幼獣に捧ぐ

oxygendes

第1話

「ジュリアよ、幼獣に自らの血を捧げるのだ。血と共にお前の魂が幼獣の中に流れ込み、幼獣を次なる形態に進化させる。首尾よく最強の形態である竜に進化した時、お前の血は竜を縛るくびきとなり、お前は竜を自在に操る竜使いになれるのだ」


 神官グレゴリーの声が響きます。ここは神殿中心部の神変の大広間、ずらりと並んだ神官様たちから注がれる視線の中、私は中央に進み出て、檻の中の幼獣を見下ろしました。創生の森で捕まえられ、ここへ運ばれて来た幼獣は仔牛ほどの大きさです。首筋の毛を逆立て、前肢まえあしの鉤爪を剝きだしにして私を睨みつけてきました。


「怖がらなくていいのよ。決してあなたを傷つけはしない。あなたの中に潜んでいる可能性の扉を開いて、新しい世界に導いてあげるのだから」


 私は傍らの台座に置かれた黒曜石の剣を手に取りました。左手で束を掴み、右手を刀身に当ててすっと滑らせます。ひりりとする痛みと共に右の掌が赤く染まりました。


「さあ、お飲みなさい」

 開いた掌を差し出すと幼獣の様子が変わりました。逆立っていた毛がふわりとした和毛にこげに変わり、前肢を揃えて私を見上げてきます。檻の柵の間から手を差し入れると、幼獣は顔を近づけて細長い舌を伸ばし、掌から血を嘗め取っていきました。


 掌の傷口に舌が触れても痛みはありません。ただ、身体から何かが抜き取られていく感覚がありました。神官様からは、血と共に魂が幼獣の中に入って行く、魂とは記憶のことだと説明されてきました。一回の捧血で記憶の四分の一が失われるとも。幼獣を進化させるための捧血は同じ人間の血でなければならない。だから竜に進化させ、竜使いになれるチャンスは三回だけ。四回目をしたら自分が空っぽになってしまうから。


 不思議な感覚に戸惑う中で、幼獣が私を見つめているのに気付きました。黒くきらきらした目、その瞳を見ていると足元がぐらりと揺らぎました。崩れた姿勢を立て直そうとしても身体が思うように動きません。足の下の石板がぐにゃりと曲がり、私はずぶずぶと……



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「ジュリア、ぐずぐずするな」

 扉の外から神官様の声が響いてきた。あたしはあわてて身支度する。いただいたトゥニカを頭から被って袖に両手を通し、裾を足元までぐいっと引き下げる。肩掛けを羽織り、頭巾を着けると、竜使い見習いの出来上がり。急いで部屋を出たあたしは、石畳の道に立つ神官様にじろりと睨まれる。神官様はきれいな金糸で刺繍された深紅のマントを纏い、輝く星のペンダントを胸に提げていた。


「これから、アストレア姫にご挨拶に伺うのだ。くれぐれも粗相のないようにな」

 それだけ言うと神官様はさっさと歩きだした。あたしはあわてて付いて行く。神官様が早足なので、あたしは半分走っているよう。宮殿への道は石畳が続いていて、歩いている人たちはみんな立派な服を着ていた。あたしたちの村とはずいぶん違う。

 宮殿は壁も屋根もみんなきれいな白い石でできていた。小さな扉をいくつもくぐり、たくさんの廊下と階段を進んで行く。そして、騎士様が並んで守る扉の前で神官様は立ち止まった。


「アストレア姫はやがて神官長にお成りになるお方だ。そうなれば竜軍団と竜使いを統括なさることになる。お前の指揮官になられるのだ。お前が竜使いになれたらの話だがな」


 神官様が騎士様に何か小声で話すと、騎士様は扉を開けてくださった。神官様に続いて中に入る。部屋の中にはきれいな調度品が並び、奥は空中に張り出したテラスになっている。テラスに小さなテーブルと椅子があり、そこにあたしと同じくらいの女の子が座っていた。きれいな金髪に白いドレス、この方がアストレア様で間違いない。

 神官様はアストレア様の前に進んで跪いた。あたしも急いでそれに倣う。


「アストレア様、新しく竜使い見習いになりましたジュリアを連れて参りました。ご挨拶させてください」


 アストレア様は、神官様を、そしてあたしを見て微笑みました。

「ご苦労様。そんなところにいてはお話もできないわ。どうかテーブルについてちょうだい」

「しかし……」

「いいのよ、ジュリアは私(わたくし)の前にね」

 アストレア様に促されて、あたしたちはテーブルに着いた。


「あなたはどこの生まれなの?」

「カリツ村です」

「そう。遠くから来たのね」

「はい、都があまりに立派なのでびっくりしています」

「立派? そうよね」

 アストレア様は外に広がる都の風景に目を向けられた。様々な形、大きさの建物が見渡す限り広がっている。


「この都、そして国中の人々を守るために、竜軍団と竜使いがどうしても必要なの。魂を差し出す任務に志願してくれて感謝しています。あなたたちのおかげでこの国の平安があるのです」

「あたしで出来ることでしたら何だって」

 あたしがそう答えると、アストレア様はなぜか悲し気な顔つきをされました。

「もし何か困った事があったら何でも私に言ってね。警備の騎士にはあなたが来たらいつでも通すように言っておくから」

「はい、ありがとうございます」

「何とありがたいお言葉、ジュリアよ、感謝して忠勤を尽くすのだぞ」

「はい」


「それでは」

 神官様は一礼をして立ち上がりました。

「参るぞ。さっそく修行を始めるのだ」

「もう行ってしまうの? 残念ね。ジュリア、修行の合間に私の所へ来てくれたらうれしいわ。故郷の村の話を私に聞かせて。そして、あなたがこれまで体験してきたいろいろなことを」

「はい」

「ええい、行くぞ。立つんだ、ジュリア」



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「立つんだ、ジュリア」

 耳元の声で私は我に返りました。私は跪いていて、目の前に幼獣の姿がありました。幼獣は白く輝き、その姿が少しずつ変わっているように見えました。


「見ろ、進化が始まっている」

 私の横に神官グレゴリーの姿がありました。食い入るような目で幼獣を見つめています。

 幼獣の体から体毛が消え、緑色の鱗が全身に現れました。棒のようだった尻尾がより長くなり、形も先が尖った円錐形に変わっていきます。

そして、変化は止まりました。


「うう、ここまでか。これでは竜とは言えぬ。せいぜい亜竜と言うところだ」

 グレゴリーが悔しがります。変化を終えた幼獣は私を見上げました。黒い瞳はやさしげな光を帯びているように見えました。


「よし、ジュリア、続けて捧血を行うんだ。チャンスは残り二回だぞ」

 いらだった声が響きます。

 私は右の掌を見ました。傷口は開いたままで赤く染まっていましたが、血が流れ出すことはありません。何らかの止血が働いているみたい。

 私は幼獣に右手を差し出しました。幼獣は一度私の目を見つめた後、舌を伸ばしてきました。長い舌が血を嘗めとっていきます。その様子を眺めるうち私は……



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 ごとごとと揺れる馬車の中、私は眠っていたみたい。ゆっくりと頭を上げて見回すと、すぐ隣にアストレア様の姿がありました。

「え!」

 一気に目が覚めます。


「ひ、姫様」

「目が覚めたのね。あまりに気持ちよさそうだから起こせなかったわ。おかげでちょっと肩がこっちゃった」

「す、すみません」

「いいのよ。修行で疲れていたのよね。それよりもうすぐ目的地よ」


 間もなく馬車は目的地に着きました。それは都から少し離れた場所にある孤児院でした。煉瓦造りの建物の前に立つと、子供たちの元気な声が聞こえてきます。

「この中にあなたに見ておいてもらいたいものがあるの。心してちょうだいね」

 アストレア様は私の横に立ち、左手で私の右手をしっかりと握りました。何でしょう、私の心を大きく乱すものがあるとでも言うのでしょうか。


「さあ、入るわよ」

 建物の中は大勢の子供たち、そしてそのお世話をする修道尼たちでごったがえしていました。

「先生、服が破れたよ」

「喉が渇いた。お茶ちょうだい」

「クレオ君が積み木を独り占めしてる」


 様々の声がこだまします。見ているうちに奇妙なことに気が付きました。たくさんいる修道尼たちの対応がワンテンポ遅いのです。何かを懸命に思い出しながらやっているみたい。


「気が付いた? ここで働く修道尼たちは元竜使いなの。戦闘の中で竜が死に、残された竜使いよ。竜が死んでも失われた魂は戻ってこない。簡単な仕事を続けながらもう一度自分を作っていかないといけないの」

 そんなことがあるなんて初めて知りました。でも、それは仕方のないことかも……、

「ねえ、」

 アストレア様に肩を掴まれ、気が付くとアストレア様の顔がすぐ前にありました。

「今からでも竜使いを目指すのはやめていいのよ。あなたの働き場所はお城の中に見つけてあげる」

「え、」

 私は怖くなって目を伏せました。

「私、竜使いになります。それがみんなのためだから」

 アストレア様が私を見つめているのが気配でわかりました。でも、肩をつかむ力は少しずつ緩んで来ました。そして、

「あなたがそう言うなら無理にとは言わない。でも、あなたがこの人たちみたいになるのは私には我慢できないの。お願い、私をちゃんと見て。私がどんなに……」



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「ちゃんと見るんだ、ジュリア」

 耳元でグレゴリーの声が響きます。目を開けると幼獣が二回目の進化をしているところでした。両肩に三角の突起が生じ、少しずつ大きくなっていきます。それは翼のように見えました。そして、変化が止まりました。


「駄目だ駄目だ。こんなちっぽけな翼では空を飛ぶことなんてできん。とても竜とは呼べんぞ」

 グレゴリーが吠えます。

「捧血を行え。チャンスは残り一回ある。何としても竜を作るのだ。ひと飛びで大陸の端まで到達し、ひと吹きの炎で千人の軍勢を焼き尽くす強大な竜を。それが出来るのはお前しかいない」

 その声は悲鳴のように聞こえました。私は幼獣に右手を差し出します。



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 私は扉をくぐりアストレア様の部屋に入りました。アストレア様はテラスに出て夜の街の様子を眺めておられました。そばに行って声をおかけします。

「姫様、ご挨拶に参りました。私は明日、捧血の儀式に臨みます。」


 姫様は背中を向けたまま身動き一つされませんでした。手すりにかけた手がわずかに震えているように見えました。


「もし、三回の供血でも幼獣が竜に変化しなかったら、私はこの城を去らねばなりません。そんなことを考えたくはありませんが……」

「ジュリア」

 アストレア様の声はとても落ち着いているように聞こえました。

「こちらへ来て」

「はい」

「もっと近く」

「こうですか?」


 いきなりアストレア様が振り向き、私は抱きしめられました。アストレア様の髪が私の顔にかかり、頬をぎゅっと押し付けられます。私はアストレア様の香りに包まれました。

「お願い、竜使いになるのはやめて」

「私はこの国のために……」

「この国なんてどうでもいい。ねえ、二人で国を出ましょ。遠くの国で一緒に暮らすの」

「姫様」

「姫の位も、神官長の位もいらない。今から私はただのアストレアよ」

「アストレア……様」

「ジュリア」



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「ジュリア」

 グレゴリーの声が響く。

「見ろ。何だ、この変化は」

 幼獣の前肢が、後脚が、太く長くなっていきます、そして頭が丸く膨らんでいきました。やがて幼獣は後脚で立ち上がり、二本の脚で直立しました。背中の翼は小さくなり、ほとんど飾りのようになりました。


「これは亜人ではないか。何てことだ」

 亜人形態になったそれは黒い瞳で私たちを見つめてきます。


「空も飛べず、炎も吐けない亜人は戦いでは何の役にも立たん。知能が無いから兵士にすらなれん。創生の森に還すしかないぞ」

 グレゴリーは叫びます。

「こんなことでは神官長様に顔向けできん。何てことだ」


 神官長アステリオス? 神官長はアストレア様ではなかったの? 私が亜人を見つめると亜人はわずかに頷きました。そして、私は理解しました。捧血で見た光景が何だったか、そして、私を愛してくれているのが誰であるかを。


 私はこれからすべきことが何かを考えました。本当の目的を隠し、どのように装って行動していくかを。そして、グレゴリーの前に跪きます。


「とんだ不始末となり、申し訳ございません。せめて、始末は私におまかせください」

「う、うむ」

「亜人は私が創生の森に還します。私はその後、孤児院に参り、修道尼としてお勤めします」

「そうか」

 グレゴリーは、私にも、亜人になった幼獣にもすっかり興味を失ったようでした。


 手続きは簡単に終わり、私と亜人は数日後には都を旅立つことが出来ました。私は竜使い見習いの服装、亜人はトゥニカの上に分厚いフードを纏って顔を隠した格好です。顔を伏せ、無言で街道を歩き続けました。


そして、都から遠く離れ、街道に他の人の姿が見えなくなった時、私は亜人に話しかけました。

「そろそろ大丈夫じゃないかしら」

「はい」

 亜人が答えます。その瞳には知性のきらめきがありました。


「あなたを何と呼べばいいのかしら?」

「お望みのままに。アストレアでも、アステリオスでも」

 亜人はにこやかに微笑みます。

 アストレアとアステリオスはどちらも「星」の意味を持つ名前、アストレアは女性の名前でアステリオスは男性の名前よね、と言うことは……、


「どちらにもなれると言うこと?」

「はい、変化は竜人の力の一つです」

「竜人?」

「はい、あなたの魂により私は竜人に進化しました。竜人は多くの力を持っています。それは人間たちが竜と呼ぶ形態に決して劣るものではありません。ただ、その力は魂を分けていただいた方のためだけに使うものです」

「そうなの」

「おいおいお目にかけていくことになるかと」

「よろしくね」


「それでは」

 亜人、いえ竜人は右手を胸に当てて私を見つめてきます。

「アストレア、アステリオスのどちらをお望みですか?」

「そうね……」

 どちらを選ぶか、私は考えました。でも……

「しばらく考えさせてもらっていいかしら?」

「もちろんです」

 竜人は朗らかに答えました。


「それで、これからどうしようかしら?」

「儀式の中でお話したように、遠くの国に行って二人で暮らすと言うのはどうでしょうか?」

「それもいいかも」

「では」


 竜人はフードを脱ぎ捨てました。翼がみるみる大きくなっていきます。それは身長の数倍にもなりました。私を抱きかかえ、空に舞い上がります。いわゆるお姫様抱っこ状態ね。


「行きますよ」

「お願い」


 私たちは大空を駆けて行きました。偽りの過去から始まった私たちの関係が新しい記憶を積み上げていくことが出来るのかどうか。全てはこれからのことなのです。



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           終わり


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