10月22日 氷点下の蛍火
「よー蔵人、五分前行動たぁ感心感し……そのツラどうしたんだ? 酔っ払い運転の原チャリにでもハね飛ばされたか?」
「気にするな。市松人形の祟りだ」
「ほーん。えらく物理的なタタリもあったもんだな」
昨日の約束を果たすべく、昼下がりにギルボア北区三番通りの噴水広場を訪れた蔵人。
いつものベンチで長い脚を組んで座り、掌上にて懐中時計を弄んでいた蛍からの問いに憮然と答え、察したのか天然なのか判別し辛い返しを受ける。
「(拳の骨をメリケンサック代わりにするとは……殴った張本人から治療を受けられなければ、今頃は豆腐も噛めなくなってたところだ)」
頬に浮かび上がる色濃いアザ。下手人は竜宮
空手二段の蔵人を優に凌ぐ、全候補者六十四人の中でも随一の格闘技術の持ち主。更には自身の骨が魔法の触媒となるため、多少工夫すれば拳打蹴撃による攻撃が可能という稀有な特性も合わさり、積み上げた研鑽がそのまま白兵戦の能力に直結している手練れ。
「(右目と右腕のハンデを差っ引いても、単純な殴り合いじゃ逆立ちしたって勝てそうにないな。白兵戦に限って言えば、恐らく
生体は魔力を斥けるが、部位によって幾らかの差異があり、骨は比較的浸透しやすい。
似た系統である肉魔法と比較すれば破壊力こそ劣るものの、細かい出力調整などで融通を利かせられる、小回りと応用性に秀でた術式。
身体能力が据え置きな点も、考え方次第ではむしろ長所。
少なくとも武芸者の類にとっては、肉魔法よりも骨魔法の方が適している。
何故なら、空手だろうとボクシングだろうと、あらゆる『武』は尋常な人間の規格に沿って体系化された技術。
人外の領域に達したアンバランスな膂力など、修めた技を昇華させるどころか、むしろ律動を崩す枷になりかねないのだから。
「(二回戦で
大和撫子然とした清楚な容姿に反し、口より先に手が出るタイプの荒っぽい気性。
およそ話し合いでの和解などとは無縁な人品というのが、蔵人の
実際に概ね的を射た見解で、そこに敢えて注釈を付け加えるならば、惺に対してだけは露骨なほど従順であるということ。
先日、思い立ったその足で蔵人がイベリスまで赴いた際も、惺の制止があったからこそ一打で拳を収めた上、極めて不承不承ながらも砕いた顎骨の接合と整形まで行った。
尚、施術の際に殴られた時以上の激痛が伴ったのは、魔法で無理やり外傷を治す行為に必ずついて回る副作用が半分、敢えて粗く治療した
「(骨魔法の使い手が骨抜きにされる、か。なんとも笑える話だな)」
蘇る痛みの記憶と併せて蔵人が思い返すのは、挨拶もそこそこ、諸々の謝罪を伝えるべく土下座した自分を罵るどころか、大慌てで頭を上げるよう頼み込む惺の困り顔。
「(……あんな底抜けのお人好し、世界中探しても父さん母さんくらいだと思ってた)」
蔵人の胸奥と脳髄を這う、形容の難しい情動。
暫し目を伏せた後、曖昧な表情を浮かばせると共に、かぶりを振る。
そんな玄人の様子を見とめた蛍が、またも怪訝そうに眉をひそめるのだった。
「ご要望の品だ」
ここまで来る道すがら、近くの店で買っておいたものを差し出す蔵人。
それ──ワッフルコーンに乗った大玉のアイスクリームを目にした蛍は、ぱぁっと表情を華やがせ、万一にも落とさぬよう両手で受け取り、勢い良くかぶりついた。
「はぐっ! はぐはぐ、はぐっ!」
「(食い方が四歳児並み……なんて行儀の悪い……)」
真っ白なクリームを口元に塗りたくり、あっという間に半分近く平らげる。
そしてアイスクリーム頭痛を起こし、苦しげに呻き始めた。
「ッ、うぐぉ、あだだだだだ……!!」
「(だいぶ本能で生きてるな、こいつ)」
しばらく身悶えた後、口を拭きながら涙目で空を仰ぎ、ひと息挟む蛍。
同じ轍を踏むのは流石に御免こうむるのか、今度はちろちろ舐め始めた。
「んー。ちょいとばかり大味だが、甘くて冷てぇ。上等上等」
多少の不満を並べつつも、舌へと染みる甘さに機嫌良く口の端を吊り上げる。
「ソーシュがくれる金だけじゃ毎日アイスは食えねーんだよな。ふざけやがれ、なんであんな高けーんだクソッタレが」
「電気どころか蒸気機関すら存在しないこの世界の文明レベルでは、どうしたって安価での提供が難しい代物だからな」
当然、冷凍機など出回っておらず、食料を氷点下まで冷やす手段は限られる上に結構な労力を要するため、必然的に氷菓子は値が張る。
「それに砂糖も、ここじゃ高級品の部類だ」
「そーなんだよ! そのせいで菓子類全般やべーんだよ! ボリ過ぎだっつーの!」
蔵人も一度試したが、サトウキビは薔薇の数倍は魔力との相性が悪く、花魔法で強引に成長させようものなら育ちきる前に枯れてしまい、加工どころか収穫を行う暇すら無い。
根本的な品種改良となれば、更に難易度は跳ね上がる。以前マリアリィが上手く行かないと愚痴っていたのも頷ける話だった。
「ったくよー。アタシの魔法は商売なんかにゃ使えねーし、困ったもんだ」
そうした背景も合わさり、初戦の件で頭を下げに来た蔵人に対し、向こう一週間アイスを奢るなら許してやると条件を突き付けた蛍。
かつてルカに内心を暴かれた通り、本当は根に持ってなどいないのだが、あっさり謝罪を受け容れて安く見られるのも面白くないらしい。
「そこら辺に関しちゃ、お前の魔法は便利そうで羨ましいぜ」
「それなりの制約を背負った上で成立させているチカラなんだ。戦闘能力が劣る分、他で秀でていなければ詐欺だろう」
そう言って蔵人は足元に何かの種を蒔き、傍らに立て掛けた
瞬く間に芽吹き、しゅるしゅると伸びて行く茎の先端に、赤く熟れた苺が実った。
「……これも食べるか?」
「食べる! 甘めぇ! 美味ぇ!」
ほぼノータイムで頬張る蛍。
彼女がリンボで受けた責め苦を鑑みれば、そうそう口にしたいものではない筈だが、全く気にしていない模様。
大物なのか、或いは単純に考えが足りていないだけなのか。
恐らく後者だと思いながら蔵人は肩をすくめ、自身もひとつ苺をもぎ、口へと運び──眉間にシワを寄せた。
「(熟れさせ過ぎた。甘ったるい)」
ひとしきり食べ終えた蛍が空手になった頃合、腰を上げた蔵人。
そのまま足を運んだのは、北区の大通りが交差する中心街に店を構えた焼き菓子屋。
「いらっしゃ──ああ、カイン様! それにホタル様も! ちょうど出来上がったところですよ、少々お待ちを!」
ドアベルの音で振り返った店主が愛想良く笑い、小洒落た紙包をカウンターに乗せる。
アイスと同様、蛍を訪ねる道中で立ち寄り、先に注文だけ済ませておいたのだ。
中身はマカロン。それも
菓子に於いては最も高価な部類。一個で先程のアイスクリームが二杯は買える品。
「ここのスコーンにジャム乗せると美味いよな。茶請けでも買いに来たのか?」
「ルカへの土産だ」
「へ?」
およそ想像もしていなかった名が蔵人の口を突いたことで、蛍の思考が暫し止まる。
「昨日から俺の家に居る。まあ、ほぼ一日中眠ったままなんだが……寝覚めに甘い物をとでも思ってな」
レティシアは良い顔をしなかったが、と言葉尻に添えたあたりで再起動する蛍。
思いっきり渋面を作りつつ、胡乱げな眼差しを蔵人へと向けた。
「……アレを連れ込むとか女のシュミどーなってんだ。ロリコンかよ、きめぇ」
「とんだ邪推だ。別に他意は無い」
それに、と一拍置いて、蔵人が口舌を続ける。
「ロリコン呼ばわりされるほど、ルカと歳は離れていない」
「あぁん? あのチビ十五だろ? 片手分も離れてりゃ、じゅーぶん犯罪──」
「俺は十八だ」
「────はァ!?」
今日一番驚いたとばかりに目を剥く蛍。
なんなら話を聞いていた店主も、仰天を露わに固まった。
「じゅーはち!? 十代!? アタシとタメぐらいじゃなくて!?」
「お前の歳など知らんが、そうだ」
鷹揚と返される肯定。
疑いもせず同年代、ややもすれば歳上だと決めてかかっていた蛍は、まじまじ蔵人の顔を見つめ、右に左にと首を捻る。
「言われてみりゃ確かにそんくらいな気が……つーかアレだ、いつも景気悪りぃ面で眉間にシワなんぞ寄せてっから老けて見られんだよ。もっと年相応にヘラヘラしやがれ」
「鏡を覗いたことが無いみたいだな。三件隣の店で手頃なものが売っているぞ」
「どーゆー意味だゴルァ!! 燃やされてーのか!?」
アックスピストルの銃口を突きつけ、野犬の如く唸る蛍。
が、引鉄に指をかけておらず、撃つ気が無いと明白ゆえ、蔵人は眉ひとつ動かさない。
そもそも、表面的な言動に反し、内側は案外と繊細かつ小心者。
「……お前、三つも歳下だったんだな」
やはり脅し、延いては不機嫌を示すポーズに過ぎなかったらしく、下ろされる銃口。
「特別にアタシを『お姉ちゃん』と呼ばせてやろうか? どうしてもって言うなら名誉弟のポストもオマケしてやるぜ、光栄だろ?」
次いで向けられのは、そんな突拍子も無い提案。
たっぷり数秒、困惑に言葉を失った蔵人。
一度目を閉じて深々と溜息を吐き出した後、再び蛍と視線を重ね──問う。
「馬鹿なのか?」
「誰が馬鹿だ! マジで燃やすぞ、てめぇ!」
十万楽土の花魔法使い 竜胆マサタカ @masataka1201
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