス越えが明らかだったはずが、ただの外野フライに成り下がる。


「……と」


 外野にはアンナが一人だけいた。

 今のはたまたまセンター方向だったため、彼女はほとんど動かずに難なく球を捕球した。

 では、もっと空いている場所に飛んでいれば話は違ったのか。

 いや、そうではないと、もう野球部ベンチは気付いていた。

 あのバリアを使えば自在に打球を操ることが出来る。

 まず勢いを殺し、何度もぶつかることで好きな方向に球を飛ばして野手の下へ運ぶ。

 野手はただ勢いの死んだフライボールを捕球すればいいだけ。

 ヒットなど、出せるとは思えなかった。


「……えぇ……」

「アレが奴のカース……『リフレクション』。自由自在に動かせるバリアで、何でもかんでも弾くってわけだ」


 老け顔の男は既にプロテクターの準備をしていた。

 どうやら彼はキャッチャーらしく、このイニングは自分に打順が回ってこないと判断したのだろう。


「クソ! 何だよそれ!」


 二番バッターは歯をギリギリと噛み締めながらバッターボックスに入る。

 兄斗は涼しい顔だ。

 そして、二球目を放る。



 キィィン



 これはライナー性のファール。

 が、しかし、そうはならないのだ。



 カァァァァン



「はぁぁぁ!?」


 わざわざファールゾーンまでお迎えが来る。

 バリアは二度打球に触れて内野まで球を戻す。

 そして、今度は四葉が悠々とそれを捕球した。


「よっと」


 二番バッターはバットを叩きつけた。


「いやいやいや! そんなのズルじゃねぇか!」

「何が?」


 兄斗はあっけらかんととしている。


「そんなことしたら何でもありじゃねぇか!」

「は? 僕らは野球規則に乗っ取ってプレーしてるんだけど? 『カース』を使ってはいけないなんてルールあったっけ? ねぇ! レイゼンさん!」

「てめぇ……」


 チームメイトの名前を出されたら二番バッターの男は何も言えない。

 引き下がることしか出来なかった。

 それを見て四葉はほくそ笑む。


 ――フフ……完全に嵌まってますね。野球部も他のチームと同じ……。

 ――この二週間……私とツァリィさんとアンナさんはフライアウトの練習だけを必死にしてきました。

 ――全体的な能力は貴方達の方が遥かに上でしょうが、フライアウトを取る自信と、その場数だけは最底辺手に入れてきたんです!


「…………」


 レイゼンは眉間に皺を寄せながら続く三番バッターがバッターボックスに入るところを見つめていた。

 三番バッターは、ヒットもファールも無駄ならと考え、今度はバントを仕掛けようとしてきた。


「無駄ですよ」


 四葉は笑みを見せながら兄斗の投球を見守る。



 コン……カァァァァァァァン 



「ぐ……クソォ!」


 バントによって地面に叩きつけられるはずの打球は、瞬時にやって来たバリアによってフライに変えられる。

 そして、そのままあっさりと兄斗のミットに収まった。


「スリーアウト! チェンジ!」



 これが、兄斗たちの戦い方。

 兄斗のバリアで全ての打球をフライに変える。

 これは人間の力では最早どうしようもない。

 つまり、全試合ノーヒットが確定しているのだ。


「あんなのどうすれば……」


 野球部ベンチの一人の選手はそう言いながら、守備に付くためにグローブを手に取る。


「攻略法はある」

「「「!?」」」


 監督である高年の男性の声に、皆が振り返った。


「な、何ですか監督!」

「どうやら彼らは、この球技大会に際して全員一つのことだけを、必死に練習してきたらしい」

「一つのこと?」


 監督の男は目を細めながら続けた。


「ショートとセカンド、それにセンターの位置にいる女子三人はフライの練習をみっちりやってきたんだろう。どんな打球もバリアで操ればただのフライに出来るからな。そしてキャッチャーの男は真っ直ぐ来た球を捕球する練習だけやってきたに違いない。それだけでいい。何故なら、ピッチャーの君口がど真ん中真っ直ぐに緩い球を投げてくるだけだからだ」

「そ、そうか……向こうはこっちがいくら打ってもファールですらアウトに出来るから……ゲロ甘ボールを続けるだけでいい……」

「君口は恐らくその真っ直ぐだけを練習してきたのだろう。ど真ん中に緩い球を投げるだけなら……まあ、素人にあの距離を投げ切るのは難しいだろうが、十代の男子なら一、二週間で形には出来る」


 それを聞いて選手たちの大半は肩を落とす。

 つまり、あの五人はこの球技大会を本気で勝ち進むためだけの用意をしてきたのだ。

 普段公式戦をしていて、お遊びで球技大会の二日間を浪費しに来た自分達とは違う。

 もちろん大会の盛り上げ役を務めるレイゼンと、バッテリーを組むキャッチャー以外は一軍のメンバーですらない。

 いや、一軍のメンバーでも勝つことは出来ないだろう。

 皆がこの大会をお遊びとしか見ていなかったため、兄斗たちは誰の非難も受けずにこの突飛な確定勝利の方程式を扱えるのだ。

 敗北は始まる前から決まっていたのではないかと思い込んだ。

 お遊びだとしても、『敗北』という二文字は選手たちの気を削ぐ。


「……お前ら何をやる気なくしているんだ? やるからには最後まで勝つ気でやれ。こっちにも勝機はある」


 監督のその言葉を受け、選手たちは目を見開いた。

 もっとも、レイゼンとキャッチャーの男は初めから監督と同じことを考えていたのだが。


「今言ったように……彼らはこの大会のために必死で『付け焼刃』を磨いてきたんだ。彼らのやり方なら捕球はあまり疲労しないが、ピッチングは違う。付け焼刃のコントロールが永遠に続くことはない。『押し出し』という可能性は……あり得なくはない」


 選手たちはハッとした。

 確かに兄斗がストライクゾーンにボールを投げられないほどに疲労すればこちらにも勝ち目はある。

 ストライクゾーンを外れたボールが四回で四球一つ、四球が四回続けば、押し出しという形で点が入る。


「素人なら、あの距離を投げるのは一球一球に全力を懸けないと不可能だ。遅くても五十球でコントロールが厳しくなるはず。こちらがこの先一球もバットを振らなければ……七回には限界が来てもおかしくない。そして何より……こっちも点は取られない。そうだろ? レイゼン」


 それを受け、レイゼンはベンチから足を出した。


「……はい」


     *


 兄斗たち青春レイドの一番バッターは四葉だ。

 本人は三番希望だったが、実は彼女がチームの中で最も身体能力が高い。

 当然一番打てる可能性がある彼女に一番打席を与えるのだ。


「そりゃあ! さあさあかかってきてください!」


 四葉はバットを掲げて些細な挑発をしてみせる。

 だが、ピッチャーのレイゼンは表情を変えない。

 野球部の監督は彼のことを全く心配していなかった。


「バットに当たりさえすればバリアでフェアゾーンに飛ばせる。そうしてここまで来たんだろうが……うちのレイゼンにその手は効かないぞ」



 ゴォォォォォォォォォォ



「………………え?」



 バッシィィィィン



「ストライク!」


 四葉は息を飲んだ。

 電光掲示板にはやはり『170km/h』と表示されている。

 彼の豪速球に、全く反応できなかった。


 ――嘘……。

 ――映像で見た時も速いと思ったけど……これって『速い』とかそういう問題じゃ……。


 そして二球目。

 今度は四葉も彼の投げるタイミングに合わせてバットを振る。

 しかし、投球フォームに合わせても球の速度に合わせなければ当然それは空を切るだけだ。


「ストライクツー!」


 コテンとこけてしまった。

 四葉は驚愕で冷や汗を流している。


 ――いやいやいやいや……こんなの……。


 三球目。

 今度は何とかしてバットに当てるためバントの体勢を取る。

 が――。


「ひっ」



 バッシィィィン



「ストラーイク! バッターアウト!」


 つい、向かってくる球を恐れてバットを引いてしまった。

 それも当然。

 プロの速球を前にすれば、バッターボックスで立つことすら普通は困難だ。

 そしてそのプロの球をも超える異常な速さの球。

 間違いなく当たったら無事では済まないそんな球を前に、『バットに当てる』などという無理難題を達成できるはずがない。


「……素人があんな球にバットを当てることなんて出来るはずがない。もし仮に運よく当てても、たいして鍛えていない体でその威力を腕に浴びたら……。いや、そうなっても責任は取らんからな」


 野球部の監督はこの学園の『スポーツ学』という授業を受け持つ講師でもあった。

 学生に怪我を負わせるのは本意ではないが、こと勝負事に限っては手加減できるタイプでもなかった。

 四葉はトボトボとベンチに戻る。


「いやぁ……あんなの無理ですよ。どうやってバットに当てるんですか。というか『速い』とかそういう問題じゃないですってアレ」


 大きく溜息を吐いた。

 すると、アンナが無表情のまま口を開く。


「彼の『カース』は……『再現性』の能力。それも、彼自身と彼の触れた物を、『ベスト』な状態で再現するっていう力」

「どういうことだ?」


 何も聞かされていない上柴が尋ねる。


「要するに……彼が手から離したその瞬間の『初速』が、彼の触れていたボールには延々と再現され続けるということよ」

「『初速』?」

「どうやらその初速が『170km/h』らしいわね。彼が触れていたボールの球速や回転速度は、常にベストな状態を再現し続ける。常に回転速度が最高の状態を再現し続けるならば、ボールの回転数は尋常じゃないほど多くなる。そして、普通は回転数が多くなるほどエネルギーが消費されて終速は遅くなる。つまり、この世で初速と終速が変わらないのに莫大な回転数を誇る球を投げられるのは……彼以外に存在しない」


 上柴は唖然とする。


「……済まん。全くわからん」

「……実際に見た方が早いわ。きっと、見たことがない『物体』を目にすることになる」


 上柴は二番バッターだった。

 そして、彼はすぐに理解することになる。

 レイゼン・ルースの球に備わった、球速とは別の『もう一つ』の脅威を。


     *


「……イカレてる」


 そうして戻ってきた上柴は、開口一番愚痴を述べた。


「ありゃ人間の投げる球じゃない。アイツの手から離れた瞬間、その位置から上下左右全く変化せずに俺の手元にご到着してる。瞬間移動と何も変わらないぜ?」

「全てが再現されているもの。彼はここから先毎度同じフォームで、全く軌道の変わらないボールを投げ続けられる」

「……いや、それは違いますよ。アンナさん」


 そう言って足を動かし始めるのは兄斗。

 次の打順は彼だった。


「『違う』ってどういうこと?」

「……いや。やっぱり何でもないです」


 兄斗は違和感を抱いたままバッターボックスに向かう。

 違和感が疑念に変わるかどうかを確かめるためだ。


 ――……上柴は怖いもの知らず。


 もし全く同じ軌道で同じコースにボールが来るとわかっていれば、四葉のように腰を引かずにバントで掠らせることくらいは出来る。

 しかし、それは上手くいかなかった。

 理由は単純。

 ボールが『別のコース』に投じられたからだ。

 まだ彼の能力をよくわかっていない上柴は特に考えることなく、きっともう明日の講義のことや夕飯のことで脳内を埋め尽くしているに違いない。

 これが何かを賭けている勝負なら彼も兄斗と同じことに気付いていただろう。

 レイゼン・ルースに関する、一つの嘘を――。

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