わたしの心はかく語りき
藤咲 沙久
美しいもの
広大な心象世界のどこかで、わたし①は途方に暮れていた。それは目の前の深い深い穴のせいだった。手にスコップは持っている。でも、この穴をどう埋めればいいのかわからないのだ。
「やあ、やってるかい」
何度目かのため息と同じタイミングで、わたし②が顔を出した。①の不安そうな様子なんてまるで気にしていない。造りは同じでも、人間は表情ひとつで別人に見えるようだ。この後わたし③がやってきても、きっとどちらが①でどちらが②なのか簡単に見分けられるだろう。
「居酒屋みたいに言ってくれるなよ。先日仕事のミスで空いた穴だって対応出来ていないのに、今度は推しドラマのロスだってさ。わたし(総合)って奴は、胸にぽっかりやり過ぎなんじゃないか」
「なんにでも一生懸命だから傷つきやすいのさ。しかし、お前の担当エリアはいつまでたっても穴だらけだな。ちったぁ塞いでやらないと寒ざむしくて可哀想だろ。あっちゃいけない訳じゃないが、あんまり多いと心全体が折れてしまうよ」
呆れたと言わんばかりの②に、①はふんっと鼻を鳴らしてみせた。不満な心を表す、①の癖であった。
「だって君、見ろよこの歪んだ穴を。これにピッタリな代用品がどこにある? 駅前のスイーツはパフェ型だから形があわない、ライブの当落発表日は流動的だが多すぎて溢れてしまう。しかも落選したら穴に戻るだけ。全部そんなもんだ、過不足なくはまるものが無いんだよ」
②はおどけるように眉を片方上げた。こちらは、ますます呆れた際にやる②の癖である。
「馬鹿だな。ピッタリがこの世にあるものか」
「なんだって?」
「確かにここへ出来た穴を埋めるのがわたしたちの仕事だ。でも考えてもみなよ、代用品は代用品。心の穴を埋める他のものであって、まったく同じものを用意出来るわけじゃないだろう?」
例えばA君に振られたとして空いた穴と、B君と恋人になれた喜びの山は、まったく違うと②は続けた。A君はB君でないし、生まれる感情や思い出はまるで別物だ。だからその山をスコップでつついて穴へ放り込んでも、完璧に重なったりはしないのだと。
ちなみに、B君と恋人になるのは本当にただの例えであって実話ではない。わたし(総合)にそんな相手がいればよかったのだが。
「埋めるってのはな、①」
穴を見下ろして②が笑う。仕方ないなぁと目を細める様は、恐らく、わたし(総合)の癖だ。①は頷きながら、そっとそんなことを考えていた。
「なかったことにするんじゃない。だって事実は変わらない。空いた寂しさを乗り越えるきっかけにする、ただそれだけだよ」
「きっかけ……か」
「そうとも。それに、ほら、心が真っ平らでないといけないなんて誰が言った? 人生はもっと凸凹で、歪で、美しい。そういうもんさ」
さあわたしも仕事に戻ろう。そう言って②は来た時と同じくらい軽やかに、自分の持ち場へと帰っていった。穴と、スコップと、①がぽつんと残される。その隣に、ふわりと新しい関心の山が盛り上がっていった。穴の形にはややあわないが、押し込むことは出来そうだった。
「……凸凹で、歪で。美しい、か」
これまで綺麗に綺麗に修復しようとしていた①は、ほんの少しだけ表情を柔らかくして、スコップを握り直した。
──さあ、心に空いた穴を埋めようか。
わたしの心はかく語りき 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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