糸の下で繋がれる
サトウ・レン
繋がった糸は地獄に。
おっ、新入りだな。こんなところに来るなんて、お前はどんな悪党だったんだろうな。なぁ聞かせてくれよ。あぁ、へぇ、盗みに、放火に、殺人、か。まったくろくな奴じゃねぇな。
怖がらないのか、って?
当たり前だろ。見た目や雰囲気に違いあった、って、俺たちゃ同類なんだから。いちいち同じ穴にいる貉を怖がってられるか。しかし、お前、どこかで見た顔だな。むかし、ここにいたことでもあるんじゃないか。似てるんだよなぁ。まぁでも、んなわけないな。いいや、いい、いい。言うな言うな。別に聞きたくねぇから。でも、俺に近付かないほうがいいんじゃないか。俺と話しても、得なことなんて何もねぇんだからよ。あぁん、せっかくだから、もうすこし話したい、って? 物好きな奴だ。じゃあ、そうだな。俺の昔話でも聞かせてやろうか。
俺がこの地獄の底の血の池で出会った、大泥棒の話さ。
暗がりの中に澱んだ血の色だけが混じるこの世界で、俺たちは出会ったんだ。ここに来る奴はそれなりに名を馳せた悪党ばかりだが、そんな奴らでも、地獄の責め苦には耐えられなくて、疲れ切って声も出せず、無言で血の池でぷかぷか浮かんだり、たまに沈んだりしているだけだった。そんな中で、そいつは異彩を放っていた。カンダタって名前の泥棒で、俺が生きている頃から、そりゃ名の知れた奴だったよ。俺みたい半端者とは違って、ここに来て当たり前のような奴さ。年齢は同じだったのかな。いや、死んだ年齢は違うから、同じ年にはならねぇのか。まぁいいやそんなことは。それでそいつは地獄の責め苦にあってもそこそこ元気でな。よく近くにいた俺と話してたよ。カンダタは俺のことなんて忘れてたみたいだが、実は生前にも会ってるんだ。直接は言えなかったが、俺はその時の体験を、生きていた頃から死んでそれなりに経ついまにいたるまで、一度も忘れたことがない。強烈な体験だったからな。
カンダタは一時期、俺の住んでいた、ちいさな集落に身を隠していたことがあるんだ。
俺は集落では、つねに悪さばかりしていたんだ。集落の奴らからも嫌われてて、な。嫌われてることが分かってるからこそ、また悪さばかりしてしまう。どうしようもねぇ人間だ、って分かってるけど、どうしようもねぇから、止まれないんだ。止まれる奴は、はじめからどうしようもない人間にはならねぇ、からな。とはいえ、俺は集落にいた頃は、殺人なんて一度もしたことがなかった。これは誓ってもいい。だけど集落で殺人が起こった。犯人はいまだに誰かは分からない。死人に口なしだからな。えっ、どういう意味か、ってお前もよく知ってるだろ。
疑われたのは、俺だ。当然だよな。
俺は集落の奴らに囲まれて、殴られ、蹴られ、そして寒空の下に、縛り上げられ、放置された。夜空の星の輝きを憎みながら、あの夜、あぁ俺はいまから死ぬんだな、って思ってた。そんな俺の目の前に現れたのがカンダタで、俺を縛る縄を解いて、あいつが言ったんだ。悔しいか、と。俺は口の中が血だらけでまともにしゃべれなかったが、とにかく必死に、悔しい、悔しい、と言って、集落の奴ら全員の死を願った。そうか、と俺の目を見ながら、カンダタが笑って、いなくなったんだ。逃げたのか……、じゃあなんで俺にあんなこと聞いてきたんだ……、俺はよく分からず困惑してたよ。だけどあいつは逃げたわけじゃなかった。
家屋は燃え上がり、集落の人間たちの悲鳴が聞こえてきた。俺が最後に見た時、容赦なくひとを斬りつけ、返り血に染まっていくカンダタの笑顔がそこにあった。
あいつがなんでそんなことをしたのかは分からない。だけど俺はあの時、救われた、と思った。結局、集落の唯一の生き残りになった俺はそこを離れた。それからは殺しでもなんでもするようになった。地獄の底に行く人物として選ばれる程度の悪党にはなったわけだ。
血の池に浮かびながら、俺たちは並んで、カンダタはよく俺に昔話をしてくれた。そんな昔話の中に、蜘蛛を救ってやった、なんて話があって、意外と良いところもあるもんだ、と感じたよ。
残忍だったカンダタへの印象が変わったのは、その時だった。あんな小さな魂を刈り取ることが俺にはできなかった、なんてカンダタが言ってて、それがみょうに耳に残ってな。人間の命をあんなにも奪ってきた大悪党の言葉に似つかわしくなくて、だけどそれが嘘を並べているようには見えなくて、残忍であると同時に、脆く、繊細だったあいつのことが気になって仕方なくなったんだ。地獄の底の俺たちを見て、蓮池の上からお釈迦様は何を思ってたのかな。いるんだろ。ここから見上げた先に。俺は別に会ったこともないし、会いたいとも思わないが。
妬んでたのかな。地獄の底で、地獄の責め苦にあいながらも、どこか楽し気だった俺たちのこと。
そうじゃないと、おかしいだろ。
いきなり見上げた先から、蜘蛛の糸が垂れてくるなんて。
俺たちのほうに向かって垂れてきたから、最初に見つけたのは、当然、俺たちで、その糸は明らかに、カンダタのほうに向かって、降りてきたんだ。これをのぼっていけば、極楽へ行けるんじゃないか、と話して、ひとりじゃ嫌だから、とまるで幼い子どものような表情を浮かべて、一緒に行こう、とカンダタが言ったんだ。情けない奴だろ。あの大悪党、本当はそんな頼りない奴なんだよ。
だけどあれは間違いなく、ひとりのためのものだった。
だから俺は一緒に行く振りをして、カンダタの奴を先にのぼらせて、俺は行かないつもりだったんだ。ひとりで極楽にでも行っちまいな、なんて思いながら。カンダタがそれなりにのぼったところを下から見上げていると、急にうめき声の大合唱が聞こえたんだ。俺も、俺も、と罪深き死人たちが、お前だけ狡い、とカンダタを憎み、呪うように。糸をのぼっているカンダタはまだ気付くようすもなかった。
俺は覚悟を決めた。どうせ死ぬこともないのだから、と。
糸の先端の前で、列を成す死者たちを片っ端から、殴ったり、血の池に沈めたりして、追い払うことにしたんだ。かつて悪党で名を馳せた者たちも、地獄の責め苦を永い間、味わっていれば、たいした強さでもなくなる。俺がまだ地獄に来て、そんなに時間も経っていなかった、というのも幸運だった。もしいま同じことが起こったら、逆に俺が沈められているはずだ。
別にあんな大量の悪党たち相手に、勝とうなんて思っちゃいなかった。とりあえず時間を稼ぐつもりだったんだ。
やがてカンダタは見えなくなり、糸は消えてしまった。
あぁついに極楽に行ったんだな、と思ったよ。糸が消えてしまうと、死者たちのやり場のない怒りは、当然、俺に向いた。俺は、殴られ、蹴られ、沈められ、また浮かんでは、沈められた。痛くもなかったし、苦しくもないはずなのに、身体は生者だった頃を覚えているのか、痛いような気もしてくるし、苦しいような気もしてくるから不思議だ。
そして俺を攻撃するのに飽きたあいつらは、俺を地獄の端へと追いやり、徹底的に無視するようになった。集落の頃を思い出すやり口だ。結局どいつもこいつも、人間の本質なんておんなじなのかもしれねぇな。
お前も嫌な目に遭いたくなかったら、俺と関わらないほうがいい。俺は地獄で一番の嫌われ者なんだから。
俺のこと知ってるだろ、って?
知らねぇよ、新入りのお前のことなんて。
お前は確かに見た目も声もカンダタそっくりだが、お前はカンダタじゃない。だってカンダタは極楽に行っちまって、もう戻ってくることはねぇんだから。そこからまた地獄に堕ちてくるほど、馬鹿じゃねぇよ。しかも俺に会いに、って、そんなふざけた話あるかよ。俺の努力が全部無駄になっちまったじゃねぇか。
もう一度言うが、俺とはもう、関わるな。地獄の奴らからも相手にされない、地獄の中の地獄に、新入りを引きずりこむわけにはいかないからな。
俺はお前のことなんて知らねぇ。ほら、だからどっか行きな。
糸の下で繋がれる サトウ・レン @ryose
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