1
セントラル・ストリート
学園国家サイバイガル。
そこは史上最小の国家にして史上最高の教育機関。
一都市の広さを誇るキャンパスへと繋がるセントラル・ストリートでは、今日も学生たちが漫歩する。
三年目の学生・
いや、正確には道行く者ではない。
道に『立ち止まる』者だ。
「……………………………………………………」
その学生は何も言わない。
ただ首を、九十度に曲げたまま正面を見続けている。
兄斗からは見づらいが、瞬きをしているのかどうも把握できない。
口は半開きで、まるで魂が抜けているかのような……。
――……またか。
兄斗は心中で溜息を吐いた。
目の前にいる学生はまだ立ち止まっている。
何を見ているのか、何故首を九十度に曲げているのか、まるで理解できない。
――何でだ?
――何で誰も『アレ』を不思議に思わない?
――いや……不思議に思っても、自分には関係ないと思っているのか?
首を曲げたまま立ち止まる学生に、誰も目を向けず声も掛けない。
声を掛けないのは兄斗も同様だ。
ハッキリ言って、異様な雰囲気のその学生に気軽に声を掛けられるほど、兄斗はコミュニケーション能力に自信がなかった。
「…………………………………………………」
その時、突然抜けていた魂が戻ったかのようにその学生の瞳に光が戻った。
学生は何事も無かったかのように首を元の状態に戻し、半開きの口も戻して歩き出した。
その学生が立ち止まっていた時間は――計五分間だった。
――……やっぱり何でもないか。でも……気のせいなのか?
兄斗の脳裏には首を九十度曲げ、瞳から光を失い、口を半開きにした今の男子学生の顔が焼き付かれた。
まるで精神に異常をきたしてしまったかのような状態だ。
明らかに正常ではない。
正常ではないはずなのだ。
しかし一瞬で正常に戻ったのも確かだ。
兄斗には今の学生の身に一体何が起きたのかわからない。
だが、こうした『理解不能』な出来事が起こることにはいささかの疑問も湧かない。
兄斗にはわかっていた。
この『学園国家サイバイガル』という場所には、理解も常識も及ばない、『何か』があるということを――。
「わ!」
「うおぅ!?」
兄斗がベンチに座りながら先程の出来事について考えていると、背中から一人の女子が声を掛けてきた。
というよりは、驚かせにきた。
「は……
「あはは。どうしたんですか先輩、意味深な顔して。アレですか? やらしいこと考えてましたか?」
「な!? い、いや……そういうわけでは……」
兄斗は顔を真っ赤にしながら目を逸らす。
ベンチの背後にいるその少女は、兄斗が目を合わせることすら憚るような美少女だった。
……という風に、兄斗には見えていた。
彼女の名は
年下の後輩であり、兄斗の想い人だった。
「じゃあ何を考えていたんですか? 私には教えてくれますよね? 私は先輩の『監視役』なんですから」
「……いや、内緒」
「はぁ? おーしーえーてーくーだーさーいー」
四葉は後ろから兄斗の肩をぐわんぐわんと揺らす。
「や、ちょ、やめ、止めて、止めて!」
言われて仕方なさげにパッと手を離す。
兄斗は溜息を吐くが、四葉に触れられて嫌な気はしていなかった。
「はぁ……確かに僕は花良木の監視を受けることになったけど、だからって考え事を全部話さなければならない理由は無いよ」
「まあ確かに。でも先輩、一限をサボるのは良くないですね」
「今日は二限から。花良木たち一年と違って、三年生は一限が必修科目じゃないの」
「ああそうなんですか? 先輩が三年だったとは……。三年……『三』……素敵ですね……」
「え?」
「私は『三』という数字が好きです。この世界は三次元。太陽系の第三惑星は地球。光と色の三原色、物質の三態、三種の神器、三大栄養素、三大洋、それに三位一体。『三』という数字は、この世界の至る所に存在する素敵で美しい数字です。だから私は『三』が好きなんです。私にとってのラッキーナンバーとでも言いましょうか?」
「……あ、そう」
一瞬自分のことを『素敵』と言われたのかと期待した兄斗は肩を竦めた。
そしてゆっくりと立ち上がる。
「どこ行くんですか?」
「中央食堂。朝ご飯がまだなんだ。……そうだ。その……。は、花良木も一緒にどうかな?」
「いえ。私はもう既に済ましていますので。悪しからず」
「……ああ、そう」
竦めた肩は戻らないまま、兄斗は歩き出す。
監視とはいえ、四葉は四六時中兄斗の傍にいなければならないわけではない。
ただ位置情報は把握されているので、気を落としたからといって他の場所に向かうわけにはいかない。
そんなことをして四葉に迷惑を掛けるような真似は、彼には出来なかった。
*
中央食堂
この学園国家サイバイガルには大きく分けて五つのキャンパスがある。
東西南北に中央部を加えた五ヶ所だ。
同様に広大な大衆食堂も五ヶ所に存在している。
もちろんそれ以外にも国民兼学生が営む飲食店はいくらでもあるが、食堂は国家が営む公的施設。
他の飲食店とは違って、安心安全かつ何より安いという利点が存在していた。
故に、兄斗は頻繁にこの食堂を利用する。
「相変わらず友達いないんだな。君口」
調子の良い声を出しながら近付いてくるのは、スパイキーヘアの青年。
「……
「いやぁ悪かったよ。言い方が悪かった。相変わらず友達がいないんだな。俺以外」
――あまり変わってないけど……。
それでも面と向かって自分が友人であると言われると嬉しくなるのが、兄斗の御しやすいところだった。
既に彼は何も気にしていない。
「上柴さん!」
上柴が兄斗の向かいの席に座った直後、兄斗の知らぬ人間が何人か現れる。
「ん? 何だよお前ら……」
「上柴さぁん。助けて下さいよぉ」
「レポートで躓いているんですぅ」
「先輩だけが頼りなんすよ!」
数人の男女が上柴を囲む。
兄斗は何が何だかわからないのでそのまま食事を続けた。
朝食はフレンチトースト。それにミルクを添えたコーヒーだ。
「あー……わかったわかった。まず飯を食わせてくれ。後で話聞くからさ」
「マジっすか!?」
「流石上柴さん!」
「いよ! 六年生!」
上柴は呆れながら男女数人を追い払った。
彼らが去るとようやく兄斗は話しかけられる。
「流石に六年生は人望が違うな。いやはや頭が上がらないよ」
「何意味わかんねぇこと言ってんだよ。ったく……」
兄斗と上柴は同い年だが、学年は違う。
兄斗よりも上柴の方がここでは先輩だった。
「……老若男女出身経歴関係なく、あらゆる国からこの学園に人が集まる。入るのは簡単だが、卒業は恐ろしく難しい。そんな学園国家サイバイガルで『六年生』にまで進級出来た上柴は、そりゃあ頼れる兄貴分だろうね」
「よく言うぜ。俺もう二回留年してんだが。いつになったら卒業できるんだか……」
「そもそも僕よりも五年早くここに入学したんだ。たったの二回しか留年せずに最終学年まで進級出来てるんだから、同い年の僕としては尊敬しか出来ないよ」
素直に褒められて、上柴はきまりが悪そうに頬を掻いた。
「……んでも『授業料』って対価は減る一方だ。俺も今年か来年卒業できなかったら国に帰ることになる。お前だってそうだろ? 俺達は大概期待されてこの国に来てるわけだ。期待を裏切ったら家族に申し訳が立たねぇよ」
「……あー……そのことなんだけど……」
「ん?」
兄斗は少し申し訳なさそうに目を逸らす。
そして、上柴の知らない自分の『事情』を説明した。
*
「はぁぁぁぁ!? 特待枠ぅぅぅ!?」
上柴は箸を止めてしまった。
「……まあその……ほら、例の『アレ』がバレてさぁ……」
「知ってるよ! 『超能力』だろ? 確かに前例通りならこの国から暫く出られなくなる決まりだけど……授業料免除ってマジか!? 今までの連中もそうだったのか!? クソッ! 羨ましい……!」
「……僕はともかく、好きで『力』を持ったわけじゃない人もいるだろうし、そういうことは大っぴらに言うもんじゃないよ」
「……そうだな。でも……ああ、そうか。そうだよな。逆に言えば、超能力が使えなくなるまでこの国から出られないんだもんな」
「うん。特別監視対象だよ。言い方を変えるなら……危険人物かな」
上柴は頭を掻きながら先程の台詞に罪悪感を持った。
「……それじゃお前、国に帰れないのか? 親御さんにも会えないって……」
「まあ、向こうから来てもらえはするよ。まだこの国は『カース』の存在を他国に隠し続けている。今までもそうやってきたし、それで誰も不幸にならなかったから」
「……まあ、そもそもサイバイガルの誰もその正体を掴めてないわけだしな。俺はただの超常現象……それを使える奴はただの超能力者だと思ってるが」
「『ただの』って言い方はちょっと違うだろうけど、まあそんな感じだろうね。とにかく僕はこの『力』が体から離れるまでこの学園国家サイバイガルから出られない。家族や国には僕が『特待枠』になったためと伝えられるだけだけどね」
「……よくもまぁそんな嘘が吐けるもんだ」
兄斗も同意見だが、この史上最高の教育機関に授業料免除で通えるメリットは大きい。
上の決定に逆らう気はなかった。
「嘘を吐くのは僕も一緒さ。授業料免除は美味しい。『力』も便利に扱えてる。僕に対しては上柴も愚痴を溢していいと思うよ」
「……でも『監視』はいるんだろ?」
「ああ、それは……」
兄斗は少し笑みを溢した。
彼の『監視』を務めるのは、彼の想い人である少女だった。
彼女との時間が増える以上、彼にとって何の不都合も無い。
「……むしろ感謝したいと思ってるよ」
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