Secret

大隅 スミヲ

第1話

 静かな朝だった。

 海が見える喫茶店で朝食を済ませた久我総と姫野桃香は、駐車場の車へと戻った。


 ちょっとしたドライブだった。

 N県は山と海の両方がある縦長の県であり、山間部などは雪が降れば積もるため冬場はスキーやスノーボードをする客が大勢訪れたりしている。

 今回、久我と姫野が向かうのは山間部ではなく、海沿いの小さな町だった。

 N県の中心部であるS市から車で2時間。ようやく、その海沿いの町に辿りつくことができた。

 出発したのは朝6時であり、海が見える喫茶店に入ったのが8時過ぎのことだった。


 助手席に腰をおろした久我は腕組みをしながら前を見据えると、姫野がエンジンを掛けるのを待った。

 車の運転は、基本的に姫野が行っていた。久我にはハンドルを握らせない方が良い。それはN県警刑事部長である妻夫木警視正から告げられたことだった。

 一応、久我は免許を持っているそうだが、ペーパードライバーであり、致命的なほどに車の運転が下手くそだそうだ。そのことは公然の秘密であり、久我自身も認めていることから、基本的に車の運転は姫野が行うことにしている。


 久我総。彼は警察庁特別捜査官であった。特別捜査官は警察庁長官直属の捜査官であり、警察庁が警察に関係するすべての捜査に対する捜査権限を与えている捜査官である。

 長いこと久我はN県警に派遣されて、様々な事件の解決に尽力しており、N県警刑事部からの信頼も厚くなってきているところだった。


「そういえば、どうして久我さんは容疑者を逮捕したり、取り調べに立ち会ったりはしないんですか」

「ああ、捜査官はあくまで捜査を担当するのが仕事で、刑事のように逮捕する権利は無いんだ。警察学校で習わなかった?」

「習った気もしますけれど……忘れちゃいましたね。でも、取り調べに立ち会うことくらいはしてもいいんじゃないんですか」

「前は取り調べに立ち会ったりもしたことがあったよ」

「え? そうなんですね。じゃあ、今度なにか事件をわたしが担当したら、取り調べに立ち会ってくださいよ」

「いや、やめておくよ」

 そう言って久我はサイドガラスの景色へと目を移した。



 いまから5年前、東京――――。

 とある事件の担当を任された久我は、事件の遺留品を手に取っていた。


 久我が特別捜査官である理由。それは久我の持つ特殊な能力にあった。

 残留思念。それはモノに残された記憶。

 久我はその残留思念を読み取ることのできる特別捜査官だった。

 その事件は一家5人が強盗に押し入った二人組に惨殺されるというおぞましい事件であった。容疑者として逮捕された男は、いずれも自分はやっていないと犯行を否認。物的証拠もすべて揃っているというわけではなかったことから、このままでは容疑者たちの身柄拘束時間が過ぎてしまい、検察へ送ることができなくなる恐れがあった。


 そんな時に捜査に投入されたのが、特別捜査官である久我だった。

 久我は事件の遺留品から残留思念を読み取り、取調室にいる容疑者のひとりへと話しかけた。


「――さん、あなたは時計が趣味みたいですね」

 取調室での久我は丁寧な言葉で容疑者に話しかけた。


「ああ、時計は好きだよ。だからなんだよ」

「被害にあったxxxさんのお宅にも、いくつか高級腕時計があったはずです。あなたは、その高級腕時計の前でじっと立ち止まっていた」

 その言葉に容疑者の男は顔の筋肉を少し痙攣させた。


「知らねえよ、そんなの。さっきから、そんな家、行ったことも無いって言ってるだろ」

「バルティックの限定モデル」


 その言葉に容疑者の男はピクリと動いた。


「な、なに言ってんだよ」

「2017年に発売されたやつ」

「し、知らねえって言ってんだろ」

「そんなわけ、ありませんよ。あなたが言ったんです。私はフランス製の高級腕時計などの知識はまったくありませんから」

「何なんだよ、お前……。おい、こいつをこの部屋から出してくれ」

 容疑者の男がもう一人いた取調官に対して訴える。

 しかし、もう一人の取調官は、男の言葉が聞こえなかったかのように無視を決め込んでいた。


「もう少し、お話しましょうか」

 久我はそう言って、話を続ける。


「殴ったのは、左の拳。最初にジャブを入れて、よろめいたところに右のストレートを打ち込んだ。昔、ボクシングを少しだけやっていたそうじゃないか」

「な、なんだよ、それ。どこで俺のことを調べて来たんだ」

「調べてなんかいないよ。あんたが被害者を殴りながら、語っていたんじゃないか」

 久我は容疑者の顔に自分の顔を近づけて言う。


「倒れた被害者を殴り続けて意識を失わせた後、今度は奥さんに向かってこう言ったな『お前も、同じようになりたくなかったら、さっさと金を持ってこい』って」


 容疑者の男は久我の雰囲気に飲まれてしまっているようで、顔を青ざめさせながら怯えた顔をしている。


「刺したのは、台所にあった包丁だ。最初は旦那さん。何度も何度も刺した。怖くなって、何度も何度も刺した。刺しても反応が無いから怖くて、何度も……」

「や、やめてくれ」

「次は奥さんだ。お前の相棒は、お前に刺せって命令したな。いつだって、相棒は自分の手を汚さずに、あんたにやらせるんだ。そうだろ。だから、お前は目出し帽の下で舌打ちをした。奥さんのことは、一発で仕留めようと思った。でも、奥さんは一度刺された後で立ち上がってきた。だから、怖くなって、もう一度刺したんだ」

「やめてくれ……もう、やめてくれ」

 容疑者の男は泣きはじめた。


「な、なんで、お前はわかるんだよ。まるで見てきたみたいに話すじゃないか……」

「だって、教えてくれるんだよ」

「だ、誰がだ」

「見えないのか、ほら、お前の後ろに」


 久我が何もない壁のところを指さすと、男は悲鳴のようなものを上げて、泡を吹いて失神してしまった。


 その後、犯人は自分たちの犯行を自供し事件は解決したが、久我は直属の上司である警察庁長官に呼び出され「お前はやり過ぎだ」と苦言を呈された。

 相手は殺人犯だ、このくらい脅かしてもいいじゃないか。久我はそう思っていたが、そのことは口には出さなかった。



「久我さんは、過去が見えるんですよね」

 不意にハンドルを握っていた姫野が話し掛けてきた。


「残留思念だ」

「そうでしたね。もしかして、わたしの過去も見えちゃったりしていますか」

「それは秘密だ」

 久我は外の景色に目を向けたまま、答えた。


「えー、それって見たって言っているようなもんじゃないですか。何を見たんですか」

「見てない」

「嘘だ。わたし知っていますよ、久我さんが嘘つく時は斜め左上を見るってこと」

「危ないだろ、前を向いて運転しろよ」

「あー、話を逸らした。やっぱり見たんだ」

「見ていないって」


 そんなふたりのやり取りは、目的地である老舗旅館に着くまで続くのだった。



 《Secret 了》

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