おいしい秘密
あまくに みか
おいしい秘密
「
ドアの外から大きな声が聞こえて、私は玄関ドアに飛びついた。
「ちょ、ちょっと!」
勢いよくドアを開けると、真っ白な作業着のキツネ目の男が立っていた。男は帽子を取って、再度大声を上げた。
「黒歴史掃除した——」
「大きな声で言わないでください! 隣に聞こえたら恥ずかしいでしょ!」
男を黙らせると左右を素早く確認する。誰もいない。聞き耳はたてられていないと思いたい。
男の腕を掴むと家の中に引きずり込んだ。
「困ります! 私が、その……黒歴史掃除し隊を呼んだってことが知られたらどうするんですか! ってかその社名、どうにかならないんですか?」
男は緩慢な動作で首を傾げる。
「そんなこと言われても。ボクは末端の作業員なんでぇー」
「じゃあ、顧客の意見として伝えておいてください」
「うーん。まあ、ダメだと思いますけど。一応伝えときますね」
私はニヤニヤ笑う作業員をじっくりと眺める。
怪しくないか、この男。
「念の為、あなたの名刺もらえます? 名刺持ってますよね?」
本当に『黒歴史掃除し隊』の作業員なのだろうか。急に疑わしく思えて男に詰め寄った。
「えーっと名刺、名刺」
男はつぶやきながら、いくつかある作業着のポケットを一つずつ改め始めた。ますます怪しい。
「あーあった! はい、どうぞ。黒歴史掃除し隊の
「変わった名前ね」
私は名刺と男の顔を見比べる。非常に怪しい。今更ながら、不安になってくる。
「こちらに来てからはよく言われます。お星様のように輝いた名前ですね、って!」
天王セイは嬉しそうだ。
キラキラネームだねと揶揄されていることに気がついていないようだ。この天然男はきちんと仕事をしてくれるのだろうか。いや、してもらわないと困る。
「ちゃんと黒歴史、消してくれるんですよね? 消えなかったら、クレームいれますからね!」
「お姉さん、キビシイですねぇ」
天王セイは、ニヤニヤ笑いを顔に貼り付けたまま首をすくめる。
「では、消したい黒歴史を見せてもらえますか?」
私はうなずいた。天王セイは信用に足りない人物だが、黒歴史掃除し隊の仕事については信頼を寄せていた。なぜなら、口コミが非常に良かったから。
誰にも言えない、消したいモノ。それを全てまっさら無かったことにしてくれるという。
「ここです」
私がクローゼットを開けると、天王セイは「わぁ〜!」と幼稚園児みたいな声をあげた。
「やめて」
「アッ、スイマセン」
クローゼットの一画。そこには私の黒歴史がある。
「……消せるの?」
「消せますけどー。こんな祭壇みたいなの、消しちゃっていいんですか?」
ぐっと息を止めて、迫り上がってきた感情を押し込める。
私の推しは、乙女ゲーム『ティールーム』のウーロンというキャラクターだった。
クローゼットの一画を埋め尽くす、推しの缶バッチ。その下には、推しの大量のアクリルスタンドとぬいぐるみ。一番お気に入りのブロマイドを真ん中に飾ってある。
「やってくれ! 私の気が変わらないうちに!」
さよなら、ウーロン。
いままで、ありがとう。
「じゃあー、準備しますねぇ」
感傷的な私の隣で、天王セイが背負っていた袋を「よいしょ」っと言いながら、のん気に下ろす。
「もったいないですねぇ。ここまで集めるの大変だったんじゃないですか? なんで消しちゃうんです?」
確かにグッズを買うのは大変だった。でも、楽しかった。大好きだったから。毎日が推しのためにあった。
だけど!
「
ほとんど叫んでいた。
そう、彼氏が出来たのだ。けれども彼氏は知らない。私が二次元にガチ恋していたなんて。
「『今度、美波ちゃんの家に行きたいなー』なんて言い出すから! こんなの、見られたら、おしまいでしょ!? わかります? 私もうアラサーなんです。結婚だってしたいですよ。『えへへ、私の隠してた趣味だよ』なんて言って、これを見せて『素敵だね』って言う男がこの世に存在すると思います? そんなやつ、おるかー!」
溜まっていた感情を吐き出すと、涙がにじんだ。
ああ、なんて虚しい。
でも、このままじゃダメだってわかってる。
だって、ウーロンは現実にいない。
だから、これは黒歴史にしないといけないの。
「ああ、良いですねぇ。とっても良いです。やっぱり地球人の秘密って美味しいなぁ」
「え?」
掃除機が向けられていた。
恍惚とした表情で天王セイが微笑んでいる。
「ごちそうさま」
カチッ、とスイッチの音がした。
*
「佐田さま。佐田さま」
女は口を半開きのまま、虚空を見つめている。
「佐田美波さま!」
強く呼びかけるとようやく視点が合う。
「……誰?」
ぼんやりとした口調で、依頼人の佐田美波はゆっくりと瞬きをした。
「黒歴史掃除し隊の天王セイです」
「黒歴史?」
「はい。こちらを綺麗にしました」
天王セイがクローゼットの中を示すと、佐田は首を傾げる。クローゼットの一画だけ、切り取られたように何もない。白い壁紙が異様に美しく見えた。
「あれ? ここ、何があったんだっけ?」
「何って。黒いモノですよ」
「黒いモノ?」
「あなたが黒くしたモノです」
「……そうだっけ? 覚えていなくて……」
「綺麗になったでしょう?」
佐田はうなずく。
「ええ、本当に」
「口コミには『綺麗さっぱり、すっきりした。最高!』と書いてくださいね」
天王セイが言うと、佐田はぼんやりとした口調で復唱する。
「きれい、さっぱり、すっきり、さいこう」
「あと『良い社名だ』とも」
「いい、しゃめい」
佐田が復唱し終えると、天王セイは満足してうなずいた。
「では、さよなら」
*
「あー、今日も大漁だったよー」
職場に戻ったボクが背負っていた掃除機を下ろしていると、同僚の
「今日はどんな?」
「愛だよ。愛」
「そりゃ大漁だ」
冥オウが鼻で笑う。
「そっちは?」
「オレの方は、魔法使いに憧れて、ノートに魔法陣とか書きまくっていた人のとこ行ってきた。まあまあの収穫だったかな」
ふうん、とボクは気のない返事をかえした。
「ボクにはさっぱりわからないね。地球人はどうしてあんなに情熱をかけていたものを、黒歴史として秘密にしたがるのか」
掃除機のダストボックスには、吸い込んだ地球人の黒歴史が入っている。取りこぼさないように、ボクはそれを瓶の中に入れた。
黒いモヤモヤした塊は、瓶の中に入ると輝き始める。まるでそこに小さな宇宙があるようだ。
「こんなに綺麗なのになぁ」
アンドロメダ銀河では、深刻な食糧問題に悩まされていた。
ボクたちは、情熱とか悲しみとか、そういう大きな熱量を食べて生きてきた。だけど最近、近くの惑星が寿命を迎えて、そこに住んでいた生命がみんないなくなってしまった。
ボクたちは安定して食糧を確保することが、出来なくなってしまったのだ。
それを救ったのが、地球人の黒歴史だ。かつては情熱だったもので、今は葬り去りたいほどの羞恥。その相反する感情が、アンドロメダ銀河に住む者たちの食糧問題を救った。
「地球人は不思議だ。一個体につき、一つの黒歴史を持っている」
「なかには複数持ってるやつもいるな」
「みんな持っているのなら、秘密にしないでもいいじゃないか」
「複雑だよな、地球人の感情って」
本当に、とうなずいてボクは両手を伸ばしてのびをした。
「まあ、どうでもいいや。お腹いっぱいになったし」
おいしい秘密 あまくに みか @amamika
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