握り飯の秘密

柴田 恭太朗

全一話

 ああっと思ったときは、すでに時遅し。ぬかるみに取られた草鞋わらじがすべり出していた。

 千紗ちさはまだいつつ。幼い彼女が持つには、盆が大きすぎたのだ。

 少女の視界はご馳走を乗せた粗末な盆にさえぎられ、すべりやすい地面が見えていなかった。


 前のめりに足をすべらせた千紗の体はフワリと空に浮き、地面へたたきつけられる。盆から落ちた大きな握り飯が少女の前をころげていった。


――お侍さんのおにぎりが……


 千紗はあわてて立ちあがり、握り飯を拾う。恐る恐る様子を確かめた。

 案の定、地面をころげた握り飯の表面には泥がこびりついている。形こそくずれていないものの、さすがに食べ物としては差しさわりがある。


 その日、村を訪れたのは身なりの立派な侍。粗相があってはならぬと村の皆が思った。千紗が落とした握り飯は、ほかならぬ侍がじきじきに所望した食事である。彼の無理なわがままに、皆で貴重な食材を持ち寄り、力を合わせて作ったおにぎりである。


「どうしよう」

 千紗はとりかえしの付かない失敗に頭が真っ白になった。


 ふと千紗は昨日のことを思い出した。隣のちゃんと泥団子を作って遊んだ裏庭でのことだ。ふたりが作った泥団子はそれはそれは見事な出来ばえで、かぶりつきたくなるぐらい美味しそうに見えた。


「そうだ。泥おにぎりにすればいいんだ」

 千紗は、かろうじて盆の上にとどまっていた豚足とんそくの煮つけと青菜あおなの『胡麻よごし』を目にすると顔を輝かせた。


 ちなみに『胡麻よごし』とは、すり胡麻に砂糖……なんてぜいたく品は手に入らないから、かわりに醤油をたらして青菜にからめた一品。貧しいこの村では最高のもてなし品であった。


 少女は青菜を手でつまんで、握り飯の上に乗せた。さらに握り飯の表面に胡麻を指先でちょいちょいと伸ばすと、これが見事に泥となじんで美味そうに見える。


 ◇


 千紗が蕎麦屋に到着すると、握り飯を所望していた侍は相好をくずして喜んだ。

「これよ、これこれ。やはり侍は米を食わねばの。蕎麦では腹持ちがせぬ」

 侍の言葉を耳にし、蕎麦屋の主人は怒りで顔を赤く染めた。いまにも塩をぶちまけそうな勢いである。


「お侍さん、どうぞ食べてくんろ」

 千紗は侍と目を合わせないようこうべをたれ、盆を差しだす。自分の失敗がバレないかひやひやした。

「ほほう、これは美味そうだ。これ、この握り飯の隣にあるのは何かな?」

 侍は珍しい土地の料理に興味津々だ。

「青菜の胡麻よごしだぁ」

 千紗は消えいるような声で答える。

「いや菜っ葉ではなく、これこのゴロっとした茶色の塊は」

豚足とんそくだぁ」

「豚足! このあたりでは獣の肉を喰らうのか? いや薩摩では豚の肉を食すと聞きおよぶ。不思議ではないな」

 好奇心侍は自分の疑問に自分で答え、ひとり納得する。

「では、この握り飯が黒ずんでいるのはなにゆえであろうか」


 千紗はビクっと体をふるわせた。

「それは泥握どろにぎりだからだぁ」

 少女は顔をあげてキッと侍を見すえた。越えてはいけない一線を越えた者の顔をしている。

「泥握りとな……ふむ、このあたりの名物であろうか」

 お侍さんは珍しそうに握り飯をためつすがめつ見つめ、うまそうにかぶりついた。


 千紗特製の握り飯を食べた侍は、その晩から熱を出し、まる二日もがき苦しんだあげく、あっけなく死んだ。


 不思議だったのは侍の態度であった。蕎麦屋の主人が訊こうが、よろばうように駆け付けた庄屋が尋ねようが、彼はガンとして自らの素性を明かすことがなかったのである。こうして村人たち共有の秘がまた一つ書き加えられた。


 ◇


「お侍さん、死んだんだって?」

 洗濯物を干しながら、カツが千紗に話しかけた。カツは千紗と同じ長屋に住む、うどん屋の娘である。

「なんでかね、バチでもあたったんかね」、カツは竿にかけた手ぬぐいをパンと叩いて広げた。

 カツの問いに千紗は無言で首をふった。(みんな黙っているのに、どうしてカツだけは侍の話をするんだろ。カツは握り飯の秘密を知っているかもしれない)千紗はとまどい恐れ、口を引き結んだ少女の眼から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「泣かない泣かない。いいんだよ、あんたが悪いわけじゃない。せっかくみんなでごちそうしたのにさ、あたいだってちっとやそっとじゃ手に入らない珍しい豚足をふるまってあげたのにさ。まったく、もったいないことしたよ」


 侍の膳に添えた豚足は、実のところカツが自分が食べようと煮込んでいたものだった。しかも、それは卸商人から買いとったものではなく、カツが偶然、山沿いの街道で拾った豚足である。ひとつぐらいなら貰っても構わないだろうと、ホクホクして持ち帰った代物だった。


「いきなり蕎麦屋へやって来て『握り飯を所望』だなんて、おかしな侍だったよ。身なりが良いから、これは偉いお侍さんに違いないってんで、みんなで手分けして精一杯のもてなしをしたのが間違いだってんだ。ほんと、もったいないことしたよ」

 カツは食べそこねた豚足の仇のように、洗濯物をパンパンと力を込めて叩いた。


 ◇


 諸国をめぐり廻ったあげく、食いつめた盗人ぬすっとが行き倒れの侍を発見したのは、街道と街道が交わる四辻よつつじ。朝日が昇る前の薄暗がりでのことだった。


 盗人は倒れている侍の息がないことを確かめると、武士の身ぐるみをはいで自分のそれと交換した。腰の大小といい草履、装束といい、禄の高い侍のものに見える。


 侍の亡骸と自分の衣服とを街道脇に生い茂る笹薮の中に押しこめて隠すと、盗人は侍の持ち物をあらため、質の良い剃刀を発見した。賊は手馴れた手つきで髭を落とし、月代さかやきを青々と剃りあげると手鏡をのぞき込んだ。


「おいら……もとい拙者も、なかなか捨てたものではござらぬな」

 鏡の中の自分と目を合わせ、フフンと鼻を鳴らしてニヤつく。


 侍に化けた盗人は街道を進むと、最初に目に入った蕎麦屋の暖簾をくぐった。


「握り飯を所望!」

 すかさず侍は自信たっぷりに声を張りあげた。そこが蕎麦屋であることは元より承知。彼が上手に「秘密」を隠しとおす限り、民はこぞって文字通りの馳走で侍をもてなすことであろう。


 ◇


 地表から上空――この国の単位で表現するならば――約1000里の高度に、その宇宙船はあった。臆面もなく宇宙船と呼ぶからには定義を待たずして、乗員たちはすべて宇宙人。至極当然の帰結である。


「さて、この星での調査行程がすべて完了した。諸君、忘れ物や落とし物はないだろうな。落とし物は足跡だけにしてほしい」

 宇宙人の調査隊長は、この星で聞き覚えたジョークを交えて宣言した。数人がクスクスと笑いをもらす。さぞかし現地民の間で流行っているベタなジョークなのだろう。


 隊員の中に一人だけ笑わないものがいた。見れば顔色が青ざめている。目ざとい隊長は異常の原因を隊員のコスチュームに見いだすと、その男を詰問した。


「キミ、その右足はどうした。防護靴を履いていないじゃないか」

 隊長は不自然に汗をかいている隊員の右足を指した。その足はこの星でいうところのに似ている。それどころか、左足に履いている防護靴の外見は豚足そのものであった。


「それが、その……落としました!」

 隊員が叫び声に似た返答をした。

「すぐさま回収に向かいたまえ」

「不可能です。防護靴を拾った住人が持って帰ってしまいました」

「なんだと……」隊長は隊員にツカツカと詰め寄った「リスクは、想定できるリスクを列挙せよ」

「ありません!」

 隊員は、豚に似た前足を挙げて敬礼した。

「ならばよし! 母星へ帰還する」


 宇宙人を乗せた宇宙船は地球の引力圏を離脱し、彼らの星へ向けぐんぐんと加速した。


 宇宙船の中で、靴を落とした隊員が思いにふける。

 彼にはひとつだけ隊長に隠していたことがあった。


(リスクか……。加熱して靴の成分が変性した場合、現地人にとって危険な毒物へと変わってしまうことがわかっている。だが、そもそも拾った靴を加熱して食べるヤツなんているだろうか? いるわけがない。よって問題なし!)


 そう結論づけた隊員は懸念を安堵にすり替え、行儀よく両手両足をそろえると、横倒しになって深い眠りについた。


 おわり

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握り飯の秘密 柴田 恭太朗 @sofia_2020

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