【短編完結】六月六日、再出発

水無月彩椰@BWW書籍販売中

そんな或る日の放課後


「ねえ夏目っ、おやつ、欲しくない……?」



 幼馴染の瑞原ましろは僕の机に手をついて、やや前のめりになりながらそう告げた。白髪のショートヘアはその動作に揺れて、色素の薄い瞳は、こちらをじっと見つめている。


 一年四組。ホームルームが終わった喧騒のなかで、一直線に男子の席へと女子が向かっていくのは、誰の目にも珍しく見えるものだった。それが容姿端麗な彼女なら、尚更。


 周囲からの視線と自分の緊張を感じながら、ひとまず目の前の来客に向き合う。



「……いや、まぁ。くれる、って言うなら、もらうけど」


「それじゃあ、あのねっ、一緒に謎解きしよう! ……あっ、えっと、副担のゆきちゃん先生に頼まれてね、図書室で本を整理してたら出てきたらしくてね、解いてくれたらお礼におやつくれるって。だから、その……なんというか、他意はない、わけで」



 一方的にベラベラと喋りだしたかと思えば、今度は言葉に詰まったようにどもる。いつもの話し方と明らかに違うことを感じながら、ひとまずそれには触れないでおいた。



「……だからって、なんで今さら、僕に頼むわけ」


「別にそれはー……今はいいじゃん、関係ないじゃん、協力しようよ」



 緊張気味か興奮気味か、ましろは紅潮した顔を寄せてくる。僕は椅子を引いて距離を取りながら、平静を努めて、机のなかにある必要最低限のものを鞄にしまいこんだ。


 ──実のところ最近は、彼女とやや疎遠ぎみになっている。高校進学と相成った数ヶ月前は、なんだかんだお互いに頼っていたのに。だんだんと友達もできてくると、余裕からか、思春期特有の気恥ずかしさからか、幼馴染とはいえ絡むのがはばかられるわけで。


 そんな最中のこの状況だ。気まずさを感じながらも、僕は昔みたく接しようと努める。



「話は別のところで聞くわ」


「あっ、ちょ、待って……!」



 荷物を取りに行こうとして盛大にコケたましろの姿を横目に、さりげなく教室を出た。





「……で?」



 図書室の座席にもたれかかりながら、僕は遅れてきた彼女に問いかける。余裕ぶってはいるものの、内心、ましろと一緒にいるのは緊張した。少し前まではそんなことなかったのに。いつから変わったんだろうな、と思いつつ、バレないように溜息を吐いた。


 何か話をする時は、いつも図書室だった。それは自分が小中とずっと図書委員をやっていたからというわけであり、単に静かで落ち着くからというわけでもある。


 ましろは息を切らしながら硬い動作で腰を下ろすと、その淡い瞳で僕を上目に睨みつけた。さして怖くもないし、言いたいことも分かっているので、それを無視して先を促す。



「コケたのも遅れたのも自分が悪い。で、謎解きがどうした」



 あくまでも淡々と先を促す。自分が緊張していることを悟られないように、ボロの出ない範囲で、なるべく早く終わらせたいんだ。机の影で、汗ばんだ手のひらを拭う。


 ましろは僕から視線を逸らすと、ぶっきらぼうに呟いた。



「……一緒に、解いて、もらいたく」



 落ち着かなそうにもじもじしている。やはり疎遠になったのが効いているんだろうか。


 鞄からペットボトルを取り出して、『飲食禁止』の張り紙を無視して飲む。貸し出しカウンターにいる図書委員の同期が、見て見ぬふりをしつつ作業を進めていた。



「やっとできた友達、いるじゃん」


「だって、高校生で探偵ごっこは恥ずかしいかな、ってなって……。笑われたくないしっ。だから、仕方なく……そう、その、仕方なく、だし……。ゆきちゃん先生のため」


 返答が必死だ。髪を指に巻き付けながら、困ったようにましろは苦笑する。

照れた時とか困った時に髪を触るのは昔からの癖。未だに変わってない。


 ほら、と、長机を挟んで手を伸ばす。催促すると、彼女は制服のポケットから四つ折りのメモ書きを取り出した。妙に緊張しているのか、ましろの手が微かに震えている。


 蛍光灯の白に照らされて、鉛筆で書かれた文字がよく見える。



「『2A5HーE10』……? なにこれ、ガチの暗号じゃん」


「だから、そう言ってる」


「……ヒントも何もないし」


「だから解いてほしいって言ってる。私も分かるわけない」



 気に食わなそうに語気を強めながら、ましろはまた僕を睨みつけた。



「昔はもっと素直だったんにな」



 聞こえない程度に呟いて、紙面に視線を戻す。


 2A5HーE10。……もはやなにかの型番ではなかろうか。取り敢えずスマホを取り出して検索する。大手カメラメーカーのレンズがヒットした。絶対これじゃない。



「夏目って、スマホでもキーボード入力するよね」


「……こっちのほうが早いから。タイピング得意なの知ってるでしょ」


「いや、パソコンの話じゃん。フリック入力のほうが絶対に早いよ」



 変に張り合ってくる。ここに進学してから、お互い少しずつ変わってしまった。意味もなく近場の高校を選んで、小中のノリでなんとなく一緒に進学して、そのまま何事もなく高校生活を送る予定だったのに、友達だの余裕だのができてしまってから、これだ。


 せめて前のように戻れたらいいんだけどな……とか思いつつ、彼女を見る。ちょっとだけ視線が合って、ほぼ同時に逸らした。なんでだろう。恥ずかしい……いや、今更すぎるな。今更、恥ずかしいとか、ありもしないでしょ。たぶん、気まずいんだ。きっとそう。



「あ」



 ふと思い至って、鞄のなかにある筆箱からシャーペンを取り出す。この手の暗号っていうのは、キーボードのかな入力に対応することもあるとかなんとか。知らんけど。


 ひとまず、メモの隅っこに書き出してみる。



「『ふちえくほいぬわ』……? アナグラム……でもないか」


「……これを足すとか引くとかは? 一個前とか一個後とか」


「珍しくいいこと言うじゃん。違うけど」


「えへへ……」



 素直に褒めたのが嬉しかったのか、ましろは分かりやすく目元をほころばせる。それから一気に気を良くしたらしく、ああだこうだとヒントになりそうな提案を言ってくれた。


 ただ決定打になるようなものはなくて、また無言に戻る。誰もいない図書室だからこそ、僕とましろの声はよく響いた。窓から射し込む斜陽が、カーテンに揺らいでいる。少しだけ、元のような雰囲気に戻れた気がして、それが今は、人知れず心地よい。



「分かんない時は、一歩引いて俯瞰して見ること! ……それっぽくない?」


「俯瞰なんて言葉を知ってることのほうが驚いた──いや、待って」



 いちばん最初の暗号を見る。2A5HーE10。これをかな入力でアナグラム化してもダメなら、これ自体を引いてみればいいのか……? となると、『1Z4GーD9』が出てくるわけで──かな入力で変換すると、『ぬつうきーしよ』。あ、それっぽいのきたな。



「ぬつうきーしよ!」


「……は?」


「だから。ぬつうきー、しよ、って。やろうよ、ぬつうきー」


「よく分からないことはやらない」



 くだらなくて、思わず笑ってしまう。そういうところがましろの良さだ。くだらないやつ、と付け加えながら、真面目な顔でふざけている彼女を上目に見る。最近はこんな感じでふざけることも減ったから、何がなしに嬉しくなった。紙の上にペンを走らせる。



「し、よ、う……違うか。う、つ、ぬ、き……ダメだな」


「き、し、よ……きしょ、きしょいってこと? き、よ、う……し……あーっ!」


「ましろ、さすがにうるさい」


「夏目、教室だよ教室っ。きょうしつって並べ替えられる!」



 興奮したように頬を赤くさせて、机に身を乗り出しながら彼女は叫んだ。それに驚いたのか、僕らを一瞥したカウンター係が、しかし興味なさそうにまた作業へと戻っていく。



「教室ってどこの。あと残った『ぬうー』はどうなる」


「ぬうー……?」



 馬鹿丸出しで首を傾げているましろを軽く叩いてから、残った『ぬうー』を見つめる。この間の抜けたひらがなだって、さっきまではれっきとした1と4だったのにな……とか思いながら、指先でペンを回した。1と4。教室。……あれ、これって、もしや──



「一年四組の教室ってことか……?」


「えっ?」


「いや、だから。『ぬうー』の一つ前って『14ー』なんだよ。それ入れ替えれば『1ー4』、つまり教室で一の四ってことじゃん。僕のクラスでしょ、なんかあるの?」


「えっ、あっ、おぉー……! そういうことっ? 夏目すごい、ハイタッチ!」



 やけにグイグイくるましろにドギマギしながら、反射的に手を伸ばしてハイタッチ。


──と思いきや、絡められた指先がなかなか離れない。やや汗ばんで湿った感触が、お互いの手のひらに融けていった。僕は突然のことに固まったまま、目の前の彼女を見る。最初は締まりのない顔で笑っていたものの、それに気付くと一気に手を振りほどいた。



「~~っ、なんでもないから忘れろっ」



 威嚇してくる小動物のような目つきで睨んでくる。さっきまで甘えたがりの顔してたのに、本当に今日は情緒不安定な生き物だ。……というか、なんでサラッと手を繋いできた? しかも恋人繋ぎ。無意識なんだろうけど、恥ずかしくてたまらない。



「……えっと、じゃあ。教室、行ってみようか?」


「……ん。でも、トイレ行ってくるから、お先にどうぞ」





 廊下の窓から見える空は、少しだけ淡かった。春ではない、けれど夏というには早すぎる、そんな中途半端な時期。半透明にも見える雲を眺めながら、部活終わりの生徒をちらほらと視界に入れつつ、ちょっとした高揚感とともに一年四組へと向かう。遠く聞こえる話し声だけが響いていて、目的の教室には、当たり前だけど、誰もいなかった。



「うちのクラスがなんなんだ……」



 自分の席に近づいていく。もちろん何もない。教卓にも、後ろのロッカーにも、他のクラスメイトの机にも──いや、窓際の席に、一つだけ、何かが置かれている。ましろの席だ。逆光で分かりにくかったけど、便箋のようなものが、さりげなく置かれていた。


 まさかと思いつつ宛先を見る。前よりも少しだけ大人びた丸文字で、『夏目へ』とだけ。……なんとなく合点がいった。してやられたな、と思いつつ、中身の手紙を読む。


『謎解きクリアおめでとう。これでゆきちゃん先生も喜ぶね。おやつも貰えるし良かったね。……と思ってた? 実はこの暗号、私がゆきちゃん先生に頼んで作ってもらったもの。この手紙が本命。恥ずかしいから周りに誰もいないことを確認して読んでね。』


もしかしたら覗かれているかもしれないな、なんて思いながら周囲を見回す。もちろん、というか、幸いにも、誰もいないようだった。ましろもまだ戻ってきていない。さっきトイレに行くと言ったのはハッタリで、恐らく、このためだったんだろう。


『夏目も分かってると思うけど、進学してから最近、お互いに話しかけにくくなったよね。入ったばかりの時は、今までと同じ感じで話せてたのに、慣れてきたら、一緒にいるのが恥ずかしいというか、友達の前で幼馴染ムーブするのが恥ずかしいというか、とにかくそういう感じ、だったはず。だから私は、それを元に戻そうと頑張ったわけです。』


……元に戻す? 予想していなかった言葉が出てきて、思わず首を傾げた。

ましろの席を拝借して続きを読む。座っているだけなのに、なぜか緊張した。


『実は副担のゆきちゃん先生、私のいとこなんだ。だから、夏目のことも昔から知ってる。私がゆきちゃん先生に相談して、どうしたら前みたいに戻れるかなって聞いたの。そしたら、あの暗号を作ってくれて、一緒に解いてみたら、って言われた。協力すること。協力すれば、そのうち緊張しなくなってくるよ、って。さすが先生、分かってるよね。』


いや、なにそれ、まったく聞いたことないんだけど。あとで挨拶しなきゃな……。


そんな独り言を漏らしながら、あぁでも、そうだな、と納得する。幼馴染とはいえ、ましろと話すのにも少し緊張してたくらいなのに、変に協力体制に入ってからは、そんなこと、ほとんど気にしなくなっていた。むしろ、昔のことを少し思い出すような……。


……そうなると、ましろは最初から暗号の答えも分かってて、だからここにこの手紙を隠した。いちばん楽しんでたのは僕とのコミュニケーションで、それさえ取れれば良かったのか。無駄な労力かけさせて、とは思ったものの、恨むような話でもない。


『夏目は私と謎解きしてて楽しかった? そこの答えだけ教えてほしい。』


手紙から視線を戻して、斜陽に暮れた教室を見る。綺麗に折りたたんで、便箋に入れた。立ち上がる。ましろを待っているのがじれったくなって、勢いのまま歩き出した。



「じゃんっ!」


「わっ」



手をかけた教室の扉がいきなり空いて、僕は思わず後ずさる。

それが彼女だと気付いて、少し恥ずかしいような、気まずいような気がした。

お互いに入口で向き合ったまま、三、四秒、無言になる。



「……読んだ?」


「……まぁ」



僕の答えに彼女は頷くと、そのまま窓際に立った。茜色の視線を受けるように、その純白の髪へと陽光が照っている。それをなびかせながら振り向いて、優しく、続けた。



「半分くらい騙す感じで、ごめんね。普通に話せればよかったんだけど」


「いいよ、別に。僕だってこうでもしなきゃ喋れなかった」



ぶっちゃけ、と言葉を繋ぐ。



「ちょっとだけ、前のこととか考えたりした。前はこんなふうに話してた、こんなふうに一緒にいた、って思ったり。……楽しくないはずがなくてさ、懐かしいなって」


「……それは私も、思った。友達とかはできたけど、やっぱりまだ、ちょっと遠慮してるところはあるし。気兼ねなく一緒にいれるのは、良くも悪くも夏目くらい」



そう言って、ましろは気恥ずかしそうにはにかむ。それがどこか大人びて見えて、少しだけ、鼓動が忙しくなるのを感じた。逆光に浮かぶシルエットが、綺麗だった。



「……夏目にもうひとつだけ頼みごとがあるんだけど、いい?」


「できる範囲内で」



うん、とましろは頷く。その表情はよく見えない。

だから、僕も歩いて窓際に寄った。床を踏む靴音が硬い。

夏はもう少し先だけれど、どこか蒸し暑かった。



「──私にもう一回、学生生活、楽しませてほしいな」



視界の端にかかった雲が、彼女の髪によく似ている。

僕を見据える瞳の色が、斜陽の茜を映している。


何も言わずに、笑みが漏れた。決まりきった答えを言うつもりもない。だから敢えて、無言のまま、手を伸ばす。何を期待しているわけでもないけど、それを返事として。



「……ん。それじゃ、そういうことでっ」



お互いにはにかむ。手を繋ぐ。少しだけ汗ばんだ手のひらが、ぬるい。

黒板の右端に書かれた日付が、ふと視界に入った。


六月六日。


意味はない。けど、きっと、そういう日なのだろう。

──斜陽に彩られたましろの横顔を見て、何がなしにそう思った。

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