ビオニエ・パガモール

「お許しください、お許しください!」

 検問所の責任者が地面にひれふした。

 横柄な態度をとられるよりもずっと困るね。

「やめてください。こちらの女性のことを私たちにまかせてくれさえすれば、それでいいので」

「その女は焼くなり煮るなり好きにしてください!」

 あまりほめられたことを言っていないが、追及すると話が長くなる。

「もういいから、てめえは仕事に戻れ。そっちの男は俺があずかるからよ。さもないと本当に立場が危うくなるぞ。坊主が許しても周囲が許してくれなくなるからな。はよいけ」

 責任者は弾かれたように立ちあがり、ボクに対して何度も頭をさげてからその場を離れていく。

「少しは感情を表にだせるようになったじゃねえか。安心したぞ」

 豊かなあご髭をなでながらニヤリと笑う。

 六十歳近い年齢のはずだが白髪が増えた以外は老いを感じさせない。

 辺境伯の客将扱いの人であるから、再会する可能性もあるかなとは思っていたけれど、ここで会うことになるとは思わなかった。

「警備兵をやっているわけではないですよね?」

 師匠が再び豪快に笑う。

「親父さんから連絡をもらっていてな。そろそろ到着するころだと思ったんだ」

「つまり警備隊の代わりにきたというわけではないのですね」

「辺境伯にあいてえんだろ? あいにくキャージャがダヤンに戻ってくるのは今夜だ。会えるのは明日以降だな。だからとりあえず、今日は俺がお前らまとめてあずかる。ウチにむかう途中に警備隊の詰所があるからな。ついでだ、ついで」

「辺境伯を呼び捨てはどうかと思いますが?」

四十年のつきあいだぞ、固いこと言うな」

空を見上げ大きく笑う。

 この人を見ていると、魔法を使えなくてウジウジしていた自分がバカらしく感じたものだよ。

 最初に魔獣の群れに放り込まれたときにはうらんだこともこともあったけれどね。

「ちょっくらこのにいちゃんを預けてくるからここで待ってろや」

 警備隊詰所の前に到着すると師匠は男を連れて中へと入っていく。彼がアルモニアさんがいないのをいいことに、彼女に全ての罪を押しつけてくる事も考えられたが、そこは師匠が取り調べをするかたにひと言言っておいてくれるだろう。

 明日には彼女も辺境伯自身に取り調べを受けるだろうから、一方的に罪が重くなることはないはずだ。

 五分ほどで戻ってきた師匠に連れられて屋敷へと案内される。

「屋敷の敷地にいるあいだは自由にしてな」

 アルモニアさんの手足の高速をはずしあっさりと言い放つ。

 彼女も呆気にとられているようだった。

 でもそこまではいい。

 問題はそのあと。

「さあ、遠慮なくかかってこい」

 なぜボクは中庭で師匠と組手をしなければならないのだろう?

「師匠、王都から旅をしてきていますので体を休めたいのですが?」

「疲れている時ほど無駄な動きがなくなるもんさ。胸を貸してやるからドンとこい」

「トリス君、頑張れー」

「相手がじいさんでも遠慮することねえぞ。ガツンといけ!」

 ボク自身より見学者のほうがやる気満々だ。

 使用人さんたちにそれぞれ部屋に案内されたはずなのだが、どうやって嗅ぎつけたのか、全員が中庭に揃っている。

 ミゴンさんとアルモニアさんも声援こそ送ってこないが、見学には加わっていた。

 大きくため息をついてからボクは構えをとる。

 師匠に教えを受けた五年間で直接組手をしたのは二回だけ。

 初めて会ったときと最後に別れるとき。どちらもいまと同様に余裕ともとれる笑みをうかべていたっけ。

 本人が口にしたことはないけれど、おそらく師匠にとっては組手が挨拶みたいなものなのだろう。

 前に出した左足に力をいれ、直線的に師匠との距離をつめる。牽制の左拳を連続で師匠に突きだすが、こともなげにかわされる。

 昔と同じ。速い動きには見えないのに、軽やかにこちらの攻撃をかわしてみせる。でもボクは昔とは違う。師匠の足さばきにあわせ下段蹴りをはなつ。

「昔より小賢しくはなったか。だが見たいのはそういう変化ではない」

 彼は流れるような動きで後ろに下がり、蹴りをギリギリの所でかわして見せる。それどころか、当然のように間合いをつめてボクの軸足を払う。

「うわ、あのおじいさん上手!」

「達人て感じだな」

「この大陸では有名人だからな。勇猛果敢で知られる辺境伯軍の中でも辺境伯の右腕としてならしている」

 地面に転がるボクにみんなの言葉がふってくる。

 師匠は魔法が尊ばれるこの国で、武芸で名をはせる数少ない人物のひとりだろうね。

 ボクは転がりながら師匠と距離をとり、転がった勢いで立ちあがる。

「本当に小賢しくなったな」

 アゴ髭をなでながら豪快に笑う。

 師匠としては、ボクのいまの実力をしるために正面から堂々ときてほしいのだろうね。でも申し訳ないけれどこれがいまのボクだ。小賢しく思われてもできるかぎり良い結果を得るために頭を働かせる。これがボクの全力。

 呼吸を整えながら再び腰を落とし構える。

「しかし目をそらさなくなったか」

 笑いをおさめた師匠が納得したようにうなずく。瞬間、ボクの視界から彼の姿が消えた。辛うじて耳に届いた土を踏む音に、必死に身をのけぞる。

 ボクのアゴがあった位置を左から距離をつめていた師匠の掌底が通り抜ける。

「お、いまのは予想外だったな」

 ホッとしたのも束の間、再び足を払われまたもや地面に転がった。

「ふむふむ、小賢しいことは小賢しいが悪くはない」

 見上げると師匠に身構える様子は見られなかったので土を払いながら立ち上がる。

「それはどうも」

 不快感を隠さずに言おうと彼は気にしない。

「アナタ、お風呂の用意ができましたから、先に汗を流してきてくださいな。お嬢様がたは少しお待ちくださいね。先に泥だらけになった殿方を綺麗にさせてしまいたいので」

 師匠の奥様がボクに苦笑を向けながら言ってくる。

「よし、裸の付き合いだ! ミゴン、お前もこい」

 自然な動作で先輩に歩み寄りクロの魔力板を抜き取るとミゴンさんに声をかける

「ああ、クロちゃんが誘拐された!」

「どんなに強くとも隙を見せちゃあいかんぞ、おじょうちゃん」

「まあ、シィーはいつも隙だらけだけどな」

 ガックリうなだれる先輩に、クロがなぜか師匠の頭の上で何故か踏ん反り返っていた。

 引っ張られるようにして師匠のあとについていく。

 師匠の屋敷の浴室はとても落ち着く香りがした。

 木製の浴槽なんて初めて見たよ。

「シィー以外とも風呂を楽しめるとは思わなかったぞ」

 クロが師匠にガシガシと体を洗われながら喜びの声をあげる。

 正直、ボクも驚いていた。

 クロがお湯も石鹸も魔力につつまれ普通の動物のように洗われている。

 とても嬉しそうだ。普段は触れたりすることはできても痛みを感じたり損傷をすることはない。ちなみに食事は、口に含んだ時点でクロ自身が魔力で包めるから味わえるそうだ。

 どうやら師匠も魔闘衣をつかえるみたい。魔糸を相手に触れさせれば魔力の流れで何をしているかはわかるけれど、魔力視認のようにはわからないからね。師匠の指導を受けているころは魔力そのものを利用できることに気がついていなかったし。

「やっぱりあの嬢ちゃんも魔力をまとうんだな。誰かにならったんか」

「いや、体動かしている間にできるようになったって言ってたぞ」

「ああ、天才ちゃんか」

 苦笑を浮かべ呟く。

「あの嬢ちゃんも不思議だが、もう一人の嬢ちゃんは嬢ちゃんで、あのイストリアの娘かもしれんときたか。おまけに旅の共にはサイファーの守護霊獣に光明のミゴン。なかなか面白い人生を歩み始めたじゃねえか。あの引きこもりの坊主が」

 豪快な笑いが浴室に響く。

「有名人なんですね」

 ボクと一緒に湯船につかっていたミゴンさんに目をむける。

「冒険者をはじめて二十年近くになるからな。この頭と二つ名のお蔭でギルドではそれなりに名は売れてるな」

 自身の頭をぺちぺちと叩く。街道を移動している時とは違いその表情はとても穏やかだ。

「謙遜するな。冒険者は軍人と同じで危険と隣り合わせの仕事だ。生きてるだけで立派なもんさ」

 クロを連れ湯船に入ってくる。

「むっ、この板に水はまずいのか?」

「いえ、塩分が多く含まれていれば話はかわりますが、この水ならば特に問題はないと思います」

「よし、それなら肩までつかれ」

「おう! じっくり堪能するぜ! でもじいさん疲れねえか?」

「問題ねえよ。ちょっこっと魔力で括る範囲を広げてるだけだからな」

 クロの頭を愛おしそうになでるその姿は、孫をかわいがるおじいさんの姿そのものだ。

「問題はハーフエルフの嬢ちゃんだな。お前らに襲いかかったのはいくらでも握りつぶせるが、ラオブで暴れたのはなかったことにはできん。一番なのはラオブに送っちまうことなんだが」

 正論なんだけどね。イストリア様と直接お会いしたことのある身としては、先に彼アルモニアさんを彼にあわせてあげたい。それに無策で彼女をラオブに送りかえせばノマッド・グリモリオの強奪を命じた相手が、アルモニアさんに罪をすべて押しつけかねないしね。詳しい状況は確認できていないけれど、マオの父親やエルペッナ様を傷つけたのは彼女ではなさそうだから、極刑にされるような事態は避けたい。

「彼女が罪を犯したのは確かです。ですがボク個人としては、裁きをくだすまで時間の猶予をいただきたいと考えています。ラオブに彼女の身柄を委ねるにしても、せめてイストリア様にご確認をしていただいてからにしていただきたい」

「ラオブ王国は魔導王国ほど、イストリア様に敬意をはらうことはないでしょうね。すでに実行犯である彼女たちに、すべての罪を背負わせる準備が整えられている可能性もあります。ラオブに送った後ではイストリア様が彼女の素性を確認する前に、命を奪われても不思議はありません」

 ミゴンさんが後押しをしてくれると、師匠は面倒そうに手を振る。

「わーった、わーった。キャージャには俺からも口を利いてやるよ。どれだけ効果があるかはわからんがな。それはいいとしてだ」

 クロを片手にすいっとボクの前にやってきてボクのみぞおちに指をあてる。

「この痣はどうした? ガキのころはなかったよな?」

「ああ、俺も聞きたいな。俺にはどうしてもレンダ様の自由の鳥の紋章にしか見えないんだが」

 ミゴンさんまでが訝しむような視線をボクのお腹にむける。なんだかくすぐったい。

「捕まってる最中に会いに来たんだってよ。そんな有名人なら俺も会ってみたかったな」

 クロが残念そうに呟くとふたり揃って目を見開く。

「捕まった?」

「レンダ様に会った?」

 どうやら説明しなければいけないことが、またひとつ増えてしまったようだ。

 ラブリース家で療養して

「まさかレンダ様の使途と旅をしていたなんて……」

「お前、すっかり波乱万丈になったな」

 ミゴンさんは愕然として、師匠は呆れた様子で言葉を投げてくる。

「その時以来、声も聞いたことがありませんし、現状もうひとりしか使途がいないということなので、使徒がどういうものかもよくわかりません」

 首をすくめてみせると、ミゴンさんがひとつうなずく。

「どうやらお前が世界樹を目指すのは運命かもしれんな」

「どういうことですか?」

「世界樹のある迷いの森にすんでいるのはイストリア様だけじゃない」

「妖精族ですよね」

「ちっちゃくて羽の生えたヤツだな。オレはまだ見たことねえな」

「で、その妖精族がどうかしたのか?」

 興味津々といった様子の師匠の問いに、彼がもう一度うなずく。

「これはレンダ教の教典に載っていることですが、その妖精族を束ねる妖精姫シャーロ。彼女はこの世界が創世されたころから存在し、唯一の使途としてレンダ様の目となり耳となり存在しているそうです」

 丁寧な口調でミゴンさんが説明するとまたもや師匠が豪快に笑う。

「俺と坊主に挟まれて、いちいち言葉遣いをかえてたら疲れるだろうが。いまは肩書きを脱いだ裸のつきあいだ。気楽に喋んな」

 ミゴンさんは苦笑し頭をさげる。

「ではお言葉に甘えて。冒険者ギルドは、その性質上旅の守護者とも言われるレンダ様を祀っている。他の神の教団ほどの厚みじゃないが、教典もある。そこに記されているんだよ。レンダ神は世界のありとあらゆる噂を集める為に妖精姫シャーロを遣わしたってな」

「ふーん。じゃあトリスにつけられた刻印が本物かとかレンダってヤツのことはそのシャーロってヤツに聞けばわかんだな?」

 途端にミゴンさんが顔をしかめる・

「まあ、そういう事なんだが、俺も長く冒険者をやっているんでレンダ様のことはあがめているんだ。呼び捨ては勘弁してくれ」

「わりい、わりい。そういうのはイマイチわかんなくてな」

 言いつつ頭を掻く。

 クロは魔法生物だからね。自分を生み出した相手に対する忠誠心は生まれながらに植え付けられているのだろうけど、それ以外のことに敬意を払う習慣はないだろうね。おまけに長い間眠っていたわけだし。

「宗教関連の話はボクも疎いので、聞かせていただいて助かりました。どうやら迷いの森に向かう理由がここでふたつも増えたようです」

「お前、自分のことでさえ重いもん背負ってんのに、さらに背負うようになったのか。顔はお袋さん似なのに、正確は親父さんに似てきたな」

「いまさら重荷がひとつふたつ増えてもかわりありません。もともと追いかけている夢がボクには大きすぎるものです。どんな重荷が増えようと大差ありませんよ」

 首をすくめて答えともう何度目かもわからない笑い声が浴室に轟く。

「面白い成長をしたじゃねえか。よし、明日は俺に任せておけ。どでかい土産を持たせて旅立たせてやるからよ」

 師匠はボクの頭を抑えると、そのまま楽しそうにお湯の中へと押しこんだ。








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優しい魔導書の紡ぎ方 地辻夜行 @tituji

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