第8話 国の成り立ちを知るもの、ニドゥイ

 鏡を使って地下迷宮に潜り、第二の狭間にある地下街へと向かう。カトレアが渡り鏡を置いてくれたおかげで、地下迷宮は随分と通いやすい場所になった。

 蟲が繁殖しすぎてしまったせいで、《蟲使い》である俺以外が足を踏み入れてしまうと危険な場所になってしまったものの、かつてのように何日もかけて地下街まで行くのと比べると、随分と時間の短縮になったように思われた。


 不思議な紋様がたくさん並べられている天幕テントの中で、見慣れた女性が笑って待ち構えていた。そう、今日俺は彼女に用があったのだ。


「ははーァ、そろそろやってくると思ってたところだよ、旦那ァ」


 むしろ遅いぐらいだね、と彼女は笑っていた。

 地下迷宮に捕らわれた黒アールヴ。刺青だらけの身体に、酷くしわがれた声。その名もニドゥイ。

 彼女は俺に、《蟲使い》の刺青を彫ってくれた一流の刻印士である。


「いいぜ旦那ァ。賭けは勝ちだ。おれは旦那の罪人奴隷になってやる」

「やめてくれよ」


 何とも不思議なやり取りだが、彼女はそう言ってのけていた。

 悠久の時を生きる彼女は、遥か昔に禁書指定の魔女本を執筆した咎で、今も地下に幽閉されている。

 実際のところは特に牢屋に繋がれたりもせず、普通に地下街でひっそりと暮らしているだけなのだが、形式上の罪がある手前、この街ミュノス・アノールの地上には出ることができないことになっているようであった。


 どうにも不思議な力関係にあるらしい。

 この地域を治めるミュノス家とも何らかの利害関係があるらしく、彼女は絶対に地上にが、彼女は悠々と地下で特に不自由のない生活を過ごしているように見える。


 それにしても、俺の奴隷だなんて初耳にもほどがあった。


「本当サ。あの子牛の小娘がよ、刻印士が必要だからということでおれのことを頼ってきたんだ。地方の大貴族たるミュノス家がおれの存在をってことが重要なのサ」

「……歴史上から抹消されているはずだものな、ニドゥイは」


 ニドゥイの罪は、形式上、非常に重い。

 帝国の皇室一族の血統の系譜を知ってしまっていること。

 白教会の禁書指定の有害図書を執筆してしまったこと。

 そのせいで彼女は、法皇から第一種異端認定アナテマを受けている大罪人になっている。


 具体的に言えば、法皇に敵対して教会を焼き討ちしたりした蛮族の国王とかが第一種異端認定アナテマを受けることになるのだが、彼女はそれぐらいまずい存在なのだという。

 なので、何と彼女は『地上を歩く権利』をはく奪されている。何とも滅茶苦茶な話だがそういうことらしい。


 そしてその存在も歴史のありとあらゆる公文書から削除されてしまっているのだが――。

 それを、ミュノス家に連なる少女が認めたのだ。子牛の小娘とはおそらく、パーシファエ嬢のことであろう。

 パーシファエ・ミュノス嬢がニドゥイと接触を持つということはそういうことである。


「逆に言うとだ、旦那ァ、あのお嬢ちゃんはそれだけの覚悟があるってことサ」

「……最悪、歴史から消される覚悟があるってことか?」

「ま、そこまでは言わんがねェ、"もう二度とミュノス家の継承権を主張しません"ぐらいの宣言だろうねェ。いうなれば血筋を放棄したような、当主にいつ縁を切られてもいいってぐらいの身の捨て方サ」


 とんでもない情報である。俺はぞっとした。

 俺はあくまで、いい刻印士がいるとしか言っていないし、刻印士に仕事を取り次ぐのはだと思っていたのだが――。


 俺があっさり『いい刻印士がいるんだ』と口を滑らせたことをあらぬ方向に曲解したのだろうか。

 すなわち、『国宝級の美術品を複数譲るから、今後も俺が刻印士と出会うのをパーシファエ・ミュノスとして認めろ』という裏の取引。確かにそれなら


(そこまでしなくても……。『どこぞのどんな奴かは知らないけど腕のいい刻印士がいるから、そこは俺が上手い事やっとくから、パーシファエお嬢さんは細かいこと気にしないでいいですよ』ぐらいのつもりだったのに、まさかその泥被りをあの子の方が先んじてやってしまうなんて)


 これはにされてしまった。

 やられたと俺は思った。

 きっともう二度と、あの子はまともな縁談を受けることさえできないだろう。


 否、多分色んな縁談を受けることはできるのだろうが――。


「ま、気にするんじゃないサ。"最果ての賢者"様?」

「いや、でも――え?」

「"最果ての賢者"様だぜ、旦那ァ。この国の初代皇帝と同じ、渡り人ってことサ。良かったナ」


 ケケケ、と笑ったニドゥイは思いっきり煙草を吸い込み、そして吐き出した。


「喜びなァ、旦那ァ。千年を生きるアールヴと、貴族のお嬢様を惚れさせた奴ァそうそういねェよ。……国が欲しかったら作ってやるぜ?」


 悠久の時を生きる大アールヴは、大真面目にそんなことを言ってのけた。





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