第9話 日本に連れてくるための準備

 ニドゥイの腹の底は読めなかったが、何年も地下でしか過ごせなかった彼女には日の光を浴びてもらいたい、と俺は思っていた。

 それに日本各地を歩くときに護衛を一人も連れて行けないのは心細いと思っていたのだ。何かあった時のために護衛は欲しいと思っていた。


 これも全部、亜人族ばかりを召し抱えてきた俺が悪いのだが。

 有能な亜人族を召し抱える相場が安いのがいけない。身体能力も亜人族の方が優れているのが更に良くない。

 こんな連中を日本に連れていけるわけがない。


 一方で、ニドゥイならまだ日本に連れてきても、ギリギリ誤魔化せると踏んでいた。耳の長さだけを幻術で誤魔化してくれたら、他はなんてことはない。異国情緒あふれる黒人の美女、ぐらいに見えるはず。全身刺青だらけなのでやたら怖い見た目だが。刺青も幻術で消してもらった方がいいかもしれない。


 彼女の罰は、あくまで異世界イルミンスールの地上を歩けないというだけなのだ。日本こっちであれば問題はない。






「――――――――」


 日の光を前にして言葉を失っているニドゥイをとりあえず公園のベンチに座らせて、俺は自動販売機でコーヒーを買って飲んだ。

 泣いているのだろうか。


「光、が、おれを……」

「? そういや目が悪かったっけ。眼鏡買うか」


 色々思うところはあるのかも知れない。久しぶりに地上に出られて涙が出てくる気持ちも分かる。

 だがまあ、感傷に浸りたいというのであれば、それは諸々済ませてから時間を作ってあげるほうがいいと思っているので、今はちょっと酷だが、引っ張りまわすことにする。


 車に乗せるときも戸惑っていたし、アスファルトに舗装された地面も、へんてこりんな建物も、工事の音や人々の喧噪であちらこちらが騒がしいことも、流れてくるラジオにも、全部に戸惑いを隠せていない様子だったが――視力測定をして眼鏡を買った時の反応ときたら、本当に、言葉にも表せないほどの感激ぶりであった。正直ニドゥイが泣き腫らしているので視力測定を後日にされそうだったが、無理やり当日眼鏡を買ったぐらいである。


 景色が見えたとき、彼女は何をどう思っただろうか。

 ヘレンケラーみたいに水に感激してくれないだろうか、と思って水を差しだしたのだが、そんな様子ではなかった。






「……へ、へへ、何だよ、何だよ旦那ァ」

「国をくれるんだろ? お安い御用だよ」


 急に驚くほど相好が崩れたニドゥイを助手席に乗せつつ、俺は車をもう一度走らせた。

 あんな大上段から『国が欲しかったら作ってやる』なんて言われたものだから、ちょっと悪戯心が湧いてきたとでも言うべきか。

 いかにも『おれは悠久の時を生きた凄いやつだ』みたいに恰好を付けられたので『は? 俺も凄いが?(俺の鏡が凄いだけ)』をやってみたくなっただけである。日本凄い。鏡凄い。


「……はーァ信じらんねェ、笑えてくらァ、おれの負けだァ」


 地下には上質な硝子屋もなければ、眼鏡を作ってくれる細工師もいなかったと見える。当然である。そんな腕利きが地下迷宮にいるはずもない。確かイルミンスールにもオペラグラスやら眼鏡なる概念はあったはずだが、焦点距離をきちんと測り込み透明度も遥かに高いレンズを作る技術なぞ、先鋭的に過ぎるだろう。

 黒エルフには眼鏡が似合うなあ、なんてどうでもいいことを考えていた俺だが、齢何百(あるいは千に突入しているかもしれない)の婆さんにコスプレさせてるのかと思うとちょっと何とも言えない気持ちになってきた。


 気分を切り替えるため、俺はニドゥイに尋ねた。


「実は他にも日本に連れてきたい子がいてね。幻術を頼めるかい?」

「簡単な奴なら構わねェぜ。それに、おれの《相貌錯誤の言祝ことほぎ》は、魔眼持ちや審神者さにわや精霊視ができる奴には効かねェんだ」


 簡単な奴、というのはきっと足のことだろう。ケンタウリス娘のカトレアや、蜘蛛娘のつづりは下半身の構造が大きく違うから対応できない、と言われているのだ。

 後半は聞き流した。日本にそんな奴らがいるとは思っていない。いるかもしれないが、まあ、差し当たって問題はないと信じている。


「ゾーヤは大丈夫か? 無理でもせめてパルカぐらいは連れて行きたい」

「名前がまだ憶えられてねェんだ、あの黒狼の娘はゾーヤって子かねェ?」

「そうだな」

「道理で。ははーァ? ゾーヤ生命なんて古めかしい名前、しかも北方訛りで、黒狼と来たら、まァ分からんでもねェか」


 骨占いにゃ何て出てたかねェ、と難しそうな顔をするニドゥイだったが、「旦那の頼みだ」と承諾してくれた。俺は思わず内心でガッツポーズをしていた。大きな進歩である。今までは日本に連れ歩けなかったが、《相貌錯誤の言祝ことほぎ》なる古の秘術を知っている奴が我が家に来てくれたおかげで、皆を日本のあちこちに連れ歩ける可能性が出てきた。

 そうなってくると、重い荷物もたくさん買い込めるし、できることの幅が一気に広がる。


 あれこれと考えが膨らむ中、ニドゥイが自然と煙草を吸おうとしていたので止めた。車の中は禁煙である。


「……後で星が見てェ。おれにもう星読みの勘はないかも知れねェが、旦那に万一のことがあっちゃあならねェ」

「こっちの世界の星だけど大丈夫なのか?」

「さァ?」


 今度はニドゥイは、口に謎の葉っぱを咥えたかと思うと、上半身を脱ぎだして、短刀で胸の中心にすっと切れ込みを入れ始めたので俺は「やめろやめろやめろ!」と慌てて止めた。隣でハンドルを握ってる途中になんてことをしだすのだろうか。


「出すな! しまえ!」

「忘れてたのサ、血化粧してやる、悠久を生きるアールヴの血化粧だ、旦那は普人族だから矢避けと呪い除けの加護がねェと直ぐ死んじまう」

「しまえ!」

「照れんなよ旦那ァ、こんなん幾らでも見せてやるからサ」

「捕まるんだよ!」


 ありがたいことだが今ではない。現代日本で矢も呪いも飛んできてたまるか。

 そんなことよりは警察がすっ飛んでくる方が遥かに怖い。


 こんな調子で本当に国を作れるのかこいつ、と俺は頭を痛めた。まあ多分作れるのだろう。凄腕の熟練の術士ということは、雰囲気だけでもひしひしと伝わってくる。だがまずは常識からだろうな、と俺は息を吐いた。


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異世界往来の行商生活《キャラバンライフ》:工業品と芸術品でゆるく生きていくだけの話 RichardRoe@書籍化&企画進行中 @Richard_Roe

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